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2018年01月11日
新聞業界の過去と将来
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本日の朝日新聞オピニオン面で秋山訓子さんが「政治家の世襲 2世のはくゲタ、担う葛藤」という題で、自らが世襲批判をするときに「思考停止に陥って、ステレオタイプで見ていたかもしれない」と告白しています。
私が前に紹介した「小泉進次郎と福田達夫」という本を読み、福田氏に取材したそうです。(私の前の記事はこちらをクリックしてください)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13307395.html
秋山さんに対し、福田氏は「高げたをはかせてもらっているので、その分結果を出して当たり前だと思っています」と即答しました。福田氏の言葉を裏返すと、「結果を出せなければ、厳しい責任を取らないといけない」と言っているのと同じです。これは親や先祖から受け継いだ「気概」というものです。血筋に基づくものですから「貴族の義務感」と言い換えても良いでしょう。
お母様に代わり地元のあいさつ回りをした20代の福田氏に両手を合わせて拝む高齢者がいたそうです。私には福田氏のような経験はありませんが、この高齢者の気持ちは分かります。この高齢者にとって、福田氏はまさに「貴族」なのです。自分にとって神様のような存在である福田赳夫元首相の孫なのですから。
若い方にこういう話をすると、反発されるでしょう。しかし、現実として、こういう方々が多数おられるし、歳を取ると自分の祖先を敬う気持ちがますます理解できるようになってきます。
単純に反発するだけでなく、社会が何を基にして動いているのかを理解することに努めれば、就職活動が楽になると思います。だって、皆さんはそういう「社会」の一員になろうとして、就活というものをしているわけですから。社会の仕組みを知らないということは、ルールを知らないのにスポーツをやろうというのと同じです。
日本社会の一員になるなら、その中で通用する価値観を知らないといけません。日本社会を変えたいなら、まずその仕組みをきちんと理解した上で、社会のメンバーが理解できるように訴えていかないといけません。
それが面倒だと言うなら、暴力的に秩序をぶち壊そうとする勢力と同じです。
さて、昨日は「新聞記者は事実を重視する人々」だと記しました。https://fanblogs.jp/sagamimuneo/archive/37/0
本日、紹介した秋山さんはその代表と言えます。彼女は本を読んで疑問を抱き、当事者に質問をぶつけ、返ってきた答えを文字にしました。記者本来の仕事です。
ただ、例外もあります。
昨日も指摘したように、記者や新聞社の主張や思惑を優先した結果、誤報となった例はあります。
最近は開き直って、批判を受けている記者もいます。「エビデンス?ねーよそんなもん」と自著に書いた朝日新聞の高橋純子さんです。
高橋さんは社説を書いていたこともあるそうですから、有能な記者でしょう。好意的に解釈すれば、この本は個人名を記したコラムを基にしたものであって、論理よりも感情を優先させたから、このような表現を使ったということでしょう。
しかし、やはり新聞記者が書く文章としては、粗く、自殺行為に近い表現でした。Amazonの書き込みを見ても、酷評が目立ちます。
ただ、これも計算ずくなんでしょうね。高橋さんは、あえて刺激的な表現を使うことによって、世間の注目を集めたかったのでしょう。最近の言葉で言えば、一種の炎上商法といえるかもしれません。私だって、こうやって高橋さんの本を紹介しているわけです。「悪名は無名に優る」という有名な言葉があります。
高橋さんは総理番記者時代から、署名入り記事で当時の森喜朗首相に対して、情緒的な表現を使いながら批判していました。文体は若いときから変わっておらず、記者として尊敬することは全くできませんが、強い考えを持っていている点ではうらやましいなと思います。
朝日は今後も高橋さんを目立つポジションに置くことでしょう。高橋さんの文章に立腹する人は元から朝日の読者ではないか、早晩購読を止める人でしょう。一方で、高橋さんの文章に快哉を叫ぶ人は一層熱心に朝日を読むことでしょう。それなら、朝日ファンを固める高橋さんの存在は貴重だということになります。
新聞の部数が減少し、新聞社の経営は厳しくなっています。今はまだ大新聞は広告と不動産でなんとかしのいでいますが、先行きは全く楽観できません。それどころか、地方紙では廃刊が続いています。
部数を減らさないために読者が喜ぶ記事を大きく扱おうという心理が働くのは自然な流れです。
傾向としては、若い世代が保守政党を支持するようになっているわけですから、将来を考えれば経営者は「右側」の論調を選択するべきだということになります。ただ、朝日のように読者の多くが「反保守」を好む場合、目先のことを考えれば、秋山さんが書いた記事よりも、高橋さんのような文章の方が好ましいと判断することになります。
私は、新聞社が「右側」の論調を選ぶべきだと言っているのではありません。部数減少は深刻な問題だと言いたいのです。新聞社が事実に基づいて、自らが正しいと判断して記事を掲載するのではなく、「どう書けば読まれるか」を判断基準にすることは危険だと言いたいのです。
なりふり構わずスポーツ新聞や週刊誌のような見出しが全国紙に躍る時代が来るかもしれません。いや、それはずっと前から、そうだったのです。戦争に突入する前の新聞は戦争を求めていました。戦争によって部数拡大をしていたからです。日本の新聞社は戦争で金儲けをしていたのです。
いずれにせよ、記者にとっては厳しい時代が到来しています。これから記者になろうとする人は、新聞の歴史について学んでおいてください。記者になるということは、かつて戦争を後押ししたと言っても過言ではない組織に入るということなのです。
