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2017年08月17日

コメンスキーの夜(八月十四日)



H先生とS先生に
 チェコ語のサマースクールに参加されているコメンスキー研究者のS先生と、先月末にお酒を飲みに行ったときに、せっかくだからチェコのコメンスキー研究者のH先生を囲む会もしたいねという話になったので、連絡を取ってみたら、是非会いたいと仰ってくれて、サマースクールの最終週、最後のテストの邪魔にならないようにということで、月曜日に夕食にいくことになった。

 H先生は、オロモウツとプシェロフの真ん中にある町に住んでいて、電車でオロモウツに出てこられる。オロモウツの旧市街の惨状を考えると、街の中心で待ち合わせるよりも駅で待ち合わせる方がいいだろう。ということで駅からあまり遠くないレストランを探すことにした。
 結局、以前オロモウツ在住の日本人の集まりがあったモラバ川沿いのM3という反地下のお店を選んだのだけど、ここ昔、そう十五年ほど前にチェコ語を勉強していた頃によく通っていたお店で、あのころはダーシェンカという名前の薄暗い感じのお店だった。飲めたビールはコゼルだったかな。
 今では改装されてこぎれいな感じのお店になっていて、ビールもピルスナーはピルスナーでも、ケグという容器に入った物ではなく、最近流行の熟成用のタンクからそのまま注ぐビールが飲めるようになっている。

 四時半ごろに駅で待ち合わせをして、10分ほど歩いてお店に入る。半年振りにお目にかかるH先生は、ちょっとやせられたような印象だった。膵臓の病気で病院に通っているらしく、最近肉が食べられなくなって困っているんだよと仰っていた。医者に禁止されているわけではなく、病気のせいで味覚が変わってしまったらしい。
 我々が心配するようなことを言うと、人間てのは何かの原因で死ぬものなんだからと笑い飛ばされる。共産主義の時代に弾圧を撥ね退けて自らの信念を押し通して生きてきた人の強さというものを見たような気がした。あと五年は生きたいと仰るのは、弱気なのではなく、自分自身を客観的に見つめての実感なのだろう。五年などと言わずと口に出しかけたが、言ってはいけないような気がして、言葉にできなかった。

 食事しながらのお話は、例によって刺激に満ちて楽しい時間だったのだけど、最大の驚きは、H先生が、我がチェコ語の師匠の旦那と知り合いだったことだ。我が師とは再婚だったのだが、最初の奥さんとその子供のほうをよく知っているらしい。子供たちがフィギュアスケートの練習をしているのを待っている間に、一緒にビールを飲んでいたんだなんてことを教えてくれた。世の中ってのは狭いもんだねえ。

 ビールといえば、先生は若い頃に、一度ビールを飲みすぎて大変なめにあって以来、ビールは少ししか飲めなくなったと仰る。同じような理由でグリオトカも駄目らしいから、ポーランド人のポノルカは、先生には合わなさそうだ。それはともかく、お酒の飲みすぎで辛い目にあったから、自分自身の飲める量がわかっていて、酔っ払うことはないのだという。それを、「家畜のように飲むというんだ」と先生は説明してくれたんだけど、それっていいのか?
 日本語でも牛飲馬食とか言うように、「家畜のように飲む」というのは、大量に飲むことを言うのだと思っていた。そう言ったら先生は、家畜は自分が飲める量がわかっていて、それ以上飲まないんだ。それが正しいお酒の飲みかたなんだと仰る。いやはや、どこの国でも酒飲みってのは、度し難いものなのだなあと思って嬉しくなってしまった。

 そしてコメンスキーのお酒の飲みかたも同様で、決して飲んだくれたり、酔っ払っておだをあげたりしていたわけではないのだというのだけど、ハンガリー滞在中に一日何リットルものワインを提供されていた人だよ。当時のワインは今のワインほど強くなかったらしいから、コメンスキーには適量だったということなのだろうか。
 やはり、H先生も、コメンスキーと同様に、お酒が好きなモラビア人なのだなあというのを改めて確認できて、同じく酒好きとしては、コメンスキーについての話のために集まったはずなのに、半分ぐらいはお酒の話、コメンスキーと関係なくはなかったけど、に終始してしまって、申し訳ないとは思いつつ、喜びは隠せない。まあS先生も、お酒もお酒の話も嫌いではないようなので、許してくださるだろう。

 体調があまりよくなさそうなH先生を長々と引き止めても申し訳ないので、食事が終わってすぐに店を出た。次の日が奥さんの名前の日で花を買いにいくという先生について、我々も花屋さんまで同行した。そして、S先生の発案で、食事代を出していただいた代わりに、我々からもお花を差し上げることに成功した。これまで、H先生には頂くばかりでお礼をできていなかったのが、今回初めて形のあるお礼をすることができた。ありがたいことである。
 その後、駅で再会を約してお別れした。こちらがH先生の乗る電車を見送るのではなく、先生がこちらの乗ったトラムを見送ってくださった。S先生はまた来年の春にいらっしゃるので、そのときは、またコメンスキーの宴の企画を立てずばなるまい。今から楽しみである。

 そのあとS先生とは、もう一杯ビールを飲みに別のお店に入ったのだけど、そのとき思いついたねたは、これから書いていくことにする。
8月16日11時。



 この夜の一時は、まさに「心の楽園」であった。翌朝は「地上の迷宮」に逆戻りしたんだけどさ。8月16日追記。





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