新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年01月10日
新聞と雑誌の違い
ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村
昨日、実在した坂本龍馬のことをよく知らずに「竜馬」のファンになっている人が多いと書きました。このことに関連する内容が、本日付の朝日新聞の投書欄(オピニオン面)で詳しく取り上げられています。https://digital.asahi.com/articles/DA3S13305832.html
一坂太郎・萩博物館特別学芸員によると、大政奉還が坂本龍馬の功績だったというのは司馬遼太郎さんの小説の中の世界であって、残されている史料から確認することはできないそうです。一坂さんは、明治政府で阻害されていた土佐藩出身者が自分たちの過去の実績をアピールするために坂本龍馬の存在を誇張したことが影響していると指摘しています。インターネットの紙面連動企画で一坂さんの一問一答が出ているので、興味のある方はぜひお読みください。https://digital.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html
新聞記者を志す人、事実を知りたい人にとって、この記事はすばらしい教材だと思います。
記者は事実に基づいて記事を書かないといけません。事実の裏付けとなる根拠を書かないといけません。根拠がない場合は関係者の分析に基づく合理的な推測を書きます。しかし、きちんと明記しないといけません。
これが新聞記者のルールです。
つまり、情報の発信源については「〜によると」と明示し、推測の部分については「〜とみられる」「〜との見方が強い」などと書きます。
しかし、このルールは面倒です。
「〜によると」は取材の成果なので、これを示すことに大きな意味があるのですが、記事の中で頻発すると読みづらいことがあります。また、情報源を正直に示すことで、かえって「大した根拠ではない」と思われることもあります(これにつては別の機会に書きます)。それに、「〜とみられる」と書くのは取材が不十分であることを認めることになります。
北朝鮮や中国のような外国メディアにとって取材が難しい国に関する記事では、「〜とみられる」のような表現が頻繁に使われています。直接、当事者に取材できないので、こう書くしかないからです。
私がこのブログで書いている文章も、自分自身が確認した内容以外は断定を避けていることにお気づきでしょうか。長年の習性ですね。
ところが、新聞以外のメディア、特に雑誌の記事は「〜とみられる」が新聞ほど多くはなく、自信満々の文体が目立ちます。読んでいて非常に分かりやすく面白く、「新聞には書いていないけれど、真相はこうだったのか」という思いにさせてくれます。
でも、その内容の真偽は歴史小説並みであることが往々にしてあります。
雑誌の全てを否定するつもりはありません。かつて「噂の真相」という月刊誌が書いた内容を朝日新聞が一面に掲載したこともありました。また、朝日新聞も極めて悪質な誤報をして、長い時間を経てから謝罪しました。産経新聞にも問題のある記事が多いことも、私はこれまでに指摘しています。ほかの新聞についても、同様のことは言えます。
でも、週刊誌は広告の見出しで購買意欲をそそらないと売り上げが伸びませんから、どうしても刺激的で断定調の記事が好まれます。裏は取れなくても、「新聞に書いていない」ことであれば、「新聞が書けない事実」として報じたくなるのも自然な発想でしょう。安直に流される雑誌編集者がいてもおかしくはありません。
新聞記者はこのように見ています。
新聞社に入社しようとする皆さんはこの価値観を前提に考え、行動してください。
つまり、皆さんが面接で向かい合う人物は、「事実を重視する人々」だということを忘れないでください。
就活生が「尊敬する人」として坂本龍馬を挙げることに危険性があることが分かっていただけたでしょうか。
坂本龍馬を本当に尊敬するなら、小説家が書いていない史実を踏まえ、自分の取材に基づいて熱く語ってください。
ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村
にほんブログ村
昨日、実在した坂本龍馬のことをよく知らずに「竜馬」のファンになっている人が多いと書きました。このことに関連する内容が、本日付の朝日新聞の投書欄(オピニオン面)で詳しく取り上げられています。https://digital.asahi.com/articles/DA3S13305832.html
一坂太郎・萩博物館特別学芸員によると、大政奉還が坂本龍馬の功績だったというのは司馬遼太郎さんの小説の中の世界であって、残されている史料から確認することはできないそうです。一坂さんは、明治政府で阻害されていた土佐藩出身者が自分たちの過去の実績をアピールするために坂本龍馬の存在を誇張したことが影響していると指摘しています。インターネットの紙面連動企画で一坂さんの一問一答が出ているので、興味のある方はぜひお読みください。https://digital.asahi.com/articles/ASL174FXXL17UWPJ003.html
明治維新とは何だったのか 薩長抗争史から「史実」を読み直す [ 一坂太郎 ] 価格:1,620円 |
新聞記者を志す人、事実を知りたい人にとって、この記事はすばらしい教材だと思います。
記者は事実に基づいて記事を書かないといけません。事実の裏付けとなる根拠を書かないといけません。根拠がない場合は関係者の分析に基づく合理的な推測を書きます。しかし、きちんと明記しないといけません。
これが新聞記者のルールです。
つまり、情報の発信源については「〜によると」と明示し、推測の部分については「〜とみられる」「〜との見方が強い」などと書きます。
しかし、このルールは面倒です。
「〜によると」は取材の成果なので、これを示すことに大きな意味があるのですが、記事の中で頻発すると読みづらいことがあります。また、情報源を正直に示すことで、かえって「大した根拠ではない」と思われることもあります(これにつては別の機会に書きます)。それに、「〜とみられる」と書くのは取材が不十分であることを認めることになります。
北朝鮮や中国のような外国メディアにとって取材が難しい国に関する記事では、「〜とみられる」のような表現が頻繁に使われています。直接、当事者に取材できないので、こう書くしかないからです。
私がこのブログで書いている文章も、自分自身が確認した内容以外は断定を避けていることにお気づきでしょうか。長年の習性ですね。
ところが、新聞以外のメディア、特に雑誌の記事は「〜とみられる」が新聞ほど多くはなく、自信満々の文体が目立ちます。読んでいて非常に分かりやすく面白く、「新聞には書いていないけれど、真相はこうだったのか」という思いにさせてくれます。
でも、その内容の真偽は歴史小説並みであることが往々にしてあります。
雑誌の全てを否定するつもりはありません。かつて「噂の真相」という月刊誌が書いた内容を朝日新聞が一面に掲載したこともありました。また、朝日新聞も極めて悪質な誤報をして、長い時間を経てから謝罪しました。産経新聞にも問題のある記事が多いことも、私はこれまでに指摘しています。ほかの新聞についても、同様のことは言えます。
でも、週刊誌は広告の見出しで購買意欲をそそらないと売り上げが伸びませんから、どうしても刺激的で断定調の記事が好まれます。裏は取れなくても、「新聞に書いていない」ことであれば、「新聞が書けない事実」として報じたくなるのも自然な発想でしょう。安直に流される雑誌編集者がいてもおかしくはありません。
新聞記者はこのように見ています。
新聞社に入社しようとする皆さんはこの価値観を前提に考え、行動してください。
つまり、皆さんが面接で向かい合う人物は、「事実を重視する人々」だということを忘れないでください。
就活生が「尊敬する人」として坂本龍馬を挙げることに危険性があることが分かっていただけたでしょうか。
坂本龍馬を本当に尊敬するなら、小説家が書いていない史実を踏まえ、自分の取材に基づいて熱く語ってください。
ブログランキングに参加しています。クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村