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2021年11月05日

ハイキングシューズ

会社に1日出社して過ごすと6000歩強の歩数を歩く。
それは喫煙所が遠いから。在社中は4度喫煙所に行く。昨日書いたように左足の着地の時にペタンとなっているようで、左足を着いた時に少しゴムの音がする。
その音がしないよう、6000歩気を付けて歩いた。
しかしどんな歩き方をしても、左足を着いた時だけ音がする。

靴自体の問題かとも思ったが、右足をペタンと着地をすると同じ音がする。やはり左足の着地がペタンなのか。靴はテニスシューズのように平らな底。
踵を付けてから精いっぱい柔らかく足で地面を舐める。しかし踵を着いて足の親指で蹴るまでの間に音がする。
左足を着地するときの角度だろうか。それとも地面に向かう高さなのだろうか。
左足を意識して少し高い位置から着地すると音が小さくなった。踵が着いてから親指で抜くまでのスピードも関係あるのか。結局6000歩では原因が解らなかった。

今日はトレッキングシューズタイプを履いている。
明日の龍王峡はこれを履こうかなと。最初はジムの上履きに使っているジョギングシューズにしようかと思っていた。その靴が一番履きやすく動きやすい。あとはコインランドリーで洗えばいい。
そう思っていたが、それも面倒くさくなったのでこの靴を選んだ。
トレッキングシューズは底が厚く硬い。どうしてそうなのだろう、何か理由があるのだろう。この靴は受傷直前に買ったのだが、ただデザインだけで買った。どんな靴でも歩きやすさはそれほど気にしなかった頃だ。

多分ソールが硬いから小石などを踏んでも足裏を保護するくらいに思っていた。
それも大事だし、何か他に意味があるかもと思い調べた。
ソールが硬いのは疲れ防止なのだそうだ。柔らかいソールは足が屈曲するので歩きやすい。ジョギングシューズがそう。まさにその屈曲する歩き方は今目指している歩き方だ。だが、その動作は足に疲労がたまるという。

確かにそうだ。昨日まで履いていたペタンコにの靴は、地面の接地は感じられるが踵の高さがないので地面を舐める感覚はいいのだが、忠実にそれを繰り返すと脚が疲れていた。
ここ数日の足の張りはそれが原因かもしれない。昨日は左足をかなり意識したので、夜中に左脚が痙攣した。神経損傷者は筋肉痛が麻痺や疼痛や痙攣となってでることがある。
今日の靴を履いて踵着地で地面を舐めて親指で蹴るという一連の動作はやりにい。ソールが厚いので地面に接地している感覚が無い。

トレッキングシューズタイプであって、トレッキングシューズではない。ローカットなのだ。今調べたらハイキングシューズのようだ。
龍王峡にはちょうどいい。去年はゴルフシューズで歩いた。
今日はこの靴に慣れよう。明日は本番、去年の龍王峡ハイキングから歩き方が良くなったのだ。今年も何か変わることを期待。
posted by shigenon at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年11月04日

謎の獣に怯える

週中に祝日があるとラクだ。ましてやいい天気だと。
火曜は居酒屋Q。月曜日に歩きは調子良かったのだが、火曜日は良くなかった。でも案の定、呑みに行く足取りは軽やかだ。また歩きながらマスクの下で笑ってしまった。脳が喜ぶ。
この「歩き」、ここ最近は左足の着地と蹴りで評価している。受傷して長い間、左足がペタンと着いていた。これを克服できたのはこの1年くらいか。ほぼペタンは無くなったと思っていた。

それは踵着地の母指球で蹴るということを意識したから。
でも、足の調子が悪い時…それは両足なのだが、着地時に左足ペタンは起きる。底がペタンコの靴を常時履くようになって気になりだした。
ジョギングシューズのような踵があるタイプは歩きを助ける。靴の機能がこの身体になってからよく解るようになった。これまではデザインや色でしか選んでいなかった。

