2017年04月27日
森雅裕『モーツァルトは子守唄を歌わない』(四月廿四日)
言わずと知れた乱歩賞受賞作にして、商業的にももっとも成功したであろう森雅裕の作品である。デビュー作の『画狂人ラプソディ』は、横溝正史賞の佳作であり、乱歩賞の受賞がなかったら刊行されなかった可能性もあることを考えると、作家としての森雅裕を誕生させた作品と言ってもよさそうである。
内容は、モーツァルトの死の謎を、ベートーベンが弟子のチェルニーとともに解明するというもの。サリエリやフリーメーソンによるモーツァルトの暗殺説に、楽譜や歌詞を使った暗号を加え、時代背景としてはナポレオン軍に占領されたウィーンが設定されている。正直音楽的素養のない人間には、楽譜の読み方もよくわからず、ドイツ語の暗号もちんぷんかんぷんだったけれども、そんなことは、この作品の面白さの前には些細なことだった。
推理と枕がつくにしても、小説は小説である。トリックだの暗号だのよりも、物語として読めるかどうかの方が重要である。根っからの推理小説ファンには異論があるかもしれないが、こちらは推理小説であっても、小説として読んでいるので、多少推理やトリックなんかに無理があったとしても、面白い物語が繰り広げられていれば、それで十分以上に満足してしまえる。ときどき、書評などでその辺の不備をあげつらう人がいるけれども、余計なお世話というものである。
森雅裕の推理小説は、よくわからない部分があってなお読ませる。一度読み始めると引き込まれてやめられなくなるような魅力がある。『モーツァルトは子守唄を歌わない』も、主人公で探偵役のベートーベンとチェルニー(初出の親本ではツェルニー)を中心とする辛辣な言葉の投げあいを楽しんでいるうちに、最後まで読み通してしまうのである。とはいえ、この本を初めて読んだ当時は、高校一年生、その真価を完全に理解していたわけではないし、森雅裕のファンだと言い切れるところまでは来ていなかった。
この本に関するコメントとして、「楽聖ベートーベンを俗物扱いして」云々というのがよくあるのだが、俗物扱いされているのはむしろモーツァルトじゃないかと思う。モーツァルト自身は、死後二十年近く経ってからの話だから、直接登場することはない。しかし、当時の関係者の証言として、友人の妻に子供を生ませて、その友人を騙して水銀中毒にして自殺に追い込んだとか、そのおかげで知った皇帝暗殺の秘密をネタにサリエリを脅したとか、モーツァルトが好きな人にとっては、たまったもんじゃなかろう。正直、サリエリがモーツァルトを殺したとかいう話よりも、こちらの方が衝撃的で、物語の中心となる謎だったのではないかと思ったくらいだ。
チェコ出身のミロシュ・フォルマン監督の映画「アマデウス」に描かれるモーツァルト像も、なかなか奇矯な人物ではあったけれども、森雅裕の直接登場はしないモーツァルト象に比べれば可愛いものである。死を前にしながら作曲を続ける姿は鬼気迫り、スイッチの入ったときの作曲家のすごさと言うものを感じさせたし。あれ、「アマデウス」でサリエリがモーツァルトを殺した理由って何だったっけ? チェコ語吹き替え版しか見ていないからか、暗殺の方法も含めてあまり印象に残っていないのである。
乱歩賞の講評で、モーツァルト毒殺説に関して、オリジナリティの欠如を指摘されていたのは、やはりこの「アマデウス」の存在があったからだろう。モーツァルト暗殺説というものを扱う以上は、謎の部分にオリジナリティは出せないのだから、ベートーベンが探偵役というところがオリジナリティだろうに。「アマデウス」と『モーツァルトは子守唄を歌わない』を比べて似ていると思った人はいるのだろうか。個人的には、サリエリの存在も、モーツァルトの暗殺説も、フリーメーソンという存在も、すべてこの『モーツァルトは子守唄を歌わない』で知ったのである。オリジナリティを云々されても賛成の仕様はない。
日本人というのは、舶来物をありがたがるところがあるので、こういう頓珍漢な批判がなされることは多い。確か半村良の『戦国自衛隊』が、何とか言うアメリカ映画のアイデアと同じだと批判を受けたことがあったはずだ。『戦国自衛隊』の方が先に発表された作品だというのにである。まあ、日本の文芸批評なんてそんなもんなんだから、読書の参考にするにはあたらないという証拠である。
さて、チェコでチェコ語ができるようになった目で読み返すと、気になる部分がいくつかある。一つは人名。ベートーベンの弟子のチェルニー(ツェルニーと書かれることもあるが)は、チェコ系だったのではあるまいか。いや、スラブ系だったらどこにでもある名字なのかもしれないけれども、チェコには多い名字の一つである。ドイツ語だったらシュバルツになるわけだし。
それからベートーベンの支援者として名前の挙がる貴族が、キンスキー、ロプコビツって、ボヘミアに領地のあった貴族じゃないか。キンスキーといえば、ナチスに協力して、戦後は南米に逃亡しておきながら、ビロード革命後に没収資産の返却を求めるという恥知らずな男を輩出した家だし、ロプコビツは、中国資本に買収されたビール会社の名前になっている家である。
以上の二つは、すでに気づいていたのだけど、今回もう一度読み返した際に、気になったのがモーツァルトの弟子でベートーベンのライバルとしても名前の挙がるフンメルのフルネームが、ヨハネス・ネポムク・フンメルだということだ。ヨハネス・ネポムクといえば、カトリックがフス派に対抗するために必要とした聖人ヤン・ネポムツキーを思い起こさせる。ネポムツキーは、出身地のネポムクにちなんでの呼び方らしいし。と言うことは、フンメルもチェコ系の音楽家だったということだろうか。
そして、モーツァルトの息子が亡くなったところはカルルスバートと書かれている。よく考えたらこれ、カルロビ・バリのことである。これも今回読み返すまでは気づいていなかった。
いやはや、こんなにチェコに関係しそうなことが出ているとは、初めて読んだときには思いもしなかった。こんな無理やりチェコにこじつける読み方が邪道なのは重々承知の上で、ついつい関係しそうなものを探してしまうのである。
4月26日20時。
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