2018年10月07日
怖い先生ほど愛が深い?
今日の練習試合の相手校は、県庁所在地の学校。往復150kmほどの遠征になった。
相手校の先生に、
「あの先生、怖いですよ…」
と忠告されて、ご挨拶をする。
若手の先生が聞く。
「どんな風に怖いんですか?」
「もちろん生徒にも厳しいですけど、我々も、二回ヘマしたら見捨てられますね…。」
確かに試合中の声は厳しかった。
「昭和の香りがする…。」
と、試合中同僚の先生も一言。そして、
「こういう世界があるということを、保護者にも見せたいんですよね…。」
とも。
昨今の部活動は、
『ほめて、おだてて、励まして、やる気にさせて、またほめる。』
というスタイルになってきた。
昭和の時代の、先生が怒鳴り散らして、
「何考えてるんだ!ふざけるな。」
的な指導は、少なくなった。
あの頃は、
「先生、もっと言ってやって下さい。うちの子、甘いですから…。」
などと、保護者からの援護射撃もあり、多くの先生方も『この指導で間違いない。』と、感じていたのだろう。
ところが昨今は変わった。
生徒が、先生の前後関係を切り取った一言を取り出し、それによって保護者を憤慨させ、クレームとして校長だの教育委員会だのに届く。
「子どもは、自分の都合のいいことをしか話しませんし、都合のいいように親に言います。」
と、いう年初のアドバイスなど忘れ去り、
「うちの子は悪くない。」
「うちの子を全面的に信頼していますから。」
となるわけだ。
今日の試合を見て、保護者は何を思っただろう。
「今の時代、こんな乱暴な言葉遣いの先生がいるんだ…。」
と感じたか、はたまた、
「それと比べたら、まだまだうちの顧問は優しいか…。」
と感じたか。
「この学校に行かせなくて良かった。」
と感じたか、
「もう二度と試合をしたくない。」
と感じたか。
しかし、相手校の選手たちは、誰も萎縮しているようには見えなかった。それどころか、生き生きとしてプレーしているように見えた
結局今日は、相手校と接戦で負けた。
会場となった中学校の体育館では、近県の強豪校がやってきて、バレーボールの試合。
そちらでも怒声が飛び交う…。
教育活動の一環としての部活動だから、私は、それぞれの先生なりの方法で、工夫してやってよいと思う。
『どんなに怒鳴っても、本心では生徒を愛している。愛しているからこその、厳しい指導でもある。』
私はそう思うのだが、生徒や保護者との信頼関係が崩れると、坂道を転げ落ちるかのように、クレームの嵐となる。そういうリスクもある。
しかし、生徒をどうでもいいと思ったら、厳しい言葉でないのだ。放っておかれるだけである。
クレームの後、先生が生徒に、腫れ物に触るように接して、卒業するまだじっと我慢して時を待っているという姿も情けない。
先日、職員室の隣席の教員に、
「先生は、いろいろ生徒の不満を言いますけど、先生の撮った写真には、愛がありますよね。本当は、『生徒が好きで好きでしょうがない』、っていう思いが、伝わってきますね。」
と言われた。
そんなに、生徒の不満を言っているのかとも思ったが、私にとっての最大の賛辞のようにも聞こえた。
生徒を愛していない教員などいるはずはない。
表向きの姿だけを取り上げ、あげつらう風潮は、嫉妬社会の典型だと思うのだが…。
相手校の先生に、
「あの先生、怖いですよ…」
と忠告されて、ご挨拶をする。
若手の先生が聞く。
「どんな風に怖いんですか?」
「もちろん生徒にも厳しいですけど、我々も、二回ヘマしたら見捨てられますね…。」
確かに試合中の声は厳しかった。
「昭和の香りがする…。」
と、試合中同僚の先生も一言。そして、
「こういう世界があるということを、保護者にも見せたいんですよね…。」
とも。
昨今の部活動は、
『ほめて、おだてて、励まして、やる気にさせて、またほめる。』
というスタイルになってきた。
昭和の時代の、先生が怒鳴り散らして、
「何考えてるんだ!ふざけるな。」
的な指導は、少なくなった。
あの頃は、
「先生、もっと言ってやって下さい。うちの子、甘いですから…。」
などと、保護者からの援護射撃もあり、多くの先生方も『この指導で間違いない。』と、感じていたのだろう。
ところが昨今は変わった。
生徒が、先生の前後関係を切り取った一言を取り出し、それによって保護者を憤慨させ、クレームとして校長だの教育委員会だのに届く。
「子どもは、自分の都合のいいことをしか話しませんし、都合のいいように親に言います。」
と、いう年初のアドバイスなど忘れ去り、
「うちの子は悪くない。」
「うちの子を全面的に信頼していますから。」
となるわけだ。
今日の試合を見て、保護者は何を思っただろう。
「今の時代、こんな乱暴な言葉遣いの先生がいるんだ…。」
と感じたか、はたまた、
「それと比べたら、まだまだうちの顧問は優しいか…。」
と感じたか。
「この学校に行かせなくて良かった。」
と感じたか、
「もう二度と試合をしたくない。」
と感じたか。
しかし、相手校の選手たちは、誰も萎縮しているようには見えなかった。それどころか、生き生きとしてプレーしているように見えた
結局今日は、相手校と接戦で負けた。
会場となった中学校の体育館では、近県の強豪校がやってきて、バレーボールの試合。
そちらでも怒声が飛び交う…。
教育活動の一環としての部活動だから、私は、それぞれの先生なりの方法で、工夫してやってよいと思う。
『どんなに怒鳴っても、本心では生徒を愛している。愛しているからこその、厳しい指導でもある。』
私はそう思うのだが、生徒や保護者との信頼関係が崩れると、坂道を転げ落ちるかのように、クレームの嵐となる。そういうリスクもある。
しかし、生徒をどうでもいいと思ったら、厳しい言葉でないのだ。放っておかれるだけである。
クレームの後、先生が生徒に、腫れ物に触るように接して、卒業するまだじっと我慢して時を待っているという姿も情けない。
先日、職員室の隣席の教員に、
「先生は、いろいろ生徒の不満を言いますけど、先生の撮った写真には、愛がありますよね。本当は、『生徒が好きで好きでしょうがない』、っていう思いが、伝わってきますね。」
と言われた。
そんなに、生徒の不満を言っているのかとも思ったが、私にとっての最大の賛辞のようにも聞こえた。
生徒を愛していない教員などいるはずはない。
表向きの姿だけを取り上げ、あげつらう風潮は、嫉妬社会の典型だと思うのだが…。
この記事へのコメント
コメントを書く