右脚の痺れは少しある。前々回の鍼でほぼ消え、前回のふくらはぎ50本の鍼でまた痺れを感じるようになった。ただ、その前よりは少し少ないか。
歩いていて右下腿の痺れは気にならない。脚を動かすエンジンは上腿で、下腿は機械的に反応するだけだ。
ペタンとならないように歩く練習をかなりしたのだ。まずは分析。左脚をおろす時にどこかが我慢できずに早く地面に着こうとするのか、足首が弱い可動なので踵だけで着地できないのか。
その両方だった。
そういうチェックポイントを持っているから、左足ペタンの状態になると“歩きが悪くなった”という評価になり、原因と対策を考える。

昨日、洗濯をしようとしたら洗濯機の横のすき間に動物の糞がある。
まただ。実は梅雨前もそうだったのだ。謎の獣。糞で判別すると猫ではない。糞を片付けたのは2回。それ以降は洗濯機を壁に付け、空いた空間には空き缶を置いた。
それでしばらくは来なかった。
晴れ渡った気持ちの良い日、糞の片付けをした。そして洗濯機のすき間には非常時のはしごを置いた。これですき間には入れないはずだ。

その時に洗濯機を動かした。水道と洗濯機を繋いでいるホースの位置がずれたとたんに水が漏れ始めた。
水道蛇口にネジで止めるタイプだ。後で調べたがニップルというらしい。
外してドライバーで付け直す。余計に水漏れがする。もうゴムパッキンが硬化しているのだ。
良かった、前の洗濯機のホースをそのまま取り付けていたので、今の洗濯機に付いていた新しいニップルがあった。
そういう作業をしていたらもう何もやる気がなくなった。ビールを呑むくらいだ。

火曜日に父親は腎臓の病院へ行った。来週、石を取るらしい。
母親と話しただけなので、どうやって石を取るのかは理解していない。簡単な治療であればいいのだが。
毎日電話をしているが、前のように認知症のような症状はないようで安心。
さあ、今日と明日をこなせば休日。この土曜日には再び龍王峡ハイキングにチャレンジだ。
posted by shigenon at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年11月02日

自己肯定感を味方にする

昨日はタバコロードの往復もしっかりだった。
前はこんな状態の時に“走れる”と思ったのだろう。しかし今日は状態が変わった。
最近は2時とかでなく4時過ぎに目が覚める。5時50分のアラームだ、中途半端すぎる。それでも1時間弱を再び寝るのだが、今日目覚めた時に右脚の痺れが強かった。
太ももから下腿、足裏までが強い痺れ。3週間前までの痺れの強さか、しばらく痺れがなかったから程度が解らない。

かといって歩けないわけではない。歩く動作は痺れを気にしなければ何ともない。
痺れ以外に肩の疼痛や腕も痺れている。気圧だろうか。(今、調べると関東地方は気圧の谷らしい)
まあ、何をどうしようもないのだ、ただ、このまま痺れが緩和するかと思ったがそういう訳ではないという事実を突きつけられた。
痺れている太ももや下腿をマッサージする。気持ちよく感じて少しでも痺れが緩和するポイントを知っておかないと。前脛骨筋を押すと足裏の痺れがマシに感じる。下腿全体はモモ裏か。
そんなことをしていたが、やはり大元の神経からの信号に拠るものなのだと改めて思った。

昨日も実家に電話した。
父親と話したが元気だ。やはりかかりつけ医が言うように、痛さとかで脳がパニックになって痴呆のような症状になったのだろうか。そういう症例を見てきた人だからこそ言えることなのだろう。
脳の働きについては思い付きで何度も書いているが、やはり脳の状態で身体の働きが決まることは興味深い。
これまでも書いたよう、脳を騙せれば身体の働きもコントロールできるかもしれない。

東洋経済オンラインのメルマガを配信してもらっているが、その中の記事で「うまくいっている人がしている自己肯定感を味方にするレッスン」という本が紹介されていた。
https://toyokeizai.net/articles/-/463505
勝手にリンクを貼っていいのかどうかだが。
つまり自分が喜ぶ環境を作っていくということなのだろう、すなわちそれは脳が喜ぶこと。
脳が喜ぶ状態にしたからと言って痺れが緩和されるのかどうかは解らないが、動きは軽やかになることは実証済みだ。これは居酒屋に行く日の帰り道だ。今日もだが。
痛みや痺れがあっても“何とか元通りになる”と思うポジティブな気持ちが改善させていることも実証済みだ。

