2016年09月22日
小説家になろう、もしくは小説を読もう(九月十九日)
どちらから入っても同じ小説の山にたどり着くので、どっちでもいいのだろうけど、読者でしかないという立場から言えば、読んでいるのは小説を読もうの小説だと言ったほうがいいのかもしれない。とまれ、正確な数など意識したくもないほどの膨大な数の小説のようなものの中から、読める小説を探し出すのはなかなか大変である。
当時から書籍化されたという小説も結構あったけれども、書籍化されているからといって、またどういう基準で作成されたものかもわからないランキングというものの上位にあるからといって、面白いとは、いや自分に合うとは限らなかった。結局、あらすじなどを頼りに面白そうなものを地道に探していくしかなかったのである。
もちろん、あらすじは面白そうデあっても、本編が必ず面白いというわけではなく、最初の部分は読めても、途中から読めなくなる作品も多かった。あらすじからして意味不明で読む気にならなかったものや、第一話を開いた時点で、内容ではなく文章や、表記のあまりのひどさに、読むのをやめてしまったものもかなりの数にのぼる。どこかで、私という意味で使われていた「妾」という漢字に、「めかけ」という読み仮名が付けられていたときには、我が目を疑った。真面目に辞書引いたんだろうけど、辞書引かなきゃ読めないような漢字は使わないほうがいいって教訓だな。
最近は、小説家になろうで小説を描いている人たちの中にも、なろうテンプレなどと言って、同工異曲の作品が氾濫していることを批判している人たちもいる。そのせいでオリジナリティのある良作が埋没しているなんて話も出てくるわけだけど、そこまで目くじらを立てる必要はなかろう。ありきたりのテーマで、ありきたりのストーリーであったとしても、文章がしっかりしていて、読んでそれなりに面白いと思えれば、無料で読んで、ダウンロードまでさせてもらえるのだから文句はない。問題は、テンプレであれ、なかれ、そんな作品を探すのが大変なところにある。
そうは言っても、あれこれ読み続けているうちに苦手なジャンルというか、設定が出てくる。あるゲームを舞台にした小説を、あらすじに惹かれて読んでみたときには、これまで読んだことがなかったので、新鮮味があったのか非常に面白く感じられた。それで、他のものにも手を出したのだけど……。最初に読んだ作品に登場するゲームでは、レベルだとか、何とかのパラメーターだとか、この手の作品に付きもの数字を伴うデータがあまり重視されていなかったのに対して、続いて読んだ小説の多くは、先に進むほど数字の羅列が増えていき、それと同時に読む意欲もうせていった。小説を読むのは文章、ひいてはストーリーを読みたいのであって、わけのわからない単語と数字の羅列を読むなら経済ニュースでも読んでいたほうがましである。
その手のデータを無視して読めそうなものもなくはなかったが、一部の例外を除いてゲーム関係の小説は、こちらの目的にそぐわないことが判明した。繰り返し読む気にならないのである。一度さらっと流し読みしてしまえば十分で、繰り返し熟読しようという気になれないものを、わざわざダウンロードしてまでリーダーで読む必要はない。
ファンタジー小説は、高校時代から栗本薫の『グイン・サーガ』や、高千穂遙の『美獣』なんかを読んできたし、大学時代には『ベルガリアード物語』で翻訳物のファンタジーにも目覚めたから、ジャンル自体に抵抗はない。転生とか転移とかだって、高千穂遙の『異世界の勇士』、半村良の『戦国自衛隊』、光瀬龍のジュブナイルなんかからの発展形だと思えば忌避する理由もない。
だけど、ゲーム小説的なレベルがどうこうというものは、苦手。ゲームの中の世界に入り込んだなんて設定も、悪くはないんだけど、ゲーム的は世界ばかりだと飽きるし、数字の羅列には耐えられない。主人公が特別な能力を持っているのも、主人公だからいいや。いいけど程度が甚だしすぎると興ざめしてしまう。ギャグやコメディだと割り切って書いてあればまだいい。でも、異世界モノのギャグやコメディは読むのが辛い。
転生者が現代知識を生かして、あれこれ文明化を図るのもよくあるパターンだけど、何でそんなの知っているんだという違和感と、違う世界で同じものはないはずなのに何でそんなに簡単に成功してしまうのかという疑問を感じてしまうと、先を読むのが辛くなる。現代知識であれこれやるのはいいけど、試行錯誤をしてほしいのだよ。そればっかり書いているとストーリーは進まなくなるだろうけど、そういう部分が全くないと、ストーリーが単調になってしまう。
恋愛小説も嫌いじゃないのは以前も書いた通りだが、そこに異世界とか、転生とか、余計な要素が入ってくると、途端につらくなる。恋愛がメインの話は、やはり現代を舞台にしてほしいものだ。ファンタジー小説に恋愛の要素があるとか、推理小説の味付けに恋愛の要素があるとかいうのは、うまく処理されていれば全く問題ないのだけど。
小説には作者の願望が現れるなんて話もあって、自分が好きなもの、思い入れのあるものをうまく取り入れている作品は、魅力的になる。これもやりすぎるとただの薀蓄たれになるので、加減が大切のだけど。作者の願望ということで言えば、異世界に行っても、普通に言葉通じてしまったり、言葉が通じる魔法があったりするなんてのは、外国語学習に苦しんでいる人が多い証拠だろうか。言葉が通じなくて苦しむ主人公というのがいてもいいような気がする。でも、異世界モノでそれをやると、新しい言語を作り出さなければいけないのか。それは難しいなあ。
好き嫌いの激しい読者で、ちょっと読んではやめ、読んではやめを繰り返しているうちに、いくつかの愛読していると言える小説を発見することができ、PDFにしてリーダーで読書を堪能している。数はそれほど多くないとは言え、そんな作品に出会えただけでも、小説家になろう、もしくは小説を読もうには存在意義がある。もちろん、我が愛読作品が、他の人にとっても面白いということは、必ずしもないだろうが、個々の読者がそれぞれに好きな作品を見つけることができれば、それで十分なはずである。
9月21日15時。
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