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2016年01月27日

佐藤史生追想(一月廿四日)


 生まれて初めて、少女マンガと言うものを、少女マンガだと認識して読んだのは高校生のころのことである。高校二年生だったか、三年生だったか、隣の席に座っていた女の子がマンガを読みながらケタケタ笑っているのに対して、「高校生にもなって教室でマンガ読みながら笑うなよ」と言ってしまったのだ。虫の居所が悪かったのか、試験勉強で自習だった時間だったから邪魔になると思ったのか、自分もマンガを読む身でありながらそんなことを口走ったのだった。
「マンガとか言って馬鹿にしないでよ、これほんとに面白いんだから。読んだら絶対に笑うって。そうだ、特別に貸してやるから、うちで読んで来て。最後まで読んで一度も笑わなかったら謝るから」
 とか何とか言われて押し付けられたのが、後にシベリアンハスキーブームを巻き起こすことになる『動物のお医者さん』だった。単行本ではなく、雑誌と同じ版型紙質で連載をそのまままとめただけの総集編みたいなものだったと思う。マンガ自体は好きだったから、断りもせず受け取ったのだが、うちに帰って抱腹絶倒することになるとは思ってもみなかった。そして翌日返却するときには、こちらがごめんと頭を下げる羽目に陥ってしまった。
 少女マンガを読んだとはいえ、すぐさま自分で買うように、買えるようになったわけではなかった。大学に入ってから本屋で『動物のお医者さん』のコミックスを発見して欲しいと思ったときにも、自分では買えないので、研究会の女性の先輩にお願いをして買ってきてもらったのだ。

 佐藤史生の存在を教えてくれたのは、高校時代の先輩だった。同じ田舎から東京に出て、大学は違ったけれども、何かの機会に再会して本の貸し借りをするようになったのだ。この先輩には、面白い漫画を、漫画だけでなく小説もジャンルを問わず教えてもらった。その中で我が読書傾向を変えることになったのが、翻訳ファンタジーに目を向けるきっかけとなった『ベルガリアード物語』と、少女マンガ(もしくはそのレーベルから出ている作品)を読むことに対する抵抗を取り去ってくれた佐藤史生と萩尾望都の作品であった。
 最初に借りた『夢見る惑星』は、題名からして魅力的な、ジャンルで言えばファンタジーと言うことになろうか。超古代文明、人類恐竜共存説、人類地球外起源説などというSFファンにはたまらない要素が詰め込まれているだけでなく、王権と神権の対立、神学と科学の対立など歴史、社会学的な視点、それに大陸移動説まで取り込んで、壮大な物語が展開する。冒頭の行方不明になっていた王女の遺児である主人公のイリスが登場するところから、神殿のある谷が爆発を起こして大地震が起こりその上をイリスたちを載せた竜が飛び去るところまで、綿密に組み立てられた物語は一度読み始めたら最後まで読み通すしかない。同時に、ぎりぎりのところで破綻を免れているような危うさがあって、その危うさがもたらす緊迫感が、物語を魅力的にしている。
 次に読んだ作品は『ワン・ゼロ』で、こちらはいわゆるサイバーパンク物になるのだろうか。コンピューターとネットワークが重要な役割を果たすのだが、インターネット以前のパソコン通信の時代にこのような作品が生まれたことは特筆すべきであろう。コンピューターのような最新の電子機器に、インド神話、民俗学などの土俗的なものを組み合わせて展開する物語は結構難解で、件の先輩は雑誌連載中に読んだときにはよくわからないと思ったと言っていた。コンピューターで神を捜すなどという一見矛盾したプロジェクトが出てくるのは、冷戦終結前後のそれまでの世界が軋みを立てて揺らいでいた時代の反映なのかもしれない。『神と物理学』なんていう相容れないものを取り合わせた本も出ていたし。
 大学の文学の授業で日本神話が取り上げられることが多かったため、神話学に関する本は、大量に読んでいたが、日本神話関係だけでなく、フレーザーの『金枝篇』やエリアーデの著作などにまで手を伸ばしたのは『ワン・ゼロ』以下の作品の影響である。あれこれ迷走することになったが、おかげで国史国文の人間にしては幅広い知識を得ることができたのだから、文句は言うまい。
 いつどこで読んだものだったかは覚えていないがSF作家の高千穂遙が、日本のSFに圧倒的に欠けているのは、ファンタジーとサイバーパンクで、これらのジャンルはマンガによって補完されたのだというようなことを述べていた。ならば、この『夢見る惑星』『ワン・ゼロ』こそが、その極北だと言えるであろう。
 その他の短編で、繰り返し世界背景として描写される宇宙進出後の人類の姿にも震撼させられた。各惑星に殖民した人類は共時性を喪失して、惑星単位で独自の発展をたどった結果、それぞれにどこかいびつな社会が誕生する。そしてそれぞれの世界をつなぐのが、複合船と呼ばれる巨大な宇宙船なのだが、その宇宙船内部にもまた、ときにおぞましさすら感じさせる社会が誕生しているという世界観は、一般のスペースオペラのワープなどの特別な方法で、強引に共時性を確保した宇宙観よりも、はるかに生々しく感じられた。スペースオペラはスペースオペラで大好きではあるのだが、佐藤史生的な未来の宇宙像のほうが、人類学的にありえそうな気がして、同時にそのおぞましさに寒気がしたのである。
 惜しむらくは、作者が寡作であったため、全体像が明かされないままに終わってしまったことだ。断片的に書きつがれた短編から、どのようにして、その社会が形成されたのかを完全に読み取ることはできないが、想像しながら暗澹たる気分になることもあった。
 佐藤史生の単行本は、カバーがそれほど少女マンガ少女マンガしていなかったので、書店で購入するのにもほとんど抵抗がなく、買いあさっているうちに、他の少女マンガも何の抵抗もなく買えるようになっているのに気が付いて愕然としたことがある。いや、愕然とすべきは、この文章の終わらせ方がわからないことだ。いやはや、思い入れのある作家についての文章というのはうまく行かないものだ。
1月25日21時30分





 この作品にふれるのを忘れていたとは、われながら不覚である。死ぬほど探し回ってやっと見つけた記憶があるのだが、以前よりも過去の作品が手に入れやすくなっているのはいいことなのだろうが、日本にいないのが恨めしくなる。日本にいたら金欠になるのが関の山ではあるけど。1月26日追記。



死せる王女のための孔雀舞 [ 佐藤史生 ]





posted by olomoučan at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係
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