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2019年11月17日

永延元年六月の実資(十一月十五日)



 永延元年六月の実資は、先月末以来の痢病に悩まされているところから始まる。仮文を提出して出仕していないため、全体的に記事が短く、内容にも乏しい。実資邸の外の出来事については、特に伝聞の形式で書かれていなくても、訪れた人から聞いた話だと考えたほうがよさそうである。

 一日は、まず雨乞いのための使者が、十八の神社に送られたことが記される。数から考えると平安京周辺の神社であろう。五月に行なわれた雨乞いの使者の発遣、雨乞いの修法は効果がなかったようである。また実資自身は病を押して恒例の賀茂社への奉幣をさせている。先月は穢れの疑いがあって中止したので、二ヶ月分の奉幣である。

 二日は、病気の話。たくさんの人がお見舞いに来ているが、実資の病は耐え難いものだったようだ。見舞いの客に会えたのかどうかが心配になる。

 三日は、朝方雨が降ったことを記す。雨乞いの効果が出始めたということか。ただしすぐにやんでいる。病状がよくならないので、さらに三日分の仮文を提出。お見舞いの客が四名。あまり知られた人はいないが、藤原景斉は、この時期『小右記』にしばしば登場する。

 四日は病気せいか、記事なし。

 五日は、太政大臣頼忠から、見舞いの手紙が来ている。また三日に続いて藤原景斉が来訪。

 六日も実資は病気療養中。見舞い客が多いが、特筆しておくべきは、蔵人の藤原兼隆だろうか。この人摂政兼家の孫で、父親は中納言道兼である。先月末にまだ元気だった実資が道兼を見舞っているので、その返礼であろうか。また兄の懐平など縁者も来訪している。

 七日も見舞い客あり。祈雨使の効果か、夜に入って雨が降る。太政大臣頼忠から再び見舞いの使いが送られている。頼忠の使者を務めたのは藤原知章か。六日の夜に内裏北部の桂芳坊小火騒ぎが起こったことを伝えている。

 八日になって、祈雨使の効果は高まり「風大いに吹き雨降る」というから、台風でも来たのだろうか。層に渡ってこの年帰国した藤原氏出身の僧「然が訪れる。これも病気見舞いであろうか。夕暮れ時に来て寺に帰れないということで、宿泊させている。伝聞で左大臣源雅信の邸宅で、藤原師長が崩れ落ちた建物の下敷きになったようなことが記される(別の可能性もあり)。これは風が強く吹いて雨が降った結果だろうか。

 九日は、記事なし。病状悪化であろうか。

 十日は、「赤痢未だ愈えず」ということで、「呵梨勒丸」を三十も服用している。『小右記』では、ここが初出だと思うが、以前「史料大成」版の『小右記』改題に、矢野太郎氏が、「呵梨勒丸」について、家伝の薬で小野宮家の人々の長命はこの薬のおかげかもしれないなんてことを書いていたので、自家で調合した丸薬なのだろうと思い込んでいた。念のために「ジャパンナレッジ」で検索してみたら、南方原産の果実であることがわかった。『日国』にも出ているから、大学時代にも調べて驚いたかもしれない。忘れていたけど。とまれ、これだけの数の「呵梨勒丸」(訶梨勒丸とも)を連日服用できるということは、小野宮家の財力の大きさを示しているのだろう。服用した後は「三四度快瀉」。「快瀉」というのが何ともいえないけど、その後は病状も落ち着いたようだ。末尾に病気快癒のために、証空を招いて加持を受けたことが記される。
 伝聞で宇佐神宮に一条天皇の即位を報告するため発遣される宇佐使に対する餞別の宴が行われたことが記される。使者となるのは藤原北家の時明。宇佐使は和気氏の五位のものの中から選ばれることが慣例となっていたが、このときは適任者がいなかったのだろうか。

