行為のことをインドではカルマ、
中国の言葉では業といいます。
心と口と身体の業を、
身業、口業、意業といいます。
因果の道理を知らされれば、知らされるほど、
体で、善いことしよう、泥棒とか悪いことしないようにしよう
口でも、よいことをいうようにしよう、
人の悪口とか嘘をいわないようにしようとなります。
体や口の行いは人にわかりますから、
人を相手にしている人間は、
人からよくみられたいと思えば、
いくらでもよいことしようとします。
問題は心です。
心で思っていることは、誰にもわかりません。
わからないからといって
悪いことを思っていたら悪い結果が必ずきます。
人にわかるわからない関係なく、
因果の道理は間違いありません。
人相手の求道ではなく、
阿弥陀仏相手の求道をさせて頂かねばなりません。
阿弥陀如来は、誰がみていなくても、
どんなことをしているか、みておるぞ、
誰が聞いていなくても、聞いておるぞ、
心で思っていることも
誰にもわからないと思っているかもしれないが、知っておるぞ。
見ておるぞ、聞いておるぞ、知っておるぞというお方です。
人がみていようが見ていまいが
因果の道理は間違いありませんので、
誰もみていないからといって悪いことをやったら、
かならず、その結果はやってきます。
1年後、2年後、5年後、10年後、30年後、
未来世かもしれませんが、
必ずその報いを受けなければなりません。
因果の道理が知らされれば知らされるほど、
廃悪修善の気持ちが強くなります。
信仰のバロメーターです。
どれだけ生きる目的達成に近づいているか
というバロメーターです。
タグ:阿弥陀仏
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