僧にして、法を壊つ者あるを視ながら、これを黙視し、更に呵責駆遣せざる者は、
この僧は、これ仏法中の怨なり。
若し、よく駆遣呵責せば、これ我が真仏弟子なり。
僧侶にもかかわらず、仏教に反する者があるのを黙って見ているのは、
憎らしい奴だ、最も嫌いだといわれています。
無気力で、消極的で退嬰的な者である、ということです。
ちょうど現在の日本の僧侶のようなものです。
自分の寺で、葬式か法事をしたらたくさんの人がやってきて
お金を置いていってくれる。
そして、「いい人ね、声がいい」と言われて、
「こりゃこりゃ」と。
そんなところで機嫌をよくしている。
当たり障りない、そんな調子で仏教は全然教えない。
そして人が寺に来ない、後継者ができないと言って泣いています。
経営が難しくなって駐車場や幼稚園の経営をやらなくてはいけない
と言って泣いています。
仏法者というのは
「苦しんでいるのは私のせいだ。苦しんでいる人がいるのは私の怠慢。
安逸にすごしていたらそれだけ人々を苦しめることになる」
と仏教を届けようとするものです。
仏教を知らない人、仏法を壊つ人がいるのを見て見ぬふりをしているものを
『黙視しているもの、仏法中の怨』と言われて、
仏教を知らないもの壊つ者を徹底的に破らなければいけないということで
破邪しなければならないと教えられた。
これを自利利他といいます。
他の人に仏教を伝えて幸せを与えると同時に、
自分も幸せになります。
また、自分が幸せになったら、独り占めしては勿体ない、人に伝えずにおれなくなります。
自利のままが利他になる、利他のままが自利になる、
自利利他の菩薩の道が、真の仏法者の精神だということです。
これはブッダのご遺言ですから、仏法者たる者、
私たち一人一人が、自分ははたして、見て見ぬふりする人か、
法を届けんとする者か、反省して振り返らなければなりません。
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