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2016年09月10日

死後の世界F

死後は死ななければわからない。
死後に関して生きているうちには手がかりすら得られない。

我々が死後の世界として得られたと勘違いしているものは
昔からの言い伝えであったり
宗教的な教えである。
何の根拠もないものを信じこまされている。

それにともなって
生き残っている側が死んでしまった人を
「可哀想」だとか「さぞ無念だろう」などと
勝手に察しているのである。

だからニュースで「犯罪者を死刑に」とか
ドラマで「憎いアイツを殺してやる」などと言っているのを見ると
本当にそれって相手に罰を与えていることになるのだろうか、
と疑問に思ってしまう。

ひょっとして死刑囚は死刑になることによって
ものすごい楽園でハッピーな思いをして
「いや〜、死刑にしてくれてありがとう!」などと喜んでいるのかもしれないし、
憎まれて殺された人も
「憎まれてよかった。殺してくれてありがとう」と
殺した人に対して感謝しているかもしれない。

だからといって殺していいとか
早く死んだ方がいいなどと言っているわけではない。
逆の場合もありえるのだから。

生前善い行いだけを心がけてきた人も
悪さばっかり行ってきた人も
問答無用で全て無限の苦しみを与えられてしまうかもしれない。
何の選択権も与えられず生まれたこと自体が理不尽なのだから
その生を閉じた後だって理不尽なはずだ。

そういった未知なるものに関して人間というものは
恐怖を感じるものなのだ。
何の手がかりもないものに対して
ネガティブに考えてしまうのが人間なのだ。

死に関して恐怖したり希望を持ったりすることは
なんと無意味なことだろうか。

そんなことに一喜一憂することなく
常に心穏やかに過ごせるようにしようとしたのが
釈迦の教える原始仏教なのだと思う。





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posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学
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