2019年03月02日
クロア篇−5章2
透明な朱色の飛獣がすいっと屋敷の正門を越えた。いよいよ町中での戦士捜しだ。町灯が照らす大通りには人影が多く行きかっている。彼らの風貌がどんなのか、クロアは目をこらしてみるものの、よくわからない
「この高さからだと人の身なりまで見えないわ」
「俺が遠目の術を使ってみましょう」
ダムトは透明化と同時に望遠の術を使いはじめた。術の同時併用ができるとは器用だ、と術に不慣れなクロアは関心した。が、彼の集中力を途切れさせるような雑談は避ける。
「それで、いま見た感じはどうなの?」
ダムトは上体を左へ右へとかたむけ、足下の景色を見下ろす。
「……野外で眠る者が多いようです」
彼は町中の変事を告げた。クロアは人捜しを中止し、ダムトが察知した事柄を追究する。
「よっぱらいなのかしら?」
「酒が深まる時間帯にしては少々早いですね」
「じゃあなんだと思う?」
「酒に関する催し物があるとは聞きませんし……いささか変です」
クロアはためしにソルフにもたずねたものの、彼も見当がつかなかった。結局上空にいてはなんの解決にならないのだ。
「寝ている人の様子を見てましょう。ダムト、ベニトラに行き先を指示して」
ダムトが視覚的情報を述べた。その場所にベニトラが降下する。
大通りから外れた小道に、家屋の壁に寄り掛かる男性がいた。そっと接近してみると男性はやはり寝ている。だが泥酔したときにただよう酒臭さや顔の紅潮はない。
「お酒を飲んでいない方のようね」
「はい。突然眠くなったからその場に寝た、といった様子ですね」
男性の身なりを見るに、町の住民のようだ。この町の男性の多くはなんらかの職人を務める。クロアは職人がなりうる病気に心当たりがある。
「病気かしら?」
「ひとりなら持病もありうるでしょうが、複数人ですから……」
「そう? 納期のせまった職人がかかりやすい病気があるんでしょ」
「職人の職業病……?」
ダムトは知らないらしい。クロアは不確かな伝聞を思い出す。
「えっと……夜に寝たくても寝付けなくて、ねむるべきでない時間にねむくなってしまうっていう病気」
従者の後ろで「不眠症?」とソルフが言った。クロアはそれらしい病名を得て、「それだわ」と膝を打つ。
「ね、その病気はこの町の人の持病になりやすいんじゃない?」
はーっ、というダムトの呆れ声が漏れる。
「貴女がおっしゃっている職業病は病気ではありません」
「そうなの?」
「職人が寝る間も惜しんで商品を完成させることがある、という一般的現象です」
「こんなふうに道ばたで寝るのとは、関係ないの?」
ダムトが「そうです」とそっけなく答える。
「くだらないことを口走らないでください。ムダに頭を使ってしまったでしょう」
「使ったって減るもんじゃないでしょ」
「ただでさえ日頃から気疲れするというのに、まったく無神経な……」
「それだけ主人に好き勝手言えてる部下が『気疲れ』するもんですか」
二人の口げんかはソルフによって止められた。彼がべつの野宿中の人も見てみようと言うので、移動を再開する。ふたたび空へ上がった。付近にいた、めぼしい人物を見つける。その人のもとへ降りると、小道の曲がり角に帽子を被った男性が座っていた。この人も酒気を帯びていない町の住民ようだ。
「やっぱり酒は入っていないようよ」
「これは何者かがねむらせたのかもしれませんね」
「眠り粉かなにかがばらまかれたのかしら?」
「だとしたら近辺一帯が眠る人で埋まるはずです。俺が上から見たところ、居眠りをする人はバラバラな地区にいました。これは個人に対して仕掛けられたと考えるべきかと」
「ひとりずつねむらせて、犯人はなにがしたいのかしら」
クロアは被害者の服装を見る。さきほどの男性といい、いたって平凡な格好だ。
「物取りにしたって、もうちょっとお金を持っていそうな人をねらうでしょうし」
「物取り……たずねてみましょうか」
ダムトは飛獣から降り、自分だけ透明化の術を解除した。彼は眠りこける男性のそばでしゃがみ、男性が立てた膝をゆさぶる。だが覚醒の効き目はない。次にダムトは上着の隠袋から長方形の小物を出す。
「これは掘り出し物なのですが……目覚ましに効く火具だそうです」
指で小物の側面をこすると、長方形の箱が上下に分かれる。分かれた隙間に指をかける。金物が擦れる音が鳴ると火が灯った。
「それをどうするの?」
「ねている者の目に近づけます」
「うっかりヤケドさせてしまわない?」
「そうならないように頭を固定します」
