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2018年11月01日
タイでの日常生活(7)ーー百均ショップ
いよいよ、11月です。和風月名は「霜月」だということは皆さんご存じですね。名前の通り、霜が降りてくる月なので、「霜月」と呼ばれるようになったということです。いよいよ、日本では、冬が本格的に始まる時期です。急な寒さなどで、体調など崩さないで、健やかにお過ごし下さい。
今日は、日本にもタイにもある、「百均ショップ」に関して、書いてみます。
今回は、タイのパンコーンという街のショッピングセンターの「Big C」の中に最近出来た百均ショップについて、お知らせします。お知らせしますと言うより、日本製の品物をこっそりと写真に撮ったので、それをアップします。店の中に入ると、日本製の品物がとても多かったので、こちらの買い物はそこそこに、写真をスマホで撮りました。それに店の人が気づいて、写真を撮らないで下さいと、注意をして来たので、適当なところで止めて帰って来たという訳です。このような店には、日本製の品物が主体で展示してあって、日本製品の人気が窺えます。それでは、説明は不要でしょうから、これから下の写真をお楽しみ下さい。
(すいません、写真のアップがうまくいかず、一部重複したのがありました。お許し下さい)お気づきと思いますが、中には、日本語が怪しい品物もあります。どうも日本で作った物ではないな、と直ぐに分かります。そして、多分、あの国?と思って、裏を見てみると、その通りでした。何でも真似をして、自分のだ自分のだと言うのが得意な国ですからね。
百均ショップの写真をアップしましたが、後で考えてみると、この店はイカサマ店のようです。店を後にして、考えてみると、どうもこの店は紛い物を売っている、ブラックの店のようです。店の前に、写真撮影禁止のマークが掲示してありますが、20バーツで商売が出来るとはとても思えないのです。もしその商品が正規のルートでロイヤリティや税金を払って仕入れている商品なら、大体、20バーツで売って、元が取れる筈がないからです。
時々、少し離れたところのサコンナコンという街にある、ロビンソンというショッピングモールに行くことがあります。その中に百均ショップのJustBuy(ジャストバイ)という店がありますが、そこは60バーツ均一で商品を販売しています。聞くところよると、それでも、商売は苦戦していると言われています。そこでも日本の品物を多く置いています。この店と20バーツ均一ショップと比べると、いかにブラックかが分かりました。日本製の品物にタイの人たちは眼がないことをうまく利用した商売といえそうです。
しかし、更に、買う人は、それを承知で買っているのだということですから、そうですか、それなら・・・。マイペンライ。
近々、用事でカンボジアに行くんですが、カンボジアのプノンペンにあるイオンモール(立派なモールです。共産圏の国ですが、資本主義の国と見間違うほど、立派な建物で、ブランドの店も沢山出店しています。今度の旅で、写真を沢山撮って、良さそうな写真をアップしますね)の中にも、百均ショップがありましたから、どこにでもあるんですかね。ここの商品は2年前に行ったときに見たところでは、紛い物を売っている店ではないようでした。そういえば、カンボジアのイオンモールの中の百均ショップは、日本で百均ショップを始めた、広島のあの会社の名前がつけてありました。日本からの進出ということなんでしょう。そりゃ、イオンも同じですから、驚いてはいけません
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
2018年10月31日
タイでの日常生活(6)ーー結婚式
タイでの結婚式は、さっと見ただけでは、結婚式なのか葬式なのか分からないところがあります。特に、地方で行われる、伝統的な(?)儀式は似ていて、当然なのかも知れません。お祭りですから。
