なぜ阿弥陀仏は一念で救うという本願を立てられたのでしょうか。
覚如上人の口伝鈔に出ています。
如来の大悲、短命の根機を本としたまえり。
もし多念をもって本願とせば、いのち一刹那につづまる無常迅速の機、
いかでか本願に乗ずべきや。
されば真宗の肝要、一念往生をもって淵源とす。
(口伝鈔)
口伝鈔のこのお言葉は
一念往生を教えられた覚如上人のお言葉です。
その中に「肝要」「淵源」というお言葉があります。
これ以上大事なものはないいときに使われます。
真宗の肝要の「真宗」は弥陀の本願のことで、
真宗の肝要というのは弥陀の本願の命ということです。
「肝要」「淵源」「至極」などの言葉は、
仏教では、最も大事なことを言うときに使われます。
「肝要」「淵源」は一念往生について使われ、
「至極」は願成就文について言われます。
このお言葉の後で、その根拠として
本願成就文をあげられています。
これは他の宗教にはない特徴です。
他の仏や菩薩の教えにはない特徴です。
弥陀の本願の命は一念で完全に助けるということです。
他の仏にはできないことが阿弥陀仏にはできます。
これが阿弥陀仏の本願を明らかにされた
浄土真宗においてこれ以上ないもっとも大事なことですよ
と言われています。
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