2017年03月23日
モラビアシレジア出身の有名人(三月廿日)
遺伝学の祖メンデルの出身地がモラビアのどこかの村で、同じ名前の村が二つあってどちらだかわからないという話を書いたことがあるが、コメンスキー研究者のH先生からいただいた博物館紹介の小さなパンフレットをめくっていたら、メンデルの記念館も載っていた。
このパンフレットは、オストラバを中心とするモラフスコスレスキー・クライ、モラビアシレジア地方の博物館の中から特徴のあるものを選び出して紹介したパンフレットである。先生はコメンスキーの滞在したフルネク市のためにコメンスキー関係の本を書いたことがあるようなので、その縁からこの仕事をなさったのか、協力者として非売品のパンフレットをもらった
のか、昨年の秋にお目にかかったときにお土産の一つとしてくださったのだった。
そのときには、もう一冊のコメンスキー本のコメンスキーが作ったモラビアの地図をつらつら眺めるだけで満足して博物館のほうは見ていなかったのだ。メンデルだけでなく、フロイト、パラツキーなんかの名前も出てきたので、記念館の紹介をしてみよう。
まずは、コメンスキーから始めるべきであろう。コメンスキーが生まれたのは東モラビアのスロバキアとの国境の近く、ウヘルスキー・ブロトの近くのニブニツェという村のあたりだと言われているが、ヨーロッパじゅうを転々とした人なので、チェコ各地に滞在したという話が残っている。そのうちの一か所が、フルネクである。
フルネクは、テニス選手のペトラ・クビトバーの出身地として有名な町だけれども、以前はコメンスキーが活動した町として知られていた。かつての兄弟団の活動していた建物の中にコメンスキーを記念した部屋があるらしい。建物全体が記念館にはなっていないようだが、兄弟団での活動や著作などを紹介する展示があるようだ。
オロモウツからフルネクへは、電車もバスも直行はない。一番早いのはオストラバ方面に向かう電車で、スフドルまで行って乗り換える行き方で、一時間ちょっとで到着する。バスでフラニツェ、ノビー・イチーンまで行って乗り換える手もあるけど、そっちは30分以上長くかかる。自動車で行けば高速道路を使って、40分弱で着くようだから、そんなに遠いところではないのだけど、特に帰りに時間がかかって、行きにくいところである。
二つめは、メンデルの記念館である。これはヒンチツェという村にある生家が記念館になっている。ヒンチツェはモラビアに何か所かあるのだが、メンデルの生地のヒンチツェは、フルネクから南に行ったモラビアシレジア地方のノビー・イチーンの近くにあるブラジュネ―という村の一部になっている。オロモウツ地方のフラニツェからも、距離的にはそれほど遠くはない。
もともとこの村では1、965年からメンデル関係の展示が行われていたようだが、2007年に生家の農家の改修が完成し、そこでメンデルを記念する展示だけではなく、遺伝学についての展示も行われている。このときのニュースを見たのはよく覚えている。ただ地名を覚えていられなかっただけである。
オロモウツからは、フルネクよりは距離的には近いのだが、鉄道の駅がないこともあって、時間がかかる。一番早くて一時間半ぐらいだけど、乗り換えが二回、三回必要で、正直メンデルの記念館のためだけに出かける気にはならない。
次はオロモウツの大学の名前にもなっているパラツキーの記念館である。ここもメンデルの場合と同じで生家の農家が修復されて記念館となっている。こちらはノビー・イチーンから少し南に行ったところのホツラビツェという小さな町にある。ただ、開館時間が決まっているわけではなく、事前に連絡をして開けてもらう必要があるようだ。十一月から三月は完全に閉館しているので見学することはできない。小さな記念館なので常駐の職員がいないということなのだろうか。
オロモウツからはノビー・イチーンでの乗り換えで、一時間半ぐらいで行けるようである。ただこの接続のない時間帯もあるので、こっちも鉄道が通っていないので行きにくいところである。
最後は精神医学の祖フロイトの記念館である。ここに挙げた四人の中では最も日本で知られた人物だろうが、チェコのプシーボルという町の出身であることをどれだけの人が知っているだろうか。プシーボルも生家が記念館となっており、2006年に大きな改修が行われている。もともとは、他の三つの記念館と同じく、ノビー・イチーンの博物館の下にあって、ホームページも一緒になっていたようなのだが、現在は独立したページを運営している。
オロモウツからは、直行のバスに乗れれば一時間で着くようなので、距離的には一番遠いけれども、一番行きやすいと言えそうだ。
モラビアかどうかは微妙なのだけど、最近、映画「シンドラーのリスト」で有名になったシンドラーが、チェスカー・トシェボバーから少し南に入ったスビタビという町の出身であることを知った。スビタビは、チェコの内部に島のように浮かんだドイツ系の人口の多い町だったらしい。現在のチェコで生まれ育って、世界的にはドイツ人として知られている人は、たくさんいるのである。スビタビにシンドラーの記念館があるかどうかまでは知らない。
3月21日16時。
カテゴリーはこれでいいよね。3月22日追記。
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