「私は最近、何をしても空しい心が胸を覆っています。
無気力な状態になってしまいます。こんな心でどうする、と思っても、
惑業苦を繰り返してしまいます。
どうすればこの状態を抜け出せるでしょうか」
という人があります。
まだ、仏教を聞き始めたばかりの時、
人生の目的は絶対の幸福だと聞けば、よしッと思うでしょう。
しかし、2千万の家でも建てるのは大変。
無碍の一道に出るというのはとても大変そう、
ほとんど私には無理と思えるものです。
いろいろの先輩に聞いてみて、
私の推定信心決定期間をコンピューターではじきだすと、
無限大、という天文学的な数字が出た。
書斎に入ると次から次へとやるべきことがある。やりたくない。
しかしやらねばたまっていく。私は一番やりにくいものから始めます。
そうすれば後が楽。
しかし、試験の時とかは、逆がいい。
確実に出来るものから着実にやる。
また私は、今日やることは絶対今日やります。
明日には絶対延ばさない。
私が昨年病気で倒れた時、執筆すべき原稿を
こんなこともあろうかと書いておいた。
そうすればあの人は約束を守る人だと思われる。
最悪のことを考えておかねばなりません。
後生の一大事に関しても同じです。
最悪の事態とは、今晩死ぬことです。
私は今までそうしてきたし、これからもそうしていきます。
楽な方に走っていけば駄目です。
しかし、もしも何もやる気になれない、ということになったら、
まずは身近なことから、簡単なことから、確実に手をつけていくことです。
どこからやればいいかわからない時は、出来ることからすればいいんです。
武蔵の剣法は、親分をまず見つけてからやるんですが、その逆です。
出来るところから、倒せるやつから倒す。
それが六波羅蜜です。
これは自分に合うと思うものからすればいいんです。
6つすべては無理だから、できるものをすればいい。
また一方逆に、今死んだらどうなるもたもたしておれん、
という気持ちも大切です。
ですから昔から「急いで急がず、急がずに急げ」といわれる。
ところがこれがなかなか難しい。
あんまり急いでも足を踏み外す。
だから一歩一歩大地を踏みしめて進んでもらいたいのです。
苦しいことがやってきたならば、それらは報われる苦労なんです。
はるかに私たちの方が幸せなんだということを見つめて、なおかつ、
根機にかなった身近なものから着実に進んでいく、これが大事になります。
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