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2016年10月26日

ノーベル文学賞に思う1(十月廿三日)



 同時代の音楽に背を向けて、七十年代のフォークだのロックだのを九十年代に聴いていた人間にとって、ボブ・ディランの名前は親しい。ただ、九十年代は、我が英語アレルギーの最盛期だったので、さまざまな日本の音楽関係者に影響を与えているという話は聴いていたが、あえてオリジナルを聴こうとは思わなかった。洋楽なんて忌野清志郎のCOVERSで十分だったし。うん。

 だから、ボブ・ディラン本人に特に思い入れはないし、ノーベル文学賞に選ばれたという話を聴いたときも、特に反対する気にも、両手を挙げて賛同する気にもなれなかった。ただ、素直に受賞を受け入れるのかねとは思った。ビートルズは女王陛下から勲章をもらったらしいけど、少なくともそんな歌を吉田拓郎が歌っていたけれども、ディランはどうだったのだろう。反戦を旗印にしたプロテストソングの旗手には勲章なんて似合わないような気もするけれども、年をとってそういうものを受け入れるようになっていてもおかしくないかもしれない。
 受賞が決まった日の翌日ぐらいからだっただろうか、ノーベル賞授与団体側が、ディラン氏と連絡が取れないとか言い始めたのは。ということは、前者でノーベル賞の受賞を拒否する意向だということなのだろう。ノーベル賞の中でも、文学賞と平和賞はいろいろ問題のある賞だから、受賞が必ずしもプラスになるとは限らないし、ボブ・ディランほどの金持ちであれば、賞金のために受賞を受け入れる必要もあるまい。

 理解できないのは、ノーベル賞側がディラン氏の対応を失礼だとか言っていることで、賞を与えると言えば誰でも尻尾を振ってありがたがると思っている傲慢さが垣間見える。確かにディラン氏側の対応も褒められたものではないだろうけど、もともとが既存の権威などというものを認めず、そんなものに無視していた人物だったはずである。受賞拒否ぐらいは予想に入れてしかるべきであろう。それでも賞を与えたかったのなら、事前に受け取る気があるかどうかの確認ぐらいはするべきだったのだ。
 いや、事前に候補者を発表してもいいくらいだ。そうすれば、受賞を受け入れる気のない候補者は辞退するだろうから、今回のような事態は防げる。どうせ事前に有力候補の名前は一部メディアをにぎわすのだ。公式の候補者リストと候補として挙げられて理由を発表しても罰は当たるまい。文学に関心を持つ人々の間の議論も活発になり、それが最近かつてほどの意味をもてなくなっている文学そのものの再発見、再生にもつながるだろう。

 ただ、驚きを演出するために、事前の候補者の発表もせず、受賞を受け入れるかどうかも確認せずに勝手に賞を与えることを発表する。ディラン氏の態度よりもこのノーベル賞側の態度のほうがはるかに無礼である。あのノーベル賞なんだから受賞を拒否する奴なんかいないだろうという傲慢さに加えて、今回はさらにノーベル賞が歌詞を文学と認めてやるんだからありがたく賞を受け取れという権威を笠に着た態度も見え隠れして、ディラン氏ならずとも、不快に感じることはありそうだ。
 仮に、ノーベル賞側が、事前にディラン氏に意向を尋ねて拒否はしないという答えを得ていたとしても、状況はそんなに変わらない。ノーベル賞という権威を最初からコケにしようとしていたということで、文学の世界から音楽の世界にまで手を広げようとするノーベル賞側に対する反撃だと考えてもよかろう。いずれにしても、これまで権威に胡坐をかいて、文学性よりも政治的な意味合いに重点を置いて恣意的に、文学と名のつく賞を出してきた流れが、今回限界を超えたということか。まあ自業自得の類である。

 個人的には、戦争を始めてもおかしくない人間が戦争をしないからとか、自国民に繊細の苦しみを与えた責任者に勲章を与えたとか言う理由で、表向きの理由は違うかもしれないけれども、与えられる平和賞ともども、文学賞はなくしてしまってもいいのではないか。文学賞なんて、新人を支援するための登竜門的な賞、たとえば芥川賞、直木賞のようなものには存在価値もあるだろうけど、押しも押されぬ大作家に与える功労賞的な賞は無用である。日本にもその手の賞はいろいろあるけれども、関係者以外の注目を集めることはないわけだし。

 今後の展開としては、ボブ・ディランが、ノーベル賞のアンチテーゼとも言おうと思えば言えなくもない、イグ・ノーベル賞を受賞してそれを受け入れることを期待しておこう。あれ、イグ・ノーベル文学賞なんかあったっけ? こっちのほうが見識高そうだなあ。
10月25日10時。


posted by olomoučan at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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