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2018年09月28日

先生は運転手じゃない

ある部での自動車移動中の話。
乗っている生徒が、寝ている姿を見て、女子生徒が叫ぶ。
「先生は運転手じゃないんだよ。」
「…」
「先生だって疲れている中、私たちのために運転しているんだよ。」
「…」
「それなのに、寝ているっていうのは、とても失礼だと思う。」
「…」
「みんな起きようよ。」
最上級である中学三年の女子生徒が叫んだ。

私はその話を聞いて、
「なんだ、分かってくれる生徒もいるんだ。」
と、ちょっと嬉しくなった。

私の学校では、送迎は原則教員が行うという、全国的にも珍しいシステムがある。
だから、運動部の顧問になると、学校が費用を負担する形で中型免許の取得を推奨される。試合で出掛けるときは、顧問自身が運転して会場に行け、という訳である。
もちろん、運転手がいない部活は、業者バスの外注もできるし、その費用は、学校が支払ってくれる。

しかし、教員である顧問自身が運転するのは、なかなか肉体的にも精神的にもプレッシャーがかかる。学校には、何台ものマイクロバスがあるのだが、大きな自動車に生徒を乗せて、自分自身で運転するというのは、負担が重い。

少人数でも、自家用車や少し大きめの車で、やはり引率者が運転して出掛ける。

かつて勤務した学校では、「教員がバスを運転して引率することなど、あり得ない世界」だったのだが、いつしかこのシステムに慣れてしまった。部活の移動時に、生徒にバス代を負担させないのはいい。

しかし、運転中に生徒が寝ているというのは、嫌だ。

運動部が試合に向かうとき、移動中に選手が寝ることを許可しているチームと、絶対に許さないチームがある。
寝ることを許しているチームは、「少しでも寝てすっきりして試合に臨もう」という考えだが、許さないチームは、「試合をイメージして、心を整え、万全な準備をせよ。」という発想である。

私自身、どちらが正解なのか、どちらが正しいのか、よく分からないが、自分が運転している以上、やはり生徒に寝られると、ちょっと苦しい。
中学校の遠征の場合は、近距離が多いので、寝るほどの時間でもないと思うし、と、同時に、「運転してもらって当たり前」、という感覚でも困る。
「してもらって当たり前」をいう考え方を、青少年期に植え付けてはいけないと思う。

私は、運転中、
「君らが寝てしまうのなら、俺も寝てしまうよ。一緒に天国に行こう」
などと冗談を言ってみたりする。また、
「○○、眠くなっちゃったよ。」
と言うと、指名された生徒が、歌を歌い出したりする。

私が現役の教員をやっている間に、システムが確立するとは思えないのだが、かすかな希望を胸に抱きつつ、
「願わくば、早く自動運転になってくれ。」
と思うばかりである。
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