立ち上がりバーは床から立ち上がるために購入したが、今の段階では床の位置になることはない。軽くて持ち運びが便利なのでベッドの横に置いて方向転換用に使う。
その4点杖の上下のバーを両手で掴んで上手に歩けるようになった。
この歩き方がいいのかどうかは判らないが、一人で歩くにはこのやり方しかなかった。普通の杖では危なっかしい。ただ後ろを付いて行かないと危ない。
天気も良いので外に連れて行った。家の裏に公園がある。そこから父親が作っている畑が全貌できる。畑が父親にとって毎日のやりがいだったのだ。
シートをかぶせているホウレン草に水をやれとかという指示に従う。
昨日の痴呆の時の記憶があるのかと聞くが、全く覚えていないようだ。
昼から再びケアマネが来てくれた。
介護の契約だ。同時に入浴介助の人も来てくれた。驚いた。若くて美人でスレンダーな女性なのだ。
ちょっぴり父親が羨ましくなった。
父親はお風呂好きだ。湯船に何十分も入る。残念ながら湯船には疲れる状態ではないので、バケツを2つ用意して、身体を洗ってもらっている時に足湯ができるようお願いした。
入浴介助が終わり、皆がいなくなったらまた昨日のような状態にならないかと心配した。
新聞は隅々まで読む人だったのだが、手にするものの読んでいない。
ケアマネが言っていたが、口を動かさないと嚥下障害などが起きやすいという。口の筋肉が劣るようだ。もともと歌が好きだった。民謡のサークルに入っていた。
だがそのサークルが解散したようで、そこから歌は歌わなくなったと母が言う。これまでは誰もいないリビングでカセットに合わせて練習していたのだ。
カセットを手の届く範囲に持ってくるが興味はないようだ。
金曜日は安定していた。
ただ一つ難がある。便がでないのだ。尿管を繋いでいるから小の心配はない。トイレに入るという習慣が無くなったことも影響しているのだろう。何度かトイレに座ってみたが出ない。
木曜日からは整腸剤を飲むようにした。
どうしても母親にキツい言葉をいってしまう。
一生懸命やってくれている。ただ何かが抜ける。それは仕方ないのだ、母親も83歳なのだ。
例えば父親が飲む薬。内科や整形外科で多くの薬がある。それを朝飲む薬、夜飲む薬と一つの袋に分けているのだが、朝・昼・晩と飲む薬を別にしていて朝に飲ませるのを忘れているとか。
キツく怒ってしまう自分に腹が立つ。一生懸命に父親のことを想っているのは同じなのだ。
金曜の夜に母親の肩を揉んで上げた。せめて自分ができることだ。
土曜日。
様子が安定していたらこの日に東京に戻ろうと決めていた。
父親はちゃんと意識もしっかりしているし、歩くことも何とかできる。この日も公園まで行った。調子よく歩けると動きが早くなる。歩けると思うのだろう。出来ると思っても気を付けないといけないのだ。これに関しては自分の方が経験ある。
畑を見渡せる公園で畑の作業を母親に指示していた。はいはい、監督さんと言いながらやる。
昼に姉の亭主が駅まで送ってくれるために来てくれた。
もう父親は車の運転を諦めなければいけない。今年、免許を再更新したのだが。
次に腎臓の病院には姉の亭主が連れて行ってくれる。病院に伝えるべきことを紙に書いていることを告げる。後ろ髪を引かれる思いなのは確かだ。だが、できることはした、後は父親の回復力だ。
帰りの新幹線でビールとハイボール。東京に着いて家に荷物を置いて居酒屋Qへ。20時過ぎには家に帰った。色んな事があった、21時には疲れてベッドに入った。
日曜日、家事や掃除機を終わらせジムへ。
ジムから帰って実家に電話をする。母親が出た。変わりないどころか、調子が良く歩くスピードが速くなったという。父親に代わってもらい釘を刺す。速いことがいいのでなく、ゆっくり安全に歩行をすることと。
とりあえずは一安心だ。
自分の身体の状態。脚の痺れは緩まっている。足先の感覚が先週よりはいいようだ。
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