父親は今日、腎臓の病院に行く。腎臓結石が早く無くなり、普通に生活できますように。
posted by shigenon at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年11月01日

急遽実家へB

金曜日の午前中に注文していた4点杖と立ち上がり用のバーが届いた。
立ち上がりバーは床から立ち上がるために購入したが、今の段階では床の位置になることはない。軽くて持ち運びが便利なのでベッドの横に置いて方向転換用に使う。

その4点杖の上下のバーを両手で掴んで上手に歩けるようになった。
この歩き方がいいのかどうかは判らないが、一人で歩くにはこのやり方しかなかった。普通の杖では危なっかしい。ただ後ろを付いて行かないと危ない。
天気も良いので外に連れて行った。家の裏に公園がある。そこから父親が作っている畑が全貌できる。畑が父親にとって毎日のやりがいだったのだ。
シートをかぶせているホウレン草に水をやれとかという指示に従う。

昨日の痴呆の時の記憶があるのかと聞くが、全く覚えていないようだ。
昼から再びケアマネが来てくれた。
介護の契約だ。同時に入浴介助の人も来てくれた。驚いた。若くて美人でスレンダーな女性なのだ。
ちょっぴり父親が羨ましくなった。
父親はお風呂好きだ。湯船に何十分も入る。残念ながら湯船には疲れる状態ではないので、バケツを2つ用意して、身体を洗ってもらっている時に足湯ができるようお願いした。

入浴介助が終わり、皆がいなくなったらまた昨日のような状態にならないかと心配した。
新聞は隅々まで読む人だったのだが、手にするものの読んでいない。
ケアマネが言っていたが、口を動かさないと嚥下障害などが起きやすいという。口の筋肉が劣るようだ。もともと歌が好きだった。民謡のサークルに入っていた。
だがそのサークルが解散したようで、そこから歌は歌わなくなったと母が言う。これまでは誰もいないリビングでカセットに合わせて練習していたのだ。
カセットを手の届く範囲に持ってくるが興味はないようだ。

金曜日は安定していた。
ただ一つ難がある。便がでないのだ。尿管を繋いでいるから小の心配はない。トイレに入るという習慣が無くなったことも影響しているのだろう。何度かトイレに座ってみたが出ない。
木曜日からは整腸剤を飲むようにした。

どうしても母親にキツい言葉をいってしまう。
一生懸命やってくれている。ただ何かが抜ける。それは仕方ないのだ、母親も83歳なのだ。
例えば父親が飲む薬。内科や整形外科で多くの薬がある。それを朝飲む薬、夜飲む薬と一つの袋に分けているのだが、朝・昼・晩と飲む薬を別にしていて朝に飲ませるのを忘れているとか。
キツく怒ってしまう自分に腹が立つ。一生懸命に父親のことを想っているのは同じなのだ。
金曜の夜に母親の肩を揉んで上げた。せめて自分ができることだ。

土曜日。
様子が安定していたらこの日に東京に戻ろうと決めていた。
父親はちゃんと意識もしっかりしているし、歩くことも何とかできる。この日も公園まで行った。調子よく歩けると動きが早くなる。歩けると思うのだろう。出来ると思っても気を付けないといけないのだ。これに関しては自分の方が経験ある。
畑を見渡せる公園で畑の作業を母親に指示していた。はいはい、監督さんと言いながらやる。

昼に姉の亭主が駅まで送ってくれるために来てくれた。
もう父親は車の運転を諦めなければいけない。今年、免許を再更新したのだが。
次に腎臓の病院には姉の亭主が連れて行ってくれる。病院に伝えるべきことを紙に書いていることを告げる。後ろ髪を引かれる思いなのは確かだ。だが、できることはした、後は父親の回復力だ。
帰りの新幹線でビールとハイボール。東京に着いて家に荷物を置いて居酒屋Qへ。20時過ぎには家に帰った。色んな事があった、21時には疲れてベッドに入った。

