2017年08月19日
オストラバ!!!観光?(八月十六日)
オストラバの中央駅は、今は知らず、十年ほど前まで毎週一回通っていたころは、空虚な建物であった。典型的な社会主義時代の建築物で町の発展とともに鉄道による交通量が増えることを前提に設計されたのだろう。入り口を入った一階はそれほどでもないが、二階にあがると大人数を収容できるような広い空間がある。天井が高くて気持ちのいい場所ではあるのだが、窓際にしか椅子が置かれておらず、人もまばらにもいないことが多く、特に冬場などは寒々しさを感じることさえあった。
中央駅の駅前の一帯は、かつての都市計画の残滓が残っている一帯で、例の建築番組「シュムナー・ムニェスタ」でも取り上げられてた。90年代に撮影されたこの番組で見た改修されずに放置されていた建物の数々は、2000年代に入ってからも、ほとんど変わっていなかったけれども、あれから十年以上の歳月を経て少しは改修が進んでいるのだろうか。あの頃は、建築途中で放置された建物なんてものあったなあ。
駅前から町の中心のほうに向かうトラムに乗っていると、左手に炭鉱の跡が見えてくる、インドジフという名称の炭鉱は、1930年代の世界恐慌の時代に採炭自体はやめてしまったらしいが、上部に滑車がついているように見える塔は、戦後文化財に指定されて、保存されている。その下や隣のインドジフとかかれた建物の中に、観光の対象となるような施設が入っているのかどうかは知らない。この炭鉱の塔は走行するトラムや車の中から眺めるだけで十分である。
炭鉱といえば、オストラバには、炭鉱の博物館がある。中央駅からは裏側でオドラ川の北岸になり、トラムからバスに乗り換えていく必要があって、交通の便がいいとは言えないのだが、オストラバといえば炭鉱だと考えると足を運ぶのも悪くないかもしれない。
上には、町の中心と書いたが、オストラバ在住でモラビアをまたにかけて活躍している日本人によると、オストラバには町の中心、いわゆるチェコ語のツェントルムはないらしい。確かに日本人がヨーロッパの都市と聞いて想像するような、中世を思い起こさせる町並みも、歩きづらい石畳の公園も、町の中心には存在しない。
それでも一応マサリク広場のあるあたりを街の、モラフスカー・オストラバの中心と言っていよさそうだ。この広場、以前改修工事を中国企業に発注したら、敷石の張替えに品質の悪すぎる材料が使われ、改修後一年もたたないうちに再度改修が必要になったというニュースがあったような気がする。
オストラバでは、市街の周囲を走る高速道路も、施工者の手抜き、もしくは使用した資材の質の低さのために、完成後過ぎに路面が波打ってしまって高速道路でありながら市内と同じような速度制限が必要になってしまったなんてところがある。周辺諸国の中でも高速道路の建設費がダントツで高いというのに。こちらは中国企業ではなかったけれども、中国企業に高速道路の建設を任せて失敗したポーランドのことは笑えないのである。
とまれ、このマサリク広場に、緑色の高い塔のそびえる新市庁舎(ノバー・ラドニツェ)があれば、もう少し中心ぽくなるのだろうけど、残念ながらちょっと離れたところにあるので、知らないと行きにくい。昔オストラバの街中で仕事したときには、知っていたけど行かなかったし。あそこは塔に上るのと、中の古いタイプの止まらないドアのないエレベータに乗るぐらいしか見どころはないし。塔からの見晴らしはともかくエレベーターのほうは、プラハのルツェルナでも乗れるから、あえて行かなくてもいい。
このモラフスカー・オストラバの中心から、オストラビツェ川にかかる橋を渡るとスレスカ・オストラバなのだけど、こちらもあまり大したものはない。一応お城があって、最近は改修も済んでいろいろなイベントに使われているようである。モラフスカー・オストラバの市庁舎が、ノバーと呼ばれていることを考えると、こちらに古い市庁舎があるのかもしれない。かつてはバニーク・オストラバがバザリのスタジアムを本拠地にしていたのでサッカーファンなら橋を渡る意味があったかもしれないけれども、今はモラビア側のビートコビツェで試合をしているし。
ビートコビツェは、モラフスカー・オストラバの南にある工業の町で、現在のオストラバでは一番の観光名所かも知れない。巨大な閉鎖された製鉄所が残っており、一部改修を受けた上で一般に公開されている。毎年七月にオストラバで行われる音楽の祭典カラーズ・オブ・オストラバもこの製鉄所の跡地を使って行われるし、オストラバの国際陸上大会に毎年のように出場してくれるウサイン・ボルトに敬意を表して名付けられたボルトタワーなんてものもある。
中に入らなくても、車で道を通るだけでも、遠目から製鉄所の全体も見られるし、パイプラインが道の上を通っているのも見られてなかなかに楽しい。この巨大さに大きいことがいいことだった過去の時代を懐かしむべきなのか、無駄な巨大さだと共産主義時代の経済政策をあざ笑うのがいいのか、複雑な気分になってしまう。
もう一つ、オストラバで忘れてはいけない場所があった。人によってはこここそオストラバ最大の観光スポットだというかもしれない。モラフスカー・オストラバのストドルニーである。鉄道の駅もあるけれどもトラムを使ったほうが便利であろう。
ストドルニーは、「スト(100)」と「ドゥール(鉱山)」からできた言葉で、この地区にある飲み屋を鉱山の坑道に見立てて、それが100もあるということからつけられた名前である。日本の百軒横丁みたいな名前の起源だと思えばいい。さすがに百はないけれども、チェコの中では飲み屋がたくさん集中している場所だと言って間違いはない。
件の日本人は、毎週ストドルニーに通うためだけに、住居をストドルニーに構えていた。ちょっと長い休みになるとここで飲むためだけにポーランドから観光客が押し寄せてくるらしい。昔初めてオストラバで仕事をしたときに、日本から来た人を案内したことがあるんだけど、コクソブナ(コークス製作所)ってお店は今でもあるのかな。
オストラバはもともと炭鉱の町で、後には製鉄の町になったんだけど、炭鉱労働者も製鉄労働者もお酒を大量に飲むというところから、今では飲み屋の町になったのであった。こんなこと書いたらオストラバの人に怒られるかな。
8月18日12時。
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