親鸞聖人が平太郎に送られた歌。
恋しくば南無阿弥陀仏を称うべし
われも六字の中にこそ住め
平太郎は親鸞聖人との別れが非常に辛かった。
その平太郎に対して。
信心決定した人は善知識に対して恋人以上の思いになる。
非常に善知識との別れが辛くなる。
その平太郎に対してこの私を恋しいと思うなら、
南無阿弥陀仏を称えなさい。
もちろんこれは信心決定して出てくる、お礼の念仏。
南無阿弥陀仏を称えたら、私も六字の中に住んでいますから。
信心決定した人は南無阿弥陀仏と一体になっているから。
これ全部南無阿弥陀仏。
頭叩いても南無阿弥陀仏。
手を叩いても南無阿弥陀仏、立った姿が南無阿弥陀仏。
信心決定したなら南無阿弥陀仏と称えたならば、いつでもあえる、どこでもあえる。
心は通じ合う。
肉体は離ればなれでも心はいつも一緒にいるような気持ちです。
いつでもあえる今でもあえる。
南無阿弥陀仏と称えたらいつでもあえる。
この信心決定は孤独地獄から救われた世界。
これを親鸞聖人は広大会と言われている。
大会衆ともいわれている。
信心決定の世界は広大会。
意味は広くて大勢の人がいる賑やかな世界。
心が通じ合える。
信心決定したならば、お釈迦さま、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人と心が通じ合える。
孤独地獄から救われているから、心であえる。
肉体は離ればなれでも何時でもあえるどこでもあえる、そう言う世界です。
諸仏の仲間入りするから。
正定聚。
間違いなく仏になることに定まった人達。
いつ死んでも弥陀の浄土のど真ん中に産まれることが今ハッキリするから。
諸仏の仲間入りを今させていただける。
そういう世界に生かされるから、そう言う賑やかな世界。
肉体はひとりぼっちでも心は日本晴れ。
南無阿弥陀仏と称えたならば、親鸞聖人といつでも会える、どこでもあえる。
信心決定したものだけが同じ兄弟だと喜べる。
先に信心決定した人は兄であり姉。
遅れて信心決定する人は弟であり妹。
それで信心決定した人は兄弟といわれる。
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