日曜日、家事や掃除機を終わらせジムへ。
ジムから帰って実家に電話をする。母親が出た。変わりないどころか、調子が良く歩くスピードが速くなったという。父親に代わってもらい釘を刺す。速いことがいいのでなく、ゆっくり安全に歩行をすることと。
とりあえずは一安心だ。

自分の身体の状態。脚の痺れは緩まっている。足先の感覚が先週よりはいいようだ。
posted by shigenon at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月29日

急遽実家へ@(長文)

今、実家で書いている。
26日の火曜日、早く仕事を切り上げジムに行っていた。ふくらはぎの鍼が落ち着いたので刺激を入れようと。
帰宅して料理。レンジでできる焼き豚、豚バラ肉300gを買って作った。
その時にLINEに気づいた。姉からだった。

父親がおかしくなっていると。尿がでなく尿管をつけてもらったと。そして言動もおかしい、動けなくなっているとも。
すぐに電話したが出ない。実家の母親に電話した。
父親は夜中にトイレに行きたいが全く動かない。ふとんに父親を乗せてトイレまで廊下を引きずったこと。結局尿が全く出ず、近所の医院の紹介状を書いてもらって病院の泌尿器科に行ったこと。
その話を聞いていると姉から電話が折り返しかかってきた。

姉が言うには、尿管を付けたが、そのあとの状態として様子がおかしいと。何十年も前のことを急に言ったり、手を急に動かして畑に種を植えていると言ったり。
身体が動かなく尿が出ないのは、脳が何か異常な状態ではないかと。脳出血か脳梗塞か。
それで水曜日にもう一度近所の医院に行って脳神経科への紹介状を書いてもらおうかと。その考えには全く同意だ。尿がでなくなるだけでボケた症状。逆を考える。脳に異常があるから尿もでなくなっているのではないかと。

水曜日は仕事の予定があったので、木・金と休んで実家に帰ろうかと思った。
でも思い直した。父親の一大事だ、水曜日の早い新幹線で実家に帰ることにした、水曜の予定は社内のことだ、いつでもできる勉強会だった。
300gの焼き豚は、切りにくかったこともあってその日に食べた。煮卵2個も作っていたのだが、1個食べて翌朝に1個。その日は夜中に目が覚めたが、それから寝られなかった。かなり胃がもたれた。

水曜日の午前に実家についた。
途中の大きな駅で幼いころ、父がよく買って帰ってくれていたたこ焼きを途中下車して買った。なんでだろう、父がボケていてもそれを食べたら正気になるような気がしたのだ。
いつも地元の駅に着くと父が迎えに来てくれていた。つい先月帰った時もそうだったのだ。
タクシーで実家に向かう。

実家に着いて父は僕を見上げると一瞬驚いたようだった。誰か判ってはいるようだ。
普通に話ができる。別にボケてはいないようだ。ただ、顔が急に老けたように感じた。
姉が昼休みに実家に来た。昨日はこんな様子じゃなかったという。何を言っているか解らない話をしていたらしい。
夕方、姉と二人で父を連れて近所のかかりつけの医院に一緒に行く。家から2分程の距離。この医院の医者は、尿が出ないと行った父の様子がおかしいのに気づき、翌日の朝に家まで寄ってくれたり、次の日に電話もくれたりしている。この医者のお父さんに、僕の子供時代にはお世話になっている。
その前に町の社協で車いすを借りに行っていた。もう父は歩けなかった。

父親はずっとこの医師に診てもらっている。だから医師も父親の状態をよく知っているのだ。
尿が出なかったのは病院の検査で腎臓結石と前立腺肥大だと報告する。肝心なのは歩けないこととボケの症状だ。
医師によると、この89歳という歳になるとふだんやっていることを2日やらなければもうその機能が衰えるという。ボケた状態になったのは、それもあるし、腎臓結石による急激な痛みでパニックになるとそういった症状になるという。
痛みで脳がパニックになり脳が機能しなくなるというのは高齢ではあり得るのだろう。そんなことばかり考えている自分にとっては説得力のあるコトバだ。
父も医師の前ではすごくしっかりしている。結局、脳の検査のための紹介状は言い出せなかったし、このしっかりした父の状態では必要性もないように思った。

