アフィリエイト広告を利用しています
プロフィール
陽葵さんの画像
陽葵
陽葵は、ひなたと読みます。仏教が好きな仏教ガールです。一緒に仏教を学びましょう。
プロフィール
検索
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
記事ランキング
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ

2017年07月01日

おつとめの心がけ

質問 朝夕のお勤めで心掛けるべき事は?

また、してはいけないこと、しなければならないことは何ですか?

 

 

宿善が厚くなる、2番目の行いが朝晩のお勤め。
お勤めとは、親鸞聖人の正信偈

蓮如上人の御文章を拝読すること。

 

浄土真宗では、親鸞聖人、蓮如上人を大善知識として尊敬している。
だから、その親鸞聖人、蓮如上人の書かれたものを朝晩拝読している。
本当なら、親鸞聖人、蓮如上人のじかの御説法を聞かせていただくのがよいが、

お二人とも現代はおられないので、書き残されたものを拝読する。

 

直接聴聞するのに匹敵する大切な行い。
正信偈は、一行七字、百二十行。八百四十文字。
そこに込められた親鸞聖人のお心を聞かせていただく。

正信偈は、親鸞聖人が一字一涙の思いで書かれた。

 

一字一涙というのは、一文字書かれるごとに、何とか皆さんに早く信心決定し
てもらいたい、という気持ちを込められて涙を流されて書かれたもの。
正信偈に書かれてあることを読ませていただくと分かる。
初めの2行が大変大事。

「帰命無量寿如来 南無不可思議光」

 

北陸の方にいくと、真宗の盛んな家族が多い。
小さな子供でも「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と読んでいる。
意味は知らなくても拝読することが大事。
読書百遍、意自ずから通ず。
漢字を読めば何となく意味をつかむことが出来る。
読んでいるうちに意味が感じられるようになってくる。
ですが、正しい意味を知るに越したことはないので。

帰命、無量寿如来、南無、不可思議光。四つの言葉が組み合わさってできている。

 

帰命と南無という言葉は同じ意味。
南無というのは印度の言葉。それを中国の人が帰命という言葉に置き換えた。
日本語で言うと、救われた、助けられた、という意味。

無量寿如来というのは阿弥陀如来のこと。
不可思議光。如来という言葉が下に省略されている。
不可思議光、これで阿弥陀如来のこと。
どちらも阿弥陀如来のこと。

これは、親鸞聖人がまず御自分の体験を仰有ったお言葉。
いや、どこにも「親鸞は」とは書かれていない。
親鸞聖人の書かれた正信偈。
隣のおっさんが、ということでない。
自分のこと言うときに、私達「私が」というのは省略する。
「大学受かったよ」私がに決まっている。
いちいち「私が受かったよ」とは言わない。

二回仰有っているが、本当は三回でも百回でも千回でも言わずにおれなかっ
た。
阿弥陀仏に救われた世界があるんだよ、というお気持ちを込めて書かれた。
そして、どうして親鸞がこんな身に救われたのか、

その後に、釈尊、七高僧の事が書かれている。

「法蔵菩薩因位時〜」
それは阿弥陀仏が本願を建てて下さったから。
「如来所為興出世唯説弥陀本願海」
ここからお釈迦様のことが紹介されている。
「印度西天之論家〜」
中夏=中国。日域=日本
ここから七高僧が紹介されている。
龍樹大士出於世」
天親菩薩造論説」
印度の方。

本師曇鸞梁天子
親鸞聖人、鸞の字は、曇鸞大師からもらわれた。
親の字は、天親菩薩から。

 

道綽決聖道難証」
善導独明仏正意」
以上三方が、中国の方。

源信公開一代教」
「本師源空明仏教」
以上お二方が日本の方。

最後「道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説」
道俗。道というのは、お坊さん、お寺さん、仏法を説かれる人。
俗というのは、在家で仕事しながら仏法を聞いておられる方。
道俗で全ての人々。
時衆というのは、そのときそのときで集まってこられた人。
全ての皆さんよ、共に同心して下さい。
親鸞、阿弥陀仏に救われて、この幸せな身にしていただきました。

どうか皆さんも、この親鸞と同じ心になっていただきたい。

 

では親鸞と同じ心になるにはどうすればよいのか。
それは、唯斯の高僧の説、善知識の御説法を信じなさい。

仏法では聞即信という。

真剣に聴聞して下さい。それ一つだ。

聴聞に極まる。聞いて聞いて聞き抜きなさい。

聞くというのは信ずるということ。


これが正信偈にこめられている親鸞聖人の御心。

親鸞聖人が右へ行け、と仰有るのに、蓮如上人が左へ行け、

と仰有るはずがない。

 

親鸞聖人が右へ行け、と仰有ったら、蓮如上人も右へ行け、と仰有る。

親鸞聖人と蓮如上人は同じ事を教えておられる。


御文章は「あはれあはれ存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり。

まことに宿善まかせとはいいながら述懐の心暫くも止むことなし。

 

と教えられている。
信心決定あれかし。その為にはまことに宿善まかせ。

聴聞に極まる。

 

ですから、お勤めの時に心掛けることは、

こういう親鸞聖人、蓮如上人の御心を聞かせていただくんだ、ということを知る。

してはいけないこと、しなければならないこと。
お勤めの時にねっころがって。

これはどうか?

 

お勤めは、仏前、阿弥陀仏の前でさせていただくことだから、

できれば服装を整えて。

男性ならネクタイして。

 

 

家の仏壇が曹洞宗のもので安置されているのが釈迦仏。

それの前でお勤め、はダメ。

そういうのは雑行という。

雑行は絶対にしてはならない。

阿弥陀仏一仏。

posted by 陽葵 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8715545

この記事へのトラックバック