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2016年09月08日

死後の世界D

古代における死後の世界の考え方は
生まれ変わるという輪廻ものと
死後には別の世界がある系の2系統ある。

魂がどこから来るのかを説明する際の
コジツケとして便利なのは輪廻ものだろう。

天体観測から導き出した法則が
その輪廻ものに信憑性を与える。

太陽が沈み、再び昇る。
月は満ち、そして欠けてなくなっていく。
毎年季節季節ごとに同じ星座が現れる。

これらは誕生と消滅、そして再生を
普遍的なものとして人々に感じさせる。

死後には別の世界に移動する、
という考え方はごく自然な考えといえる。

それまで生きていた人が、
死んでしまうとただの物体になってしまうのだ。
魂なるものがあって、それがどこかに移動したと考えないと
辻褄が合わなくなってしまう。

エジプトのように遺体をミイラに加工して保存するというのは
再生を信じていたから。
秦の始皇帝が大々的な始皇帝陵を作らせて
大量の兵馬俑を一緒に埋めさせたのは
死後の世界があると考えていたからだろう。

現代の日本では面白いことにその考え方が同居している。

身内が死んでしまうと
「おばあちゃん、あの世でおじいちゃんと仲良くね。」
などと言っておきながら
「私って、前世はお姫様だったんだって。やっぱりなって思った。」
などと続けて聞いてしまうと整合性の取れないことを平気で話たりする。
あの世があるなら生まれ変わることはないし、
生まれ変わりがあるのならあの世で仲良くなんて出来はしないはずだ。

明確な宗教がないからこそ
このような曖昧な死生観になっているのだろう。





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posted by 黒豚猫 at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 哲学
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