その日は車いすに乗ったが、医院から帰ると杖で歩いたりもできた。
リビングから食卓まで杖で歩けた。
医院に行っているときに母親は自分のケアマネージャーに相談の電話を入れ、翌日の木曜に来てくれることになった。トイレに行くときにふとんで引きずる状態だったことを伝えたようだ。
この時点でそのケアマネは介護ベッドの手配をしてくれた。
このケアマネも父を知っている。だからこそ、こういう状態になったらもう要介護認定になると確信したのだろう。

そんな状況で帰省した水曜日は終わった。
posted by shigenon at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月26日

臨床事例を増やす

ふくらはぎの張りは少しずつ収まってきた。
昨日帰って酒を呑んでいてふくらはぎが柔らかくなっていることに気づいた。家ではソファに座り、右足を上に組んでいる。いつもふくらはぎは左の膝で押しつぶされている。
これが良かったのかどうか。
左脚と比べてもかなり柔らかい。やはり時間とともに変化した。

歩く感覚はいいのだ。足を上げて足裏で着地し親指から抜けるよう軽く蹴り上げるイメージで歩く。右下腿が痺れていようが、足裏の感覚が無かろうが歩く動作は変わらない。感覚が無くても違和感をもたずにこの動作ができるよう習慣づけた。これが長年のリハビリの成果ともいえる。
この歩く動作でどこかに痛みを感じることはない。

痺れや痛みがあっても、治療とか筋トレによって刺激が入ってその種類や感じ方は上書きされる。前はどうだったっけと。
先週はふくらはぎなど右下腿の痺れや痛みはほぼ消えた。今は消えていた部分が、押せば痛い。
痛いと言っても、よく肩こりの状態で凝っているところを押すとキューっと感じることがある。その感覚だ。その痛みを感じる箇所が随時変わる。
この痛みは押さない限りないし、歩くことに不自由はない。ただ痛みが何を自分に訴えているのかが解らないのが気持ち悪い。
一般的に痛みは危険を知らせる信号だ。

それが中枢神経に障害がある人の症状ですよと明確に言ってもらえたらラクだ。
たぶんそうなんだろうと思うが、それを明言できるドクターはいるのだろうか。自分がその状態にならないと言えないような類のことだ。頚髄損傷のドクターは間違いなくいると思うが。
ただ、中枢神経の障害による症状は十人十色だ。

今日はジムで筋トレをしてみる。
刺激を入れることでどう変わるのか。やってみないと判らないが、臨床事例は増やしたい。
posted by shigenon at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月25日

ふくらはぎを攻める

金曜日はいつもの如く居酒屋Qへ。
脚の調子はいいのだが、1週間の勤務で疲れがある。特に何か一生懸命に働いたわけでなくても疲れは来る。眠くなって20時半くらいに帰宅。
帰宅するともう何もすることはない。ベッドに直行なのだが、この日は腹が減っていたようでカップ麺を食べる。起きるとカップ麺を食べたことを忘れていた。
これは酒が弱くなったのだろうか、それとも老いなのだろうか。

土曜日はジム。最近レッグカールの35キロが辛い。この数か月だ。レッグカールはモモ裏だ。チカラを入れづらい。思い当たるフシはないのだが。重く感じる時は荷重を下げた方がいいのだろう。勢いをつけてマシンを動かすのはあまり効果がない。
脚の調子のいい時は脚の筋肉が柔らかい。ストレッチをしていて感じる。特に痛みを感じるところはない。

鍼に行ってセンセイに先週の鍼後の状態について報告。これまでの中で一番効果を感じられたのだ。
一体何が良かったのかという話になるが、それはセンセイも判らない。毎回同じように打ったからといって同じ効果にならない。身体は変化する。その時に気になって目についた箇所を打つのだ。
ただ思ったのは、ふくらはぎに多く打った鍼でふくらはぎの痛みが緩和され、足首の鍼で足首の可動が良くなって足裏や甲の痺れがマシになったように思う。