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本日の朝日新聞オピニオン面で秋山訓子さんが「政治家の世襲 2世のはくゲタ、担う葛藤」という題で、自らが世襲批判をするときに「思考停止に陥って、ステレオタイプで見ていたかもしれない」と告白しています。
私が前に紹介した「小泉進次郎と福田達夫」という本を読み、福田氏に取材したそうです。(私の前の記事はこちらをクリックしてください)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13307395.html
価格:961円 |
秋山さんに対し、福田氏は「高げたをはかせてもらっているので、その分結果を出して当たり前だと思っています」と即答しました。福田氏の言葉を裏返すと、「結果を出せなければ、厳しい責任を取らないといけない」と言っているのと同じです。これは親や先祖から受け継いだ「気概」というものです。血筋に基づくものですから「貴族の義務感」と言い換えても良いでしょう。
お母様に代わり地元のあいさつ回りをした20代の福田氏に両手を合わせて拝む高齢者がいたそうです。私には福田氏のような経験はありませんが、この高齢者の気持ちは分かります。この高齢者にとって、福田氏はまさに「貴族」なのです。自分にとって神様のような存在である福田赳夫元首相の孫なのですから。
若い方にこういう話をすると、反発されるでしょう。しかし、現実として、こういう方々が多数おられるし、歳を取ると自分の祖先を敬う気持ちがますます理解できるようになってきます。
単純に反発するだけでなく、社会が何を基にして動いているのかを理解することに努めれば、就職活動が楽になると思います。だって、皆さんはそういう「社会」の一員になろうとして、就活というものをしているわけですから。社会の仕組みを知らないということは、ルールを知らないのにスポーツをやろうというのと同じです。
日本社会の一員になるなら、その中で通用する価値観を知らないといけません。日本社会を変えたいなら、まずその仕組みをきちんと理解した上で、社会のメンバーが理解できるように訴えていかないといけません。
それが面倒だと言うなら、暴力的に秩序をぶち壊そうとする勢力と同じです。
さて、昨日は「新聞記者は事実を重視する人々」だと記しました。https://fanblogs.jp/sagamimuneo/archive/37/0
本日、紹介した秋山さんはその代表と言えます。彼女は本を読んで疑問を抱き、当事者に質問をぶつけ、返ってきた答えを文字にしました。記者本来の仕事です。
ただ、例外もあります。
昨日も指摘したように、記者や新聞社の主張や思惑を優先した結果、誤報となった例はあります。
最近は開き直って、批判を受けている記者もいます。「エビデンス?ねーよそんなもん」と自著に書いた朝日新聞の高橋純子さんです。
価格:1,728円 |
高橋さんは社説を書いていたこともあるそうですから、有能な記者でしょう。好意的に解釈すれば、この本は個人名を記したコラムを基にしたものであって、論理よりも感情を優先させたから、このような表現を使ったということでしょう。
しかし、やはり新聞記者が書く文章としては、粗く、自殺行為に近い表現でした。Amazonの書き込みを見ても、酷評が目立ちます。
ただ、これも計算ずくなんでしょうね。高橋さんは、あえて刺激的な表現を使うことによって、世間の注目を集めたかったのでしょう。最近の言葉で言えば、一種の炎上商法といえるかもしれません。私だって、こうやって高橋さんの本を紹介しているわけです。「悪名は無名に優る」という有名な言葉があります。
高橋さんは総理番記者時代から、署名入り記事で当時の森喜朗首相に対して、情緒的な表現を使いながら批判していました。文体は若いときから変わっておらず、記者として尊敬することは全くできませんが、強い考えを持っていている点ではうらやましいなと思います。
朝日は今後も高橋さんを目立つポジションに置くことでしょう。高橋さんの文章に立腹する人は元から朝日の読者ではないか、早晩購読を止める人でしょう。一方で、高橋さんの文章に快哉を叫ぶ人は一層熱心に朝日を読むことでしょう。それなら、朝日ファンを固める高橋さんの存在は貴重だということになります。
新聞の部数が減少し、新聞社の経営は厳しくなっています。今はまだ大新聞は広告と不動産でなんとかしのいでいますが、先行きは全く楽観できません。それどころか、地方紙では廃刊が続いています。
部数を減らさないために読者が喜ぶ記事を大きく扱おうという心理が働くのは自然な流れです。
傾向としては、若い世代が保守政党を支持するようになっているわけですから、将来を考えれば経営者は「右側」の論調を選択するべきだということになります。ただ、朝日のように読者の多くが「反保守」を好む場合、目先のことを考えれば、秋山さんが書いた記事よりも、高橋さんのような文章の方が好ましいと判断することになります。
私は、新聞社が「右側」の論調を選ぶべきだと言っているのではありません。部数減少は深刻な問題だと言いたいのです。新聞社が事実に基づいて、自らが正しいと判断して記事を掲載するのではなく、「どう書けば読まれるか」を判断基準にすることは危険だと言いたいのです。
なりふり構わずスポーツ新聞や週刊誌のような見出しが全国紙に躍る時代が来るかもしれません。いや、それはずっと前から、そうだったのです。戦争に突入する前の新聞は戦争を求めていました。戦争によって部数拡大をしていたからです。日本の新聞社は戦争で金儲けをしていたのです。
いずれにせよ、記者にとっては厳しい時代が到来しています。これから記者になろうとする人は、新聞の歴史について学んでおいてください。記者になるということは、かつて戦争を後押ししたと言っても過言ではない組織に入るということなのです。
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