 十一日は、朝方に雷雨。激しい雨が降っている。この日も見舞い客あり。藤原景斉など三回目で宿泊もしているので、見舞いというよりは、実資に外の情報を伝えるために定期的に訪問していたと考えたほうがいいかもしれない。
 病気のほうは、今日も「呵梨勒丸」を服用して出すものを出している。赤痢は止まったようである。医師の典薬頭清原滋秀が診察に訪れ、「今日能く瀉すれば」、明日は薬を服用しないようにという指示を残している。
 寛和元年に生まれた子供のためのものだと思われる印仏の供養を僧厳康にさせている。厳康は詳しいことはわからないが、この年、実資のために朔日の賀茂社奉幣や仏事に際しての斎食を務めている。

 十二日には、摂政兼家からの仰せ事を、藤原行成が伝えている。内容についてはわからない。この日は阿闍梨が二人来訪。僧義師を招いて病気快癒を願っての読経もさせている。
 
 十三日は、宇佐神宮を初めとする諸国の神社に、一条天皇の即位を報告するための奉幣使が発遣されたことが記される。実資は病気で休暇中のため、おそらくこれも誰かから報告を受けて書いたものであろう。

 十四日は、さらに三日分の仮文を提出。呵梨勒丸の服用によって鎮静化していた病が再発したのである。再度呵梨勒丸を服用したところ、「四度快瀉」したが、夕方は病状が悪化。僧たちに加持を行わせた結果か、夜になって落ち着いたようである。

 十五日は、小雨で暴風。祇園社への例年通りの奉幣と、聖天供を行っている。病の中でもこの手の行事は欠かさないほうがいいのである。実資がしたのは指示だけだろうけど。

 十六日、十七日は記事なし。病状の悪化であろうか。どちらかの日に追加で仮文を提出したものと思われる。

 十八日も、見舞い客の記事。大切なのは藤原信理が、中納言藤原道兼が見舞いに来るという話を伝えていること。これは、先月廿八日に実資が道兼を見舞ったことに対する返礼なのだろう。道兼の病がどんなものだったのかは不明だが、すでに実資を見舞えるところまで快復したということでもある。

 十九日は、再度三日分の仮文を提出。従兄弟の公任と、歌人として知られる実方が来訪。この二人の訪問には「来問」という言葉が使われているが、次の兄懐平らに使われている「来訪」とどう違うのか。わざわざ二つのグループに分けて書いているということは違いがあったということか。夜に入って大風。

 廿日も実資は外出せず、伝聞の形で、摂政兼家の邸宅で行なわれた仁王講について記している。特に来客があったという記述はないが、誰かから報告を受けての記述であろう。

 廿一日は、宮中の内供僧が立ち寄り、廿二日は阿闍梨が訪問。これもまたお見舞いであろうか。

 廿三日の夜になって実資は久しぶりに外出。実資の姉にあたる人が住んでいたらしい室町の邸宅に出向いている。話し合って決めることがあったというのだが、何だろう。実頼関係のことか、中宮遵子関係のことか。

 廿四日も夜になって室町に向かう。

 廿五日は来客の情報のみ。源俊賢が訪れているのが目を引く。

 廿六日は記事なし。

 廿七日も来訪者のことだけ。受領階級の人が多い。

 廿八日は記事なし。

 廿九日は、摂政兼家が左右の大臣を筆頭に公卿たちを率いて賀茂社参詣を行ったことが記される。ここも伝聞の形が多く、実資は同行していないと見る。最後に「祈雨の賽あり」とあるのは、六月に入って雨が降り始めたことに対する感謝のための行事だろうか。

 卅日には再び仮文を提出。今回は病気ではなく物忌のためで、閉門し篭居しているから重い物忌だったようだ。夕方になって夕立が来たのか暴風と大雨に雷まで鳴っている。六月晦日の夏越の祓は例年通り行なわれている。

 一部、記事のない日があるため、断定はしにくいが、この六月、実資は一度も出仕していないように読める。勤勉な実資も病には勝てなかったのである。この時期は一条天皇の即位で、蔵人の入れ替えが合った結果、実資は久しぶりに蔵人頭の職を離れているので、比較的休みやすかったというのもあるのかもしれない。残念なのは、七月以降の記事が現存しないことで、いつ、どのように職場復帰したのかが読めないことである。
2019年11月16日22時。







◆◆現代語訳小右記 8 / 〔藤原実資/著〕 倉本一宏/編 / 吉川弘文館





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