昔の日本では、嫁に行く時、自分の家から、家族と共に、車が来るところまで、行列をなして、花嫁を先頭に歩いていましたね。その儀式を、日本の田舎で50年前くらいに見た記憶があります。タイでもそれによく似たコンセプトで、行列を作って、花嫁の家に、花婿が嫁をもらいに行きます。動画がお見せできないのが残念ですが、次の写真でそれをお楽しみ下さい。花婿が先頭になって、家から少し離れた道の角から、参加者の皆さんと一緒に、歌ったり踊ったりしながら、花嫁の家に向かいます。儀式ですから、大体のところで手を打つ必要があります。だから、そう長い距離を歩く訳にも行かないのです。しかも、タイは暑いですから、嫁の家から1番目か2番目の角から出発して、家まで練り歩くということになっているのでしょう。私の勝手な解釈です。
家族や親戚、知人が花嫁や花婿の家に集まり、結婚の儀式が、僧侶を迎えて、始まります。家の中では、家庭によって異なりますが、所謂、広間で僧侶がお経を上げてくれます。普通の家庭では、僧侶の数は5人前後だということです。新郎や新婦の自宅の、「いつもの」僧侶がやって来ます。日本で言う、「結婚式」ということになります。参加者は、普段、お寺でお祈りをするときと同じように座って、手を合わせて、一緒にお経を上げるのです。サートゥー、サートゥと言いながら。
(ちょっと道がそれますが、僧侶たちは、マイクロバスで家にやって来ます。マイクロのドアが開かれると、ゾロゾロと出てきて、家の中に入っていきます。まぁ、当然と言えば当然ですね。まさか、歩いて、その家まで来る訳にはいきませんから、車を使うのが一番ということです。バイクとか自転車で、5人前後の僧侶がやって来るのを想像すると、ちょっと吹き出しそうになりました。不謹慎ですいません)
「結婚式」が終わると、僧侶に食事が出され、僧侶たちは、皆さんが見ている前で、食事をします。これは、日常の中で、お寺でお祈りをするときと全く同じ光景です。結婚式の時も、担当の世話人が、僧侶の前に、皆さんが持って来た、貢ぎ物(食べ物もその他の物も)を並べます。到底全ては食べられないような量になります。しかし、これは計算された儀式の方法のようで、残った物を、人々で一緒に食べて下さいという暗黙の了解の元に沢山の食べ物を僧侶の前に並べるようです。責任者役(?)の僧侶が、世話役の人にそのようなことを言っている感じがします。(私はタイ語が分からないので、想像です)すると、その他の世話人たちが、前に出てきて、「残り物」を人々の間に並べていきます。
それから、パーティが始まります。これが、「披露宴」ということになりそうです。「残り物」だけでは、食べ物が足りません。家の台所とか、端で、時には隣の家の前で、食事の準備は進んでいるのです。食事の準備は、近所のお母さん方や娘さん方が、着々と進めているのです。パーティの会場は、広いところが必要です。自分の家の庭と隣の庭、更には、道路にまで、テーブルと椅子が並べられ、テントが張られます。車の通行はその日は出来ません。だって、目出度いことが行われているんですから。食事は家庭によって異なりますが、少し余裕のある家庭は、配膳係付きのケータリングを頼みます。タイ料理が次々とテーブルに並べられ、ビールやウイスキーをガンガンと飲みます。
飲んで食べるだけでは不十分で、庭の端にステージが設けてあることもあります。そこでは、頼んでいた歌手や踊り子がステージを飾ることもあります。加えて、知人、親戚、家族の人たちが、マイクを持って、カラオケの始まりです。どんちゃん騒ぎとまではいきませんが、皆さんしっかりと楽しい時を過ごしています。時には、ここで新郎新婦の馴れ初めのビデオが流されることがあります。その後、新郎新婦が前に出てきて、挨拶をしたりすることがあります。この時の人々の茶化しは、「キッス、キッス・・・」と日本と同じですね。新郎新婦は躊躇いをあまり見せず、「ブチュ」。お幸せに。
家庭によると、学校の講堂を借りてパーティをする人もいます。既にステージはありますから、便利です。広いところもあるので、そこにテーブルと椅子を並べて、後は、ケータリングの店が食事を並べるということです。これは現代版タイ披露宴ということになります。写真の家族は新婦のご両親は学校の先生、新郎のご両親はその地方の要人ということですから、お金がある人はこのような傾向があるようです。
結婚式にしても、披露宴にしても、日本のように、時間に厳格ではありません。勿論、大体、開始の時間に合わせて皆さんやってこられますが、中には遅れてくる人もいます。披露宴にしても同じです。例えば、5時に終わりますって予定はありますが、帰りたい人はいつでも帰っていきます。日本は正確さを是とする文化ですから、何でも正確にすることが必要です。タイも時間の設定はしますが、大体・・・という意識が何処かに、何時でもあります。
