2018年09月10日
『はい』という返事
近隣の親しくしている私より若手の同僚の先生曰く。
あいつ、返事できないんだよ。
「そこは、2アウト3−2なら、全部ゴーだろ」
と、言っても、
「ごめんなさい」
「ご家庭でどういう教育を受けているかは分からないけれども、目上の人から何か言われたら、『はい』っていうんだよ。」
「ごめんなさい」
すべてがこんな感じだそうで、頭を抱えておられた。
とかく、中学校の運動部の世界では、返事のタイミングとその大きさが、強いチームの象徴のような側面がある。その先生もチーム作りに苦慮されているから、確かにそうした側面もあるが、しかし、返事は社会生活の基本。できないと、その生徒の将来が不安だ。
家庭で虐待などがあると、謝り続けてしまう子供がいるということも聞く。
その生徒の家庭状況は分からないが、過去に何らかの経験があって、その影響が大きく左右していることは間違いないだろう。
心に傷を負っていなければ、『ごめんなさい』から『はい』に切り替えるだけで済むのだから、そう難しくはないかも知れない。しかし、心の奥底に引っかかりがあるのならば、そこまで紐解いてあげなければ、そう簡単には変わらない。
中学生も高学年になってくれば、自分の立場と相手の立場を、ある程度、客観視できるようになってくる。そうすると、この場合は『はい』と言うべきで、この場合は『すいません』でよい、などとど考えて行動できるようになるかも知れない。
ふと、クラスの生徒を思い出した。
掃除の時、「机を運んで下さい」と言っても、誰も返事をしない。実際、机を運んでいるので、聞こえているのだ。聞こえているのだけれど、返事ができないのだ。人の言葉に反応できないのだ。
別の生徒は、
「宿題、出していないって、数学の先生から聞いたよ」
と、声をかけても、目も合わさず、あたかも無視するかのごとく、立ち去ろうとする。
「おい、聞いているのか?」
「分かってますよ。」
と、捨て台詞を吐いて逃げるように去っていく。
この生徒と比べれば、『ごめんなさい』の生徒の方が、まだまだレベルが高いか…。
あいつ、返事できないんだよ。
「そこは、2アウト3−2なら、全部ゴーだろ」
と、言っても、
「ごめんなさい」
「ご家庭でどういう教育を受けているかは分からないけれども、目上の人から何か言われたら、『はい』っていうんだよ。」
「ごめんなさい」
すべてがこんな感じだそうで、頭を抱えておられた。
とかく、中学校の運動部の世界では、返事のタイミングとその大きさが、強いチームの象徴のような側面がある。その先生もチーム作りに苦慮されているから、確かにそうした側面もあるが、しかし、返事は社会生活の基本。できないと、その生徒の将来が不安だ。
家庭で虐待などがあると、謝り続けてしまう子供がいるということも聞く。
その生徒の家庭状況は分からないが、過去に何らかの経験があって、その影響が大きく左右していることは間違いないだろう。
心に傷を負っていなければ、『ごめんなさい』から『はい』に切り替えるだけで済むのだから、そう難しくはないかも知れない。しかし、心の奥底に引っかかりがあるのならば、そこまで紐解いてあげなければ、そう簡単には変わらない。
中学生も高学年になってくれば、自分の立場と相手の立場を、ある程度、客観視できるようになってくる。そうすると、この場合は『はい』と言うべきで、この場合は『すいません』でよい、などとど考えて行動できるようになるかも知れない。
ふと、クラスの生徒を思い出した。
掃除の時、「机を運んで下さい」と言っても、誰も返事をしない。実際、机を運んでいるので、聞こえているのだ。聞こえているのだけれど、返事ができないのだ。人の言葉に反応できないのだ。
別の生徒は、
「宿題、出していないって、数学の先生から聞いたよ」
と、声をかけても、目も合わさず、あたかも無視するかのごとく、立ち去ろうとする。
「おい、聞いているのか?」
「分かってますよ。」
と、捨て台詞を吐いて逃げるように去っていく。
この生徒と比べれば、『ごめんなさい』の生徒の方が、まだまだレベルが高いか…。
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