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2016年09月08日

天元五年五月の実資〈下〉(九月五日)


承前
 九日は、まず左大臣源雅信のところへ。右近衛府の真手結には都合が悪いと言って不参加。前日の女官たちのための酒宴に出席しなかった内裏や官司の女官たちに、褒美の禄を分け与える手配をしていたようだ。旧例に基づいて銭をもらった人もいたらしい。着物や布などをもらうのと、銭をもらうのとどちらがよかったのだろう。
 十日は久しぶりに雨。呼び出されて天皇の許と、おそらく職御曹司にいた頼忠のところに出向く。密教の儀式を行うべきだと言うので、陰陽師の賀茂光栄に占わせたところ、僧の寛朝に孔雀明王の修法を行わせるのがいいという。そうしたら、二回もお願いをしたのに、痔だと言って断ってきた。

 十一日には、餘慶僧都に仏事を依頼。こちらは引き受けて不動の調伏法を実施することになる。新しい検非違使の官人の任命に関して、安和年間、貞元年間の前例をもとにどうするかと言う話になっているけれども、結論がどうなったのかは、十二日から十五日の記事が欠落しているため、何とも言えない。検非違使の官人の数は十分だとは言っているけれども、ここまで何度か怠慢を責められているからなあ。怠慢な官人を辞めさせてから、新しい官人を任命しないと意味がないような気がする。

 十六日には、十一日に依頼のあった不動の調伏法が実施される。一緒に来た普通の僧が廿人である。終わったら全員に褒美の禄が与えられるんだろうなあ。この日、興福寺の仁宗に宿曜をもとに占いをさせたのは、実資だろうか。具体的に何について占わせたのか知りたいところである。
 十七日に室町に行っているのは、十八日の実頼の法事のための準備だろうか。伊予介からまだ出されていないという米八百石の解文は、二月に起こった海賊事件に関係するものであろうか。長官である守ではなく、次官である介が文書を出すことになっていることから、伊予守の藤原佐理は、やはり在国していなかったと考えてよさそうだ。

 五月十八日は、実資の祖父で養父でもある実頼の祥月命日である。雨の降り続く中、実頼が創建した法性寺の子院の東北院で法事が行われている。これは毎年のことらしい。銭三千というのは多かったのか、少なかったのか、当時の物価がわからないので何とも言えないが、それなりの額ではあるはずである。いつもの十八日と同じで清水寺に行くのだが、理由がちょっとわからなくなってきた。祥月命日の法事は東北院で行われているわけだし。
 夕方室町に行っているのは法事についての後始末だろうか。また内裏では仁王会が行われている。

 十九日は、まず大臣源雅信のところに寄って内裏に向かう。御読経というのは、四日にちらっと話の出た不断の御読経、つまり昼夜を問わず読経し続ける儀式のことだろうか。夕方には太政大臣頼忠のところに寄っているが、左大臣、天皇、太政大臣の間を行き来して話を伝えるのが蔵人の仕事だったのだろうか。
 廿日は十八日に始まった長雨の記述の最後の日。ただしこの日以降も雨が続く。不断の御読経の開始である。

 廿一日、廿二日は、雨が降ったという記事以外は、特に重要なことは書かれていない。
 廿三日もときどき雨。この日は不断の御読経に追加で参入した光禅が、順番を下げられて、面目を失ったということですぐに退出している。一方、今日終わった十六日に始めた不動の調伏法に関しては、褒美の禄と、出家者とが与えられているが、蔵人で式部丞であある藤原公正が担当したのが実資には気に入らない。近衛府の次将の仕事じゃないか、と実資は言っているようである。

 廿四日もときどき雨という以外には特別なことはなし。翌廿五日もときどき雨だが、この日は不断の御読経が結願している。公卿が五人出席しているのは、最近では多いのかな。夕方になって大納言藤原為光のところに出向いている。用件は頼忠の願いと関係があるようだが、具体的なことはわからない。
 最後にまたまた犬が死んだことによる穢れである。『枕草子』に、翁丸とかいう名前の犬を、蔵人たちが叩いて半殺ししにして、死んだのか死んでいないのかわからなくなってしまったという話があったけれども、死んだら死体を外に捨てたとしても穢れになるんだから、そんなことしていいのかと言いたくなってしまう。

 廿六日も廿七日も雨がちな天気が続く。廿七日には、検非違使が捕らえた罪人の罪状を検討して牢獄に送る儀式である著鈦政が行なわれているのが目を引く。二月の海賊騒ぎで捕まった連中も判決を受けた中にいたのだろうか。
 廿八日は久しぶりに晴れ。中宮大夫の藤原済時とともに中宮職に関することを決めている。それから春の季御読経について決めているが、来年のことと考えるよりは、中宮職で行うものと考えたほうがいいかもしれない。

 廿九日も前日話が出た阿闍梨の地位についての決定が降りている以外は、何もない。この月の下旬は、内裏の天皇と、太政大臣藤原頼忠、左大臣源雅信、時に大納言藤原為光の間を、行ったりきたりしているだけの記述が多い。ただし、本当に忙しいときとは違って、一日に何度も行き来するわけではない。具体的にどんな話が出てきたかについては、ほとんど書かれていないのが残念である。

9月6日23時。


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