いかがですか。昔の日本ととてもよく似ていると思いませんか。昭和の、地方の日本そのものです。近所の人たちが、催し物をするときは、積極的に一同に集まる姿は、実にいいですね。近代化と共に、自己主張を重視する方向性の中、人間同士の繋がりを弱めてきた日本と比べて、心の余裕すら感じるのは、何故でしょう。
さて、10月も今日で終わりです。月日の経つのは本当に早いですね。あと、二ヶ月で2018年も終わりです。日々健康に過ごせていることを感謝しているところです。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。コメントなどありましたら、お願いします。また、ご訪問下されば幸いです。
昔の日本では、嫁に行く時、自分の家から、家族と共に、車が来るところまで、行列をなして、花嫁を先頭に歩いていましたね。その儀式を、日本の田舎で50年前くらいに見た記憶があります。タイでもそれによく似たコンセプトで、行列を作って、花嫁の家に、花婿が嫁をもらいに行きます。動画がお見せできないのが残念ですが、次の写真でそれをお楽しみ下さい。花婿が先頭になって、家から少し離れた道の角から、参加者の皆さんと一緒に、歌ったり踊ったりしながら、花嫁の家に向かいます。儀式ですから、大体のところで手を打つ必要があります。だから、そう長い距離を歩く訳にも行かないのです。しかも、タイは暑いですから、嫁の家から1番目か2番目の角から出発して、家まで練り歩くということになっているのでしょう。私の勝手な解釈です。
家族や親戚、知人が花嫁や花婿の家に集まり、結婚の儀式が、僧侶を迎えて、始まります。家の中では、家庭によって異なりますが、所謂、広間で僧侶がお経を上げてくれます。普通の家庭では、僧侶の数は5人前後だということです。新郎や新婦の自宅の、「いつもの」僧侶がやって来ます。日本で言う、「結婚式」ということになります。参加者は、普段、お寺でお祈りをするときと同じように座って、手を合わせて、一緒にお経を上げるのです。サートゥー、サートゥと言いながら。
(ちょっと道がそれますが、僧侶たちは、マイクロバスで家にやって来ます。マイクロのドアが開かれると、ゾロゾロと出てきて、家の中に入っていきます。まぁ、当然と言えば当然ですね。まさか、歩いて、その家まで来る訳にはいきませんから、車を使うのが一番ということです。バイクとか自転車で、5人前後の僧侶がやって来るのを想像すると、ちょっと吹き出しそうになりました。不謹慎ですいません)
「結婚式」が終わると、僧侶に食事が出され、僧侶たちは、皆さんが見ている前で、食事をします。これは、日常の中で、お寺でお祈りをするときと全く同じ光景です。結婚式の時も、担当の世話人が、僧侶の前に、皆さんが持って来た、貢ぎ物(食べ物もその他の物も)を並べます。到底全ては食べられないような量になります。しかし、これは計算された儀式の方法のようで、残った物を、人々で一緒に食べて下さいという暗黙の了解の元に沢山の食べ物を僧侶の前に並べるようです。責任者役(?)の僧侶が、世話役の人にそのようなことを言っている感じがします。(私はタイ語が分からないので、想像です)すると、その他の世話人たちが、前に出てきて、「残り物」を人々の間に並べていきます。
それから、パーティが始まります。これが、「披露宴」ということになりそうです。「残り物」だけでは、食べ物が足りません。家の台所とか、端で、時には隣の家の前で、食事の準備は進んでいるのです。食事の準備は、近所のお母さん方や娘さん方が、着々と進めているのです。パーティの会場は、広いところが必要です。自分の家の庭と隣の庭、更には、道路にまで、テーブルと椅子が並べられ、テントが張られます。車の通行はその日は出来ません。だって、目出度いことが行われているんですから。食事は家庭によって異なりますが、少し余裕のある家庭は、配膳係付きのケータリングを頼みます。タイ料理が次々とテーブルに並べられ、ビールやウイスキーをガンガンと飲みます。
