2020年01月25日
偉人研究
中1で総合学習の発表会が行われた。
私の学校では、中1で『偉人研究』を行う。
自分が関心を持った偉人を決め、その実績はもちろん、その志、自己犠牲の精神、生き方を学び、自らの人生の糧とするのである。
自身が関心を持つということは、その本人が、どこか選んだ偉人に惹かれる部分があり、「そうなりたい」、「そういう生き方をしたい」、「そうした生き方に憧れる」、という意味がある。
彼らは歴史上の偉人から選び、何ヶ月間か研究する。
選んだ偉人の生き方は、おそらくは、生徒一人ひとりの将来に影響を与えるはずだ。
発表行事は毎年のことだが、彼らの発表には新鮮さを感じる。
今回の発表の中に、『肥沼信次』があった。
戦時中はドイツを中心に、人々を救った医師である。
「肥沼信次さんは、今でもドイツ人に愛されているのです。」
発表したK君は、小学校時代をドイツの日本人学校で過ごした。
その際、現地で『肥沼信次』の生き方を教えられたという。
私自身、恥ずかしながら『肥沼信次』を初めて知った。
それほど有名な方とは言えないのかも知れないが、そんなことは関係ない。
その人が、いかに人々のために生き方か、つまり、利他の生き方ができたか。
それを当たり前のように行い、天命として生きて、命を捧げたか。
そんな生き方に人は感動する。
人並み外れた、自制心と自助努力も必要なのだろう。
37歳にして、自らもチフスに罹患し、命を落とす。
薬はすべて別の患者に回し、自らは口にしなかったとも聞く。
偉人の生き様を学び、本来人間として備わっている利他の思いを思い出させることは、とても大切なことだ。
ましてや、中高生にとっては、その後の生き方や、職業選択を左右することになる。
以前は面接で、尊敬する人を聞いていた時代もあったが、「どの偉人を尊敬するか」、ということが、その人の思いを体現しているのかも知れない。
その意味で偉人研究は大切だ。
たくさんの偉人伝を読むことも、心に潤いを与えるだろう。
偉人研究を排除し、人間は皆平等なのだが、偉人などこの世に存在しない、とする左翼教育に負けてはいけないのだ。
まさか、学校の図書館から排除されていないだろうな…。
私の学校では、中1で『偉人研究』を行う。
自分が関心を持った偉人を決め、その実績はもちろん、その志、自己犠牲の精神、生き方を学び、自らの人生の糧とするのである。
自身が関心を持つということは、その本人が、どこか選んだ偉人に惹かれる部分があり、「そうなりたい」、「そういう生き方をしたい」、「そうした生き方に憧れる」、という意味がある。
彼らは歴史上の偉人から選び、何ヶ月間か研究する。
選んだ偉人の生き方は、おそらくは、生徒一人ひとりの将来に影響を与えるはずだ。
発表行事は毎年のことだが、彼らの発表には新鮮さを感じる。
今回の発表の中に、『肥沼信次』があった。
戦時中はドイツを中心に、人々を救った医師である。
「肥沼信次さんは、今でもドイツ人に愛されているのです。」
発表したK君は、小学校時代をドイツの日本人学校で過ごした。
その際、現地で『肥沼信次』の生き方を教えられたという。
私自身、恥ずかしながら『肥沼信次』を初めて知った。
それほど有名な方とは言えないのかも知れないが、そんなことは関係ない。
その人が、いかに人々のために生き方か、つまり、利他の生き方ができたか。
それを当たり前のように行い、天命として生きて、命を捧げたか。
そんな生き方に人は感動する。
人並み外れた、自制心と自助努力も必要なのだろう。
37歳にして、自らもチフスに罹患し、命を落とす。
薬はすべて別の患者に回し、自らは口にしなかったとも聞く。
偉人の生き様を学び、本来人間として備わっている利他の思いを思い出させることは、とても大切なことだ。
ましてや、中高生にとっては、その後の生き方や、職業選択を左右することになる。
以前は面接で、尊敬する人を聞いていた時代もあったが、「どの偉人を尊敬するか」、ということが、その人の思いを体現しているのかも知れない。
その意味で偉人研究は大切だ。
たくさんの偉人伝を読むことも、心に潤いを与えるだろう。
偉人研究を排除し、人間は皆平等なのだが、偉人などこの世に存在しない、とする左翼教育に負けてはいけないのだ。
まさか、学校の図書館から排除されていないだろうな…。
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