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2018年10月02日

「僕って、病気なの?」

2回目の校長による「人権教育セミナー」、今朝は『発達障害』の話。

生徒たちにとっても、教師からみても、『発達障害』は目に見えにくい。そのため、人間感情のトラブルが起こりやすい。だからこそ、校長は
『そういう個性の人もいるのだ。欠点よりも、長所とつきあおう。』
と、話をしたかったのであろうが、今朝の話は、中学生にはちょっと難しかったようだ。

「自閉症スペクトラム障害」、「注意欠如・多動性障害(ADHD)」、「学習障害(LD)」と言っても、生徒たちには分からないだろう。それぞれについて、具体的な例が、ほとんどなかったからだ。

理解できたと思われるの、せいぜい、
「これらは、○○障害と言われているが、障害ではない。生まれつきの個性だ。」
ということぐらいだろう。

確かに、これを障害だの病気と見なしてしまうと、エジソンも坂本龍馬も、障害を持った人になってしまう。

ADHDの子供は、程度にも寄るが、授業中だまって座らせておくことすら難しいし、いつも同じことを注意される。

とかく教員側は、その注意されてた部分をマイナスと見て、
「だめだ、だめだ」
という指導をしがちである。この性格をなんとかしたい、という教員の焦りから、つい、
「どうして、何度言っても分からないんだ!」
とさらに叱る。

しかし、結果的には、自分自身がその事実に気づき、克服していこうという努力をしなければ、なかなか変われるものではない。

「僕のこの部分は、時に他の人に迷惑をかけてしまう。だから、努力して直していかなくっちゃ。」
と自覚して、初めて変えてゆけるのだろう。これは、学校を卒業してからの話だ。

以前、ある保護者が、
「同じクラスの○○君は、ADHDなのだから、クラス全員にその事実を伝え、相応の対処をしてください。」
という要望をしてきたことがある。母親同士の会話から、○○がADHDであることを知り、過剰な反応をしたわけだ。

その後しばらくして、○○が、
「僕って、病気なの?」
と母親に相談したという。どこからか、知らないはず本人に伝わったらしい。

『一人ひとりの個性を認めた指導をして欲しい。』

結局校長は、今日の講話を、我々教員に聞かせた方のではないだろうか。

個性あふれる生徒との格闘はまだまだ続く…。
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