飲んで食べるだけでは不十分で、庭の端にステージが設けてあることもあります。そこでは、頼んでいた歌手や踊り子がステージを飾ることもあります。加えて、知人、親戚、家族の人たちが、マイクを持って、カラオケの始まりです。どんちゃん騒ぎとまではいきませんが、皆さんしっかりと楽しい時を過ごしています。時には、ここで新郎新婦の馴れ初めのビデオが流されることがあります。その後、新郎新婦が前に出てきて、挨拶をしたりすることがあります。この時の人々の茶化しは、「キッス、キッス・・・」と日本と同じですね。新郎新婦は躊躇いをあまり見せず、「ブチュ」。お幸せに。
結婚式にしても、披露宴にしても、日本のように、時間に厳格ではありません。勿論、大体、開始の時間に合わせて皆さんやってこられますが、中には遅れてくる人もいます。披露宴にしても同じです。例えば、5時に終わりますって予定はありますが、帰りたい人はいつでも帰っていきます。日本は正確さを是とする文化ですから、何でも正確にすることが必要です。タイも時間の設定はしますが、大体・・・という意識が何処かに、何時でもあります。
いかがですか。昔の日本ととてもよく似ていると思いませんか。昭和の、地方の日本そのものです。近所の人たちが、催し物をするときは、積極的に一同に集まる姿は、実にいいですね。近代化と共に、自己主張を重視する方向性の中、人間同士の繋がりを弱めてきた日本と比べて、心の余裕すら感じるのは、何故でしょう。
さて、10月も今日で終わりです。月日の経つのは本当に早いですね。あと、二ヶ月で2018年も終わりです。日々健康に過ごせていることを感謝しているところです。
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2018年10月30日
タイでの日常生活(5)ーー生活の中での何気ない花
タイは一年中温暖な気候です。温暖と言うより、「暑い」という表現の方が当たっていると言えるでしょう。しかし、バンコクはともかくとして、その周辺の地域に行くと、一年の気候には、穏やかな四季があります。日本程、明確な四季ではありませんが、4つの季節が存在しています。最も暑いときは4月5月です。現在(10月〜12月)は一年でも最も暮らしやすい時期で、日本で言う、秋の感じがします。これから、朝晩の気温は涼しさを増して、やや寒いという感じのする日すらあります。
このような気候の中で、何気なく咲いている花を今日は紹介します。早朝、1時間くらい散歩をしているのですが、その道々に咲いている可憐な花。人々は眼もくれないかも知れないが、静かに、ささやかに人々に味わいを添えてくれている花々。時期によって、それぞれの香りを人々に届けることで、我知らず心穏やかにしてくれる花々。私はそんな花が大好きです。どうぞご覧下さい。
いかがでしたか。タイに来て感じるようになったことは、花々だけでなく、植物にも動物にもにも、更には、物にも、心があるということです。水耕栽培のことを以前書きましたが、野菜にも心があるのだなぁといつも思い知らされます。家の庭木にしても同じことです。ちょっと世話を怠ると、成長が悪くなったり、病気が出たりします。それに比べ、道端に咲いている花々は強いでしょうが、心の有り様を感じることがあります。ちょっとした思い、気持ちを、花々も敏感に感じているようです。
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2018年10月29日
ショートショート(超短編)(2)−−フィットネスクラブ
第2話 フィットネスクラブ
僕は最近フィットネスクラブに行き始めた。最近ストレス性の肥満にかかっているからだ。ここ1年間で体重が20キロも増えてしまって、仕事をするときも、ちょっと体を動かしても、ゼーゼーいってしまうほどで、これではいけないと思ったからだ。あまりしんどいので、病院にいって検査をしてもらったが、どこも悪いところはありませんね、って言われてしまって、ちょっと残念だった気がしたが、帰り際に医者に、やっぱりちょっと体重オーバーですかね、といわれた。自分でもうすうす、いや、しっかりとわかっていたけど、人に言われると、気分はよくないね。そういったことで、フィットネスに行って、体を絞ってと思ったんだ。
「いらっしゃいませ。初めてのお方ですか?ようこそお越しくださいました。今までどこかでフィットネスクラブに入っていたご経験はおありですか?」
