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2016年09月09日

死後の世界E

「死」というものを科学的に考えると、
「魂」というものの存在を考えなければいけない。

物体に「魂」があることで生物と認められる。
生物だったものでも「魂」が物体に備わらなくなった途端
「死」という現象と認めることになる。

ではその「魂」とは何なのだろうか。

一神教を深く信じている人にとって「魂」は
神様が与えてくださったものになるのだろう。
だが多くの人が考える生物学的には
進化の過程を経て面々と受け継がれてきたものである。

ではその最初はどうなっていたのだろう。

残念ながら現在の科学をもってしても
生命の起源は明らかにされていない。
有機物が突然変異したとか地球外ら飛来したとか
いろいろと説は出ているが証明はされていない。

いずれの説においても
まずは一つの生命体から発展した、ということは共通している。
初めの「魂」は一つだった、ということだ。

だとすると輪廻という考え方は否定されないだろうか。
一つの「魂」が死によって輪廻して新しい物体に宿るのなら
「魂」の数は常に同じでなければいけなくなる。

ある人は
「魂は分化する」と話していたが、
それだと単なる遺伝子の分化と何ら変わらないし、
突然変異についてはどのように説明するつもりなのだろう。

もし仮に死後の世界があって
死によって魂がそこに移動するのであれば、
生命誕生以来何十億年分の「魂」が
そこに送り込まれていることになる。

そこは三葉虫もT−レックスもマンモスもニホンオオカミも
蝿や蚊やノミもごった返すカオスではないか。
毎分毎秒次から次へと魂が送り込まれて降り積もり、
魂のミルフィーユ状態になっているのだろうか。

そんな状態で「天国」などと呼べるのだろうか。

理詰めで考えてしまうと
死後の世界などを考えることは無駄なことに思わせてくれる。







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posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学
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