土曜日の鍼。先週と同じく下腿、足首。
うつ伏せでは、これでもかという位にふくらはぎへの鍼。先週良くなった原因だと思われた。ふくらはぎだけで50本の鍼。集中鍼だ。ふくらはぎに弓矢で打たれ続けているイメージが頭に浮かぶ。
終わってすぐに居酒屋Q。呑んでいる時は鍼の効果などは感じやしない。鍼による身体の効果よりも脳がリラックスしている。
酔って帰ってすぐ就寝。

夜中に目覚める。ふくらはぎが熱く痺れている。足首から先はそれほど痺れていない。
ふくらはぎの鍼が多すぎたのだろうか。先週1週間は寝ている時の脚はほとんど痺れを感じていなかったのだ。ふくらはぎの筋肉が硬直しているように感じる。筋肉痛に近い。
鍼を打つと色んな変化がある。打ってすぐに柔らかくなることもある。筋肉がどのように反応しているのかは解らない。筋肉に緊張状態が生まれたのだろうか。

どちらにせよ痺れが戻ったことは悲しいが、それほど酷くはない。
鍼を打ったことで変化があったのだ。この筋肉の張りも永遠に続くものではない、その後にどう変化するかだ。
センセイはよく言っている。「いっぱい打ってれば“当たる”時もあるんですよ。打ち過ぎて悪くなることはめったにないですから」
これはホンネだろう。常にどう打ったらいいかを考えている人だから言っていいコトバだと思う。
posted by shigenon at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月22日

一番乗りの会社で

会社には一番乗りだ。
コロナ禍のフレックス勤務、7時半から16時半。オフィスに入るとブラインドを開ける。
こんなことは後から来る若い子にやらせればいいのだが、昨年定年退職した一番乗りの人がやっていたから仕方なくやる。

重労働だった。ブラインドの数は16個。
普通の人は簡単だ、ただ面倒くさいだけ。紐を持って下へ送り出すという簡単な動作が可動の悪い左腕にはキツかった。
それもリハビリだと思ってやっている。今日、そんなことを想いながらブラインドを開けていたが、前よりもずいぶん早くなった。手の送り出しがスムーズになったのだ。
いやいや、普通の人よりは下になった左腕を素早く上に上げることは遅いかもしれないが、前はもっと手間取っていたのだ。

ブラインドを上げ終わったらコーヒーの準備。デリンギのマシンの水補給と皿の溜まった水を捨てる。
人のためではない、自分がすぐに飲みたいのだ。
そういう朝の作業が15分くらいかかる。仕方なくやっていることだが、それらを動作のリハビリと考えたら確実に上達している。

受傷後、実際の生活においてやらなくていいことはやらなくなった。
それは思うように身体が動かないからだ。必要最低限のことだけだ。ブログを書き始めて鮮明に覚えているのが扇風機の組み立てだ。苦労していたこととタイトルを鮮明に覚えている。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/188/0?1634859275
3年前の状態を読み返すと今は身体の可動がかなり良くなったのだと思う。
良く感じたり悪く感じたりする神経の症状は繰り返しだ、それをもって症状固定というコトバは正解なのだろう。

身体の可動が変わることが生活の質を変える。
痛い・痺れるといった症状さえもある程度コントロールできる。
「症状固定」にとらわれ、イタイイタイ、シビレルシビレルと言っているだけでは何も進まない。
posted by shigenon at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月21日

流ちょうに英語を話して力強く歩く

英会話は続いている。
月に8回なのだが、これがなかなか多く感じる。休日に1回としても、平日も1回はこなさないといけない。
お気に入り講師をブックマークし予約する。もうA講師とは2年以上か。
講師をどう選ぶか。それは顔写真とプロフィールが一覧になっている。顔写真で選んだ。

