アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

posted by fanblog

2020年10月01日

学生?にも失望(九月廿八日)



 大学の授業がオンラインになって、本来提供されるはずの質を満たしていないという理由で学費の返納を求めようとする学生たちにも賛同はしがたい。そもそも大学の学費なんて、授業の質に応じて上下するものではないし、授業に対して払っていると考えたら、特に私学の学費なんて高くて払う気にもなれない。あれは、1年間学生でいられるという身分を買うためのものだと考えるのが正しい。その学生の身分に授業がついてくるのであって逆ではない。
 オンライン授業の質と内容に不満があるなら、求めるべきは学費の返還ではなく、大学の対面授業の再開である。すでに終わってしまった学期については、オンラインでお茶を濁されて不満な授業に関してはやり直しを請求すればいい。学期中にやるのが難しければ、夏休みなどの長期休暇期間を使って集中講義の形で行えば問題はない。本当に学費分学びたいというのであれば、それが正解のはずである。正直それだけやっても、授業だけで勉強していたのでは学費の分は取り戻せないと思うけど。

 大学というのは高校までと違って、自ら学ぶべきことを見つけて学ぶ場である。だからこそカリキュラムにはゆとりがあってさまざまな選択科目を選べるのだし、それぞれの講義や授業でさらに深く学ぶための参考文献を紹介されたりもする。場合によっては先生の書いた本が教科書になることもあるけれども、その中には当然参考文献が挙がっているから、授業で学んだこと以上に学びを深めようと思えばある程度は個人でも可能である。もちろん理想は授業の後に自ら学んだことについて先生に質問したり相談したりできることだけど。
 だからこそ、学生であるなら、学びを求める学生であるなら、授業のオンライン化以上に図書館が使えなくなったことに対して憤るべきである。もしくは図書館が使えなくなっていること、オンラインで図書の閲覧ができるようになっていないことを理由に学費の返還を求めるのならまだわからなくはないが、そんな報道は寡聞にして知らない。

 それから、これは別の記事だったけれども、アルバイトが減った学生の窮状を訴えようとする記事を読んだときには開いた口がふさがらなかった。授業がない上にアルバイトに入れる日も減ってすることがないとか言う学生には、勉強はしないのかと問い詰めてやりたくなる。学生なんて、それが生活のためにアルバイトをしなければならない学生であっても、学問が本業でその合間にアルバイトを入れるものなはずなのに、アルバイトの合間にさえ勉強していない印象を受けてしまった。
 大学の授業も休講で、アルバイトもないのなら、自分の学びたいことを学べばいいのだ。仮にも学生であるなら大学の教科書以外にも何冊か専門書を持っているはずだし、専門書は一回読んだだけで理解できるようなものではないのだから、開いた時間を使って読み込むことで卒論の研究につなげるなり、卒論のテーマを決めるのに使うなりできるだろう。いや、卒論のテーマ、題目を決め書き上げつのために読み込まなければならない文献の数を考えたら、悠長にアルバイトなんかしている時間はあるのか。

 記事で取り上げられていた学生が何を専攻しているのかは覚えていないけれども、文学専攻であれば、「日本古典文学全集」とか「日本古典文学体系」とか、卒論とは関係なく気になる作品を読むのも学問の幅を広げてくれるだろうし、そんな本は持っていないし買う金もないと言うなら、国会図書館がオンライン公開している本の中にも古典文学の作品はあるわけだし、ちょっとジャンル違いで「国史大系」を読んでもいいじゃないか。『大日本古記録』も『大日本史料』も東大の史料編纂所がオンラインで無料で公開しているし、大学なんかなくても出来ることはたくさんある。もちろん大学の図書館が利用できるのが一番だけど。

 勉強しない学生が存在してはいけないと言うつもりはないけれども、この記事に登場した人は、金銭的に恵まれない中、何とか大学に進学して、大卒の資格を手にいい仕事を見つけたいと考えている人として描かれていた。少なくとも、記事を書いた人がそういう意図で書いたように読み取れた。ならば、大学を卒業することで満足するのではなく、出来るだけ多くのことを学んで、優秀な成績で大学を卒業する必要があるのではないのか。
 優秀な成績が、いい職を保証するものではないとはいえ、多くの知識を身につけることとともに就職の可能性を広げることは確かだろう。それなのに、バイトがないことを嘆くというのは、正直理解できない。まあ、この辺は本人の実際の考え以上に、記事を書いた記者の考えが現れていたのかもしれないけど。

 大学生には、脱線することはあっても、本質的には学ぶことを本業とするような存在であってほしいと思う。仮に大学の授業はサボったとしても、自分の学びたいことを学べるのが、学費を払って手に入れる時間なのだから。その意味では大学に求められるのは、学生がさまざまなことを学べる環境を整えることであって、無理やり卒業させることでも、授業に出ているかどうかをチェックすることでもない。
2020年9月29日23時。









posted by olomoučan at 05:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/10237251

この記事へのトラックバック
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。