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2016年10月12日

18世紀のパリ

18世紀当時のパリ市内の光景と音風景をコンピューターで再現
http://gigazine.net/news/20161011-18th-century-paris-sound/


とても興味深い動画だった。

ベースになった1739年に描かれた「テュルゴの地図」だが、
どうやって描いたのだろう。

航空写真などない時代だし、
気球に乗って、といっても
あれだけ俯瞰するまでには
相当の高さまで上らなければならないから
事実上不可能だろう。
だとすれば地面を計測してのものなのだろうか。

それにしても当時の様子がよく分かる。

現在の「花のパリ」と言われているパリの美しい街並みは
ナポレオン3世が行ったパリ大改造のおかげである。
今では想像できないがそれまでのパリは
道が狭く込み入っており、
日陰の多い暗くてジメジメした大変不衛生な街であった。
そんな街に沢山の人がひしめき合って暮らしていたので
何度もペストが流行し、
尋常ではない数の死者が出ていた。

住居が上に高く作られた割には
住居環境は非情にお粗末で、
ゴミを出す場所がないため
窓から下の道路に投げ捨てるのが普通であり、
また、ゴミだけではなく排泄されたし尿も
窓から投げ捨てていたそうである。
そのためご婦人方は
そのし尿で足元を汚さないために
ハイヒールが生まれた。

ゴミとし尿まみれの街なので
臭いが酷い。
そのため少しでも良い匂いを嗅ぎたいという欲求から
香水が発達していった。

それから、
そのし尿を処理するかかりとして
なんでも食べてしまう雑食の豚が放たれており
野良豚がパリの街中を徘徊していたそうだ。

今でこそ少しは豚肉を食べるようになったフランス人だが、
豚肉料理がフランス人の食卓に上らないのはそのせいであろう。

中世のヨーロッパは軽い氷河期で、
平均気温は今よりずっと低かった。
そのために窓は小さく作られて
なるべく外気が入らないような部屋の作りになっていた。
外気が入らないということは
部屋からも空気が漏れないということだから
家の中で調理することが困難であった。

当時はガスなどなく、ましてや電気調理などないから
薪や炭を燃やさなければ火を起こせない。
換気できない家の中で調理などすれば
たちまち一酸化炭素中毒死である。

だから食べ物は惣菜を買ってくることが主流となり、
街にはパン屋さんや惣菜屋さんがたくさんあった。
そういう店は美味しいものを売らないと繁盛しないから
自然と美味しいものを作ろうとしのぎを削る事になる。
フランスが美食の国になったのは
その当時の研鑽があったからでもある。

そういった事実が
この動画を見るととても良く理解できる。








posted by 黒豚猫 at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界
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