「あ、はい、えぇ、その・・・・」
クラブの部屋に入ると、いきなりカウンターのところにいた若い活発そうな女の子が立て続けに質問を機関銃のように撃ちまくってきた。これがこのクラブの方針なんだなと、ついつい考えてしまう。職業病なんだろうなと思った。これ以上肉がついたらもうテレビの前面には出られなくなるなって思っていたし、上司も冗談半分だったけど、そろそろ画面からはみ出すかもしれないな、なんていっていた。もっとゆっくり迎えてくれないかなと思ったが、フィットネスクラブの受付はやはり活発で、はきはきしているってイメージを作るのがいいのだろう。この子はそれにぴったりの対応をしている。若いし、可愛いし、活発そうで、スポーツは何でも出来そうだし。
「ご入会ですか?どのコースをお考えですか?スイミングですか?ウオーキングですか?エアロビですか?・・・・・ですか?・・・・ですか?・・・・はどうされます?」
とにかく次々に、打ちまくる彼女の質問という機関銃。「はぁ、えぇ、その、まぁ、・・・・」僕にはなんて答えて良いか分からなかった。初めてで、体重が最近増えてきたので、ちょっとウエイトトレーニングをしたり、スイミングをしたり、他に何か適当なコースものがあればそれをするか、また、時間は最初はしんどいだろうから、毎日ってわけにはいかないので、週に1回か2回で、夕方の7時くらいから始められたら良いのに、なんてここに来る前は思っていたんだが、それを口にする暇もないんだね。早口、早口、本当によく言うと気風の良い喋り方をしてるんだけど、駄目だ。追いついていけない。太ったので動作が鈍くなったのは日常生活の中で実感しているけど、頭の回転も、口の回転も鈍くなってるのかね。このクラブに来て、僕は殆ど何も喋っていないんです、何か喋れるまでちょっと待ってくれませんか。分かりますよ、きびきびとした雰囲気を出そうってのは、それが社長の方針なのでしょ。それは良いですよ。でも、僕は今はスローなんです。今はちょっと愚図になったんです。
「どうされました?何かお聞きになりたいことあります?お分かりにならないことあります?」
また始まった。駄目だ。
「すいません。カタログありますか?」
「カタログです?あぁ、入会案内書のことですね。」彼女はそういう前から入会案内書を左手に持って喋っていたのだ。それで、一応カタログですかといいながら、それをぱっと右手に持ち替えて、カウンターの上においたのだった。この早業にまた驚いて、「あぁ」って言いながらつい後すざりをしてしまった。その後すぐに、急いで、「ありがとう」といいながら、唾を飲み込みながらそれを受け取って鞄の中に入れようとしたが、急いでいたこともあって、鞄のファスナーがなかなか空かなくて、背広のポケットに押し込んで、もう一度「ありがとう」といって、出口の方に向かった。彼女はありがとうございます、またどうぞ、お待ちしています、と明るい活発な声で、歯切れ良く僕の背中に向けて、言ってくれた。何とか体重は減らさなければならないけど、どうしたものか。
「やっぱり、少々体重が多めのようですね。だから、まず、スイミングとかプールの中で歩いたりするコースから始められたらいいと思いますよ。でも、まず、退院されてからになるでしょうから、退院されたらまたクラブの方に寄って、入会手続きをして下さい。お待ちしてますからね」
実は、カタログ、いや、入会案内書をもらった日に、あまりに焦っていたために、いやそれだけでなく、重い体重を脚が支えられないって不平を言ったんです。巷では転ぶって言いますが、それなんです。そのまま、救急車で病院に直行。骨折していました。減量は骨折回復の後ってことになりました。
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2018年10月28日
ロングステイで何してるか(3)ーー水耕栽培
今までいくつかやった中で、結構、順調に続いているのは、水耕栽培です。
英語ではHydroponics(ハイドゥロポニクス)といいます。タイでは、ハイドゥロポニクといいます。最後の「ス」が言えてないんですね。今日は、この「水耕栽培」について、ご紹介したいと思います。
順調といっても、いろいろと苦労があり、紆余曲折の末、まぁ順調というところです。
