2016年05月29日
半村良(五月廿六日)
この希代の物語作家の名前を知ったのは、中学生の頃だったか、高校生の頃だったか。どのようにして知ったのかにも確証が持てない。
一つの可能性は、NHKのドラマで見た「下町探偵局」の原作者として、半村良を知ったというもので、もう一つは当時あれこれ読み漁っていたSF小説のあとがきや解説で言及されていたのを読んだという可能性だ。特に栗本薫が『グイン・サーガ』を百巻書くと言い出したきっかけが、半村良が『太陽の世界』を八十一巻で構想しているのに対抗してだという話を読んだのは覚えている。しかし、どうして、その時に『太陽の世界』に手を出さなかったのかは今でも謎である。
それから角川映画の「戦国自衛隊」がテレビで放映されて、同級生たちの間で話題になっていたのも、このころだったかもしれない。当時はいっぱしの左翼気取りだったから、自衛隊という言葉だけで見る気になれず、当然原作を読むこともなかった。自分のあのころの愚かさを考えると、『太陽の世界』や『戦国自衛隊』を読んだところで、後に大学生になってから読んだときほどの感動を得られたかどうかは怪しいのだが、残念な気持ちを抑えることはできない。
大学に入って知識の量も幅も深さも高校時代とは段違いになり、交友関係も大きく広がったことで、自らの井の中の蛙っぷりを思い知らされた結果、SFファンとしての偏狭さが次第に薄れていき、思想的にも左翼からは離れることになる。大学の自治会だったか学生会だったかの言っていることが、あまりにばかばかしくて、政治的な論争に興味が持てなくなったのである。思想的には、その後、平安至上主義者を自称して、京都の街を更地にして平安京を再建しようと半分冗談で主張したり、奈良の平城京址で発見された長屋王の邸宅の上に建てられたデパートを破壊せよと叫んだり、うん、やっぱりこのころも愚かである点については大差なかった。
現在では穏健派の民族主義者を自称しているのだけど、穏健派というところで鼻で笑われてしまう。どうも過激な英語排斥論者、もしくは日本語、チェコ語至上論者だとみなされているらしい。これでもずいぶん穏健になったつもりなんだけどねえ。
とまれ、SFファン特有の偏狭さから開放されたことで、読書の幅も広がった。高校時代までは、なぜか読んでいなかった田中芳樹の『銀河英雄伝説』も、眉村卓や筒井康隆のジュブナイル小説も、それこそ手当たり次第に読み進めていった。その濫読の一環として、半村良に手が伸びるのはいわば時間の問題だった。
確か最初に読んだのは『産霊山秘録』だった。いや、これ、多分高校のときに読んでいたら理解できていなかったわ。本能寺の変という日本の歴史上、最大の謎の一つを、「ヒ」の民という太古には皇室の上にあり、皇室を守るために忍びとして活動している集団を設定することで解いてみせるのには、フィクションであることは重々承知でありえたかもしれないと感動してしまった。柳田民俗学が扱いきれなかった農民以外の人々に焦点を当てて一世を風靡し始めていた網野義彦の歴史学につながるものを感じ、それがすでに70年代の初めに書かれていたことに驚愕した。
正直な話、中盤から後半にかけては、豊臣秀頼生存説とか、鼠小僧伝説とか、いろいろなものを取り込みすぎて、ちょっと迷走してしまった感もあり、面白さは最初の部分を読んだときに期待したほどではない。それでも、高校時代に読み漁ったいわゆる純文学系統の作家の作品よりははるかに面白かったし、学ぶ点も多かったのだけど。この特異な存在を設定することで、歴史そのものではなく、その読み方を変えてしまおうというのは、刺激的だった。
そして、初期作品の『石の血脈』から、『黄金伝説』『英雄伝説』などの70年代の作品を経て、80年代の『岬一郎の抵抗』、90年代の終わりに書かれた『飛雲城伝説』に至るまで、本屋、古本屋を回る時間をつぎ込んで、手を尽くして買い漁り読み漁ったのだった。
不満は一つ。作品が終わってしまうことだった。いや、正確に言うと物語が始まり、広がっていく部分は、読むのをやめられないぐらいに面白く、これからどこまで面白くなっていくのだろうと大きな期待を抱かせるのだが、物語を終わらせるために話をたたみにかかる部分に入ると、前半で期待したほどの面白さではないことが気になり始めることだ。初読ではそこまで強く感じないのだけれど、繰り返し読んでいくうちに、気になるようになっていく。特にそれは、執筆が長期中断し、中断後に何とか完結させた作品において顕著である。
関が原で戦いに負けた主人公が出雲の阿国の子供を連れて真田幸村の娘と共に旅をする『慶長太平記』も、戦後の焼け野原における戦災孤児たちの奮闘を描いた『晴れた空』も、古代地球に不時着して埋もれていた宇宙船に乗って選ばれた地球人たちが宇宙に向かう『虚空像王の秘法』も、未完となった『飛雲城伝説』も、前半を読んでいるときの幸福感は、後半に入って終わりに近づくに連れて薄れていってしまう。
これは、おそらく半村良本人の言葉を借りれば、終わることを拒否する物語という伝奇小説そのもの抱える問題なのだろう。その意味では、神々との戦いが始まってこれからというところで終わった『戸隠伝説』や、物語を広げては閉じ、広げては閉じを繰り返しながら18巻まで書かれ中断してしまった『太陽の世界』あたりのほうが、完結してしまった小説よりも幸せな小説だといえるのかもしれない。
5月27日14時30分。
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