2021年03月23日
チェコの君主たち11(三月廿日)
1306年のバーツラフ3世の死によって、400年以上の長きにわたって、チェコの支配者として君臨してきたプシェミスル家は、男系で断絶した。庶子の家系で、この時点ではまだ生き残っていた家はあったようだが、嫡系ではなく継承権はなかったようだ。それに加えて、バーツラフ二世の子か、三世の子かは知らないが、幼少の男子が残されていたが、山中の修道院に追放され、後に暗殺されたという伝説もある。モラビアのビシュコフの近くで、実はこんな伝説があるという話を聞いたのを覚えているけど、チェコ各地に同じような伝説が残っているに違いない。
それはさておき、チェコの君主の地位は、当時の慣例に倣って、貴族の選挙によって選ばれることになった。継承権を主張できるのは、プシェミスル家の王の娘たちの配偶者、もしくは、王妃の新たな配偶者だったようだ。そして、このときチェコの貴族たちが選出したのは、バーツラフ2世の娘で3世の妹のアナと、同年に結婚したばかりのインドジフ・コルタンスキーだった。ケルンテン公のハインリヒということになるのかな。
しかし、当時神聖ローマ帝国の皇帝だったハプスブルク家のアルブレフト1世は、この選出とチェコ王への即位を認めず、ボヘミアなどからなるいわゆるチェコの王冠領を君主を失った空領として、自らの息子であるルドルフに与えてしまう。チェコの貴族たちに受け入れやすくするためか、ルドルフはバーツラフ2世の王妃だったエリシュカ・レイチカを妻として迎え入れている。
ルドルフは、プシェミスル家の断絶によって、弱体化した王権の強化と、低下したヨーロッパの政治上の地位の向上に尽力したが、その結果「クラール・カサ」というあまりありがたくないあだ名を頂戴したという。「カサ」というのは、お城の見学などに行くと、入場権を買う場所のことを指す言葉として使われているから、お金の管理に関る言葉とみてよかろう。つまり「出納王」とか「徴収王」とか呼ばれていたということだろうか。お金集めに腐心していたと見える。
一方で、チェコの貴族たちの中には、プシェミスル・オタカル2世の野望をくじき、敗死させたルドルフ1世の直系の孫であるルドルフの即位に賛成しない一派があり、内乱となった。即位の翌年の1307年には反対派の貴族を、西ボヘミアのホラシュデョビツェに押し込めることに成功し、後一歩で反乱を鎮圧することができるところまで行ったのだが、陣中で没してしまう。当時は毒を盛られたとか、妻のエリシュカとの房事に耐えられなかったとか噂が流れたらしいが、実際には単なる病死だったようだ。赤痢だったかな。
その結果、一度はチェコの王位につきかけたインドジフ・コルタンスキーが再びチェコの王位を求めて認められる。皇帝アルブレフト1世がこの即位を認めたのかどうかはわからないが、翌1308年に皇帝が没した結果、即位したルクセンブルク家のハインリヒ7世によって認められたのかもしれない。ハインリヒ7世は、インドジフがチェコの王座から追われるのにも関っているので、そうだとすればなかなか皮肉である。
チェコの貴族たちによって王に選出されたインドジフだが、チェコの貴族たちを満足させられるような能力はなく、侮りを受けることになる。このままでは、チェコの復興は難しいと考え、不満をためた貴族たちは、王の首を挿げ替えることを考え、候補者の選定を始める。白羽の矢が立ったのは、皇帝ハインリヒ7世の息子のヤンだった。継承権を与えるために、プシェミスル家のバーツラフ2世の娘で未婚だったエリシュカと結婚させた上で、チェコ王として迎え入れたいというチェコ貴族の提案を、ハインリヒ7世が受け入れた結果、チェコ史上に燦然と輝く全盛期を作り出したルクセンブルク朝がチェコの王位を手に入れたのである。チェコの貴族たちの望みはかなえられたといっていい。
インドジフ・コルタンスキーは再度皇帝の意向で、手に入れたチェコの王位を失うことになってしまった。プシェミスル家のアナは子供のないまま1313年に没し、後妻との間にも王子は生まれていないるから、インドジフがチェコの王であり続けていたとしても、そのゲルツ家出身の王は一代限りということになったはずだ。
意外なのは、後に長きにわたってチェコを支配することになるハプスブルク家の初代の王が、足掛け2年、実質1年ほどしか王座についていなかったという事実である。チェコ語では、数字をつけることなく、「ルドルフ・ハプスブルツキー(ハプスブルク家のルドルフ)」と呼ばれているのもなんだか不思議である。
ハプスブルク家の君主@
初代 ルドルフ・ハプスブルツキー 1306-1307年
ゲルツ家の君主
インドジフ・コルタンスキー 1307-1310年
(1306年に一時即位した可能性あり)
今回取り上げた時代は、日本では鎌倉末期ということになるのか。ルクセンブルク家のヤンについては、改めて次回取り上げる。
2021年3月21日24時。
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