水耕栽培を始めようと考えたのは、ネットでその記事を見たことが始まりです。
日本では父から受け継いだ田んぼや畑があるのですが、本格的に稲を作ったり、野菜を育てたりということはしていませんでした。
定年後は農業もしようと予定に入れてはいたのですが、水耕栽培は頭にありませんでした。
まずネットで見つけたのは、PVCパイプを使った水耕栽培です。それが下の写真です。第1号機から第3号機まで作りました。初めはうまくいきませんでした。
何故うまく育たないのかという理由をネットで探して、それを改善していきました。 例えば、タイのような暑いところですから、暑さ対策が必要だろうと思いました。ネットで日陰を作ってやったのですが、枯れてしまったり、ヒョロヒョロっとして、幹がしっかりしませんでした。暑くても日光が必要なんですね。このことは他の草花にも言えることのようです。太陽とはありがたいものです。また一定のところまで育っても、その先に進まず、結局、枯れたようになったり、葉っぱが十分に茂らなっかりしました。 それは栄養分が足りないのだということが分かりました。タイで販売されているA,Bという肥料を使うとうまく育つということを知り、早速、ネットで購入して試してみました。予定通り、野菜は育つようになって来ました。その他、水耕栽培をしている人のところに行って、話を聞いたり、設備を見せてもらったり、分からないことを質問したりしました。その情報もこの後のステップに随分役に立ちました。 |
PVCパイプを卒業して、やや本格的に水耕栽培を始めようと決意し、水耕栽培用に作られたパイプを使って栽培をすることにしました。
こういったことは、ネットでも勉強しましたが、直接訪問した人たちから教えてもらったことが大部分です。どこでパイプを買ったらいいか、どのように設置すればいいか、栽培を始めて何をしたらいいか等々、教わりました。
下にある写真が、PVCパイプから水耕栽培用パイプを使って、現在栽培しているシステムです。
このシステムを始めてからも、いろいろと苦労はありました。
最初に依頼した業者(業者といっても、近所の何でも屋の大工ですが)は、金をケチったために、使っている屋根のパイプが、四角形状の薄い鉄だったために、雨が降ると、屋根のビニールに水が溜まり、すぐに曲がってしまいました。
そのあと、現在のドーム形式の屋根に変えた訳です。
同じ所で栽培しているのだから、毎年同じことが起こりそうな気がしますが、毎年、違うことが起きますね。考えると、当たり前ですね。
去年は雨が多く、葉腐れのような状態が蔓延したとか、虫が多かったとか、同じことは起きないんですね。勉強になります。
考えてみると、我々人間の体も同じですね。去年までこんなことはなかったのに、何で今年は!!!ってことがよくありますね。
出来た野菜は、大々的にではないですが、近所の人にあげたり、売ったりしています。
また、タイ人が好んで食べる「生春巻き」のようにして販売したり、差し上げたりしています。
大した収入にはなりませんが、今まで、所謂、投資した資金の回収を少しずつですが、進めています。3年から5年はかかりそうです。
初期投資だけでなく、後から、いろいろと物入りでその出費を計算すると、直ぐに元が取れるといえるほど簡単ではないようです。
しかし、元が取れなくても、この水耕栽培は銭儲けのためではなく、趣味でやっているので気にはなりません。
むしろ、周りの人々やお坊さんに野菜や生春巻きを、貢ぎ物として差し上げることが出来ることを、嬉しく思っています。
タイに来て、のんびりとした日々の生活を、快適に、のんびりと送れることに感謝をしているのです。お宅の野菜は美味しいねって言ってもらえることが何よりです。
1年半前に水耕栽培を始まるに際して、Opening partyと銘打って、近所の人や知り合いなどを呼んで、パーティを開きました。
たくさんの人が来てくれて、大盛況でした。もっとも、タイの人たちはパーティが大好きです。飲んで食って、歌って。特にカラオケが大好きです。
このパーティの時も、勿論、カラオケを用意しました。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
まだまだ、面白いブログを書けるようになるには時間がかかりそうですが、頑張ります。
また、ご訪問下されば嬉しいです。