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2022年06月09日

「メディアリテラシー」なる単語はよく聞くが





最近ネットの記事やSNSの投稿を読んでいて
疲れることが多くなった。
文章の内容を理解できないことがままあって
そのせいで疲れるのだ。

私は高校生以来読書が好きで
一時は活字中毒と言えるくらい読むことが好きだった。
それゆえ読解能力には自信があった。
なのに最近文章を読んでいて理解できないのは何故なのだろうか?

この間それがようやく分かった。
読解能力があるがゆえに理解できなくなっているのだ。

どういうことかといえば、
ネットに転がっている文章というのは
しっかりと校正されていないものばかりである。
個人が勝手に書きなぐってアップしている。
ネットの記事もそれに近いものがあって、
ビューの数字を伸ばすことに躍起となっていて
とにかく記事の数を増やすことが目的。
薄い内容を浅い考察でとにかく記事としてアップするのは
素人と同様の行為である。

それゆえに「テニヲハ」はもちろん
人物AとBが途中で入れ替わっても気づかずに
記事として垂れ流されている。

そんな代物を読んでいるのだから
疲れないほうがおかしい。
むしろ理路整然としたものを読んできた身としては
気になったり脳内で正そうとしたりしなければならず
余計な労力を消費してしまうのだ。

それがわかって
自分の能力が極端に落ちたわけではないことが理解できて
安心はしたのだが、
今後もそのような疲れる思いをしなければいけない
という現実はついて回ることにゲンナリとした。

メディアリテラシーとは最近よく聞く単語であるが、
受け手がしっかりとしたリテラシーを持っていても
出し手がメチャクチャなら全く意味はない。






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