祖師の恩 報い切れずに 時すぎる
救われた人なら仏教講座があれば、
ぜひ聞かせて頂きたいという気持ちになります。
それが救われたと言いながら、
聞く気持ちが薄くなったというのは、
親鸞聖人のご恩をどう思っているのでしょうか。
親鸞聖人が阿弥陀仏の本願を明らかにしてくだされたなればこそ
この身に救われることができたのです。
祖師のご恩を強く感じているから報いずにおれません。
だから仏縁の深い人は聞かずにおれなくなりますし、
伝えずにおれなくなります。
そして親鸞聖人のご恩、
信心獲得した人は
このご恩どうお返ししたらいいか
身を粉にしても、骨を砕いても、
の恩徳讃の気持ちになります。
それなのに、報いきれずに時が過ぎていきます。
どんどん時が過ぎていきます。
何としてもお伝えしなければなりません。
何としても本当の生きる目的を全人類に発信したい。
すべての人に救われて貰いたいという気持ちになります。
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