選んだ講師でレッスンを受けて初めて合う合わないが解る。
レッスンだから当たり前なのだが、発音を何度も注意した講師はお気に入りから外した。英会話の学習なのだ、それはいい講師なのだ。でも楽しく笑いながらレッスンをしたい。厳しそうな女子は苦手だ。
テキストに沿って会話をするが、いつも何かネタを仕込む。講師を笑わせたいのだ。人を笑わせたいのは関西人としての血か。
その仕込みも苦労する。英語で言わないといけない。翻訳サイトで前もって予習する。もちろんテキストも予習する。1時間前には予習をして、テキストを暗記する。
いいカッコしいなのだ、流ちょうに会話できるフリをしたい。

Aさんを予約していても、トラブルで違う講師になる時がある。
そういう時は違う講師が勝手に選ばれる。今、お気に入りにブックマークしている他の2人は、それが縁で受講し気に入った講師。BさんとGさん。
Bさんはとにかく笑う。いつも笑っている。Bさんのレッスンを受けた後は何かハッピーな気持ちになる。Gさんはまじめで丁寧だ。不思議なのだ、講師が違えば自分の英語の発音も変わる。Gさんのレッスンをしていると上手な英語を話せる。昨日はGさんだった。

身体の調子。
先週の鍼で奇跡のように痺れが無くなったのはその夜だけ。しかし右下腿の痺れはずいぶん少なく感じる。昨日の昼はやはり痺れているなと感じた。
昨晩、いつものごとく深夜や早朝に目が覚めるが、目が覚めた時に右下腿の痺れはかなり少なかった。
横になっているからだろうか。これまでと比べると半分以下の痺れ。
痺れと身体の動きは別だ。
いつものように歩く1歩1歩をチェックしているが、左足の着地がヘタだ。少しペッタンと音がする。
右足、前はもう少し力強かったように思う。
ただ、それも1日の中の時間による。帰りに駅に向かう時は力強い。

英語も講師によって変わる。歩きもシチュエーションによって変わる。
これを脳の働きと言わずして何なのだろう。
posted by shigenon at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2021年10月20日

コンパクトな生活

大体の平日の夜を家で過ごすようになったのはコロナ禍の少し前。
近所の居酒屋Yが閉店したのは去年の2月の最初だったか。特に新しく夜を過ごせる居酒屋を開拓しないままコロナ禍となった。

近所で落ち着いて呑める店はなかなかない。そうしているうちに居酒屋Qに行くようになった。だが、居酒屋Qは徒歩15分くらいなのだ。酔っぱらってもすぐ家に着く距離の基準は徒歩5分と思っている。ましてやこの身体の状態で酔っぱらって歩くことは避けたい。
これまでもそうだが、居酒屋での一人飲みは黙々と食べて飲むのではない。カウンターに座って店主と少し話ながら、また、隣り合わせた客との会話も楽しみながら時間を過ごす。
人と知り合う・人と話するのが好きなのだろう。
もう長年の飲み方だ。だからそういう雰囲気の店を探すし、一度行ったら長い付き合いになる。

東京に来てからは居酒屋Sには毎日行っていた。日曜日も。そこでは多くの友人ができた。
居酒屋Sの閉店後、居酒屋Yに行くようになった。毎日ではない。週に2回くらい。実はそれほど気に入ってはいなかった。マスターも客も居酒屋Sの時の雰囲気とはまるで違った。ただ家に近いというだけだ。
ただ夜の時間を潰すには良かった。居ても2時間程度。帰ってシャワーを浴びて寝るという規則正しい週2回のルーティンだった。

そのルーティンが無くなってどう夜を過ごそうかという時にコロナ禍のステイホーム。
緊急事態宣言が明け、感染者数が激減したからといって新たなホームとなる居酒屋を開拓しようとは思はない。
それは、新たに人との関係を作るのが面倒くさいということも大きな要因だ。

コンパクトな生活。
そう言ったら聞こえはいいが、もう58歳なのだ。自分の好きなことをやるだけで手いっぱいだ。
何かを我慢して将来に向けて修行することは、好きなこと以外に必要はない。
そう、好きな事だけでいいのだ。
新たな関心や新たな学びを放棄するわけではない。ただ基準は好きな事。
好きな事と言ってもなかなか出てこない。まずはイヤな事をしないということからのスタートだろうか。

まずは平日の夜をどう一人で過ごしたら快適なのかから考えないといけないか。
posted by shigenon at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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