蓮如上人は御一代記聞書に
「まことに一人なりとも信をとるべきならば身をすてよ、それはすたらぬ」
といわれています。
一人なりとも信をとるべきならばとは、
仏法を伝えるときは、ということです。
身を捨てよですから、命をかけて法を説け
ということです。
仏教のお言葉を出して、その意味を丁寧に話をしていく。
みんなできることです。
そのように仏教の教えを徹底する事が法施です。
そうすれば、それはすたらぬ、これで生活できるんだろうか、
そんなこと心配いらん、と言われているのです。
どうしたら仏教の教えをお伝えすることができるか、
それ一つを考えてきた。
全く生活のことなど考えたことはなかった。
普通は
「算如がおうて銭足らん」
なのですが、
法施をしていくと
「銭が余って算如があわん」
となります。
どうしてこんなに恵まれるんだろう、ということの連続です。
それは当然です。
仏法をお伝えすることはただでダイヤモンドをばらまいているようなものですから。
本当ですか、と思うかもしれないけれど、そうです。
仏教をお伝えすることに生涯を費やすと、
恵まれすぎるほど恵まれます。
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