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2016年10月06日

平城宮にペルシャ人の役人

平城宮にペルシャ人の役人が働いていた!!
 765年木簡が証明 「国際的知識で登用か」と専門家

http://www.sankei.com/west/news/161005/wst1610050057-n1.html


なんだかいろいろと想像が広がる。

近世以前はヨーロッパよりアラブのほうが
文明的に進んでいたわけだし、
ヨーロッパとアジアを繋ぐ意味で
活発に交易していたのがペルシャ人。

8世紀と言えばちょうど前世紀にイスラム教が生まれ、
イスラム教を基礎とした国家が誕生。

イスラム教もシーア派とスンニ派に分裂し、
それぞれ争っていた。

そんな時勢でこの日本にやってきたペルシャ人は
どのような立場だったのだろう。

おそらくできたばかりのイスラム教だから
戒律は厳しく守ろうとしていたはずだ。
だとすると当時の日本は原理的イスラム教徒には住みにくそうなので
このペルシャ人はムスリムではないと想像できる。

ペルシャとアジアを行き来する隊商の一員だったのか、
それとも風のうわさで日本のことを聞いて興味を持ったのか、
いずれにせよいつの時代にも好奇心旺盛な人というものはいるもので、
その冒険心をエンジンにして
幾多の困難を乗り越えて日本にたどり着いたのではないだろうか。

正倉院にペルシャ製の硝子の器があるのだから
物だけではなく人が日本を訪れていても
何の不思議もない。

そして気になるのはその末裔である。

日本にたどり着いた外国人は
このペルシャ人だけではないだろう。
だとすれば何人かは子孫を残したはずである。

時折日本人なのにものすごく濃い顔の人がいるが、
その人達はこういった海外からやってきた人の末裔なのかもしれない。





posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界
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