ダムトは片手で睡眠中の男性の額を押した。その目元に火を近づける。まつ毛が焼けそうなほど距離が縮まったとき、まぶたが開いた。男性は眼前の火をおそれ、目をひんむく。
「驚かせてしまって申し訳ない」
ダムトはすぐに火を消した。中年らしき男性は眼球だけをうごかして、青年を見つめた。
「貴方はなぜこんなところで寝ている?」
男性は答えない。まだ頭が覚醒しきらないようだ。
「なにか盗られている物はないか、確認してもらえるか?」
「は、はい。兵士さん」
男性はダムトを見回りの警備兵だと判断した。ダムトの指示通りに貴重品の有無を調べ、なにも不足がないことを述べた。
「盗難はなし、か……ここで寝てしまった心当たりはあるだろうか?」
男性が首をひねった。ダムトは質問を変える。
「ねむる直前の出来事でもいい」
「寝るまえのこと……? ああ、女の人と会ったなぁ」
「女……特徴は?」
「こう、胸が大きくて色っぽくて……『いまおヒマ?』と聞いてきたもんで、家に帰るところだと言うと急に……」
男性の顔がにやけた。まんざらでもないことを体験したらしい。ダムトはため息を吐く。そのため息はさきほどクロアに向けたものとはちがい、安堵の念があった。
「……精気を吸い取られたか。寝てしまったのはそのせいだ。大事ない」
ダムトは男性に家路につくよううながした。男性が立ち去るのを見届けてから、クロアがいるであろう場所へ近づく。
「どうやら夢魔がわるさをしているようです」
「夢魔って、あの……」
「端的に表現すると『スケベ魔人』ですよ」
クロアは「まあ」と口元を手でおおう。
「どうして夢魔がこの町に、しかも大量に……?」
「いえ、単独犯かもしれません。被害者には着衣の乱れがなかったので、せいぜい唇をうばう程度の行為をしているのでしょう。そうやって生き物の精気を糧とする連中です」
道行く者に接吻をしかける痴女──その餌食になった男性はうれしそうだった。一概に害を被ったと言えない被害者を生む行為を、取り締まるべきか否か、クロアは迷う。
「あの、それはやっぱり、捕まえたほうがいいのかしら?」
「はい。優先して捕えたい罪人がいないいま、見過ごす理由はないかと」
「そうよね……でもどうやって捕まえたらいいの?」
「俺が標的を釣ってみましょう。術具屋か道具屋で必要なものを調達して参ります」
ダムトは自身の招獣を呼んだ。それは四対八枚の羽を持つトンボだ。大きさは普通の虫と同じくらい。その背に乗れる飛獣でもあるが、この小ささのときは偵察用に使う。
「しばらく上空でお待ちください。敵が釣れたときは俺の招獣に案内させます」
トンボがクロアの見えざる肩に止まった。これこそが、姿をくらましてもその技が通用しない者がいる証だ。
「ではあとで合流しましょう」
ダムトはひとり、駆けていった。
「この高さからだと人の身なりまで見えないわ」
「俺が遠目の術を使ってみましょう」
ダムトは透明化と同時に望遠の術を使いはじめた。術の同時併用ができるとは器用だ、と術に不慣れなクロアは関心した。が、彼の集中力を途切れさせるような雑談は避ける。
「それで、いま見た感じはどうなの?」
ダムトは上体を左へ右へとかたむけ、足下の景色を見下ろす。
「……野外で眠る者が多いようです」
彼は町中の変事を告げた。クロアは人捜しを中止し、ダムトが察知した事柄を追究する。
「よっぱらいなのかしら?」
「酒が深まる時間帯にしては少々早いですね」
「じゃあなんだと思う?」
「酒に関する催し物があるとは聞きませんし……いささか変です」
クロアはためしにソルフにもたずねたものの、彼も見当がつかなかった。結局上空にいてはなんの解決にならないのだ。
「寝ている人の様子を見てましょう。ダムト、ベニトラに行き先を指示して」
ダムトが視覚的情報を述べた。その場所にベニトラが降下する。
大通りから外れた小道に、家屋の壁に寄り掛かる男性がいた。そっと接近してみると男性はやはり寝ている。だが泥酔したときにただよう酒臭さや顔の紅潮はない。
「お酒を飲んでいない方のようね」
「はい。突然眠くなったからその場に寝た、といった様子ですね」
男性の身なりを見るに、町の住民のようだ。この町の男性の多くはなんらかの職人を務める。クロアは職人がなりうる病気に心当たりがある。
「病気かしら?」
「ひとりなら持病もありうるでしょうが、複数人ですから……」
「そう? 納期のせまった職人がかかりやすい病気があるんでしょ」
「職人の職業病……?」
ダムトは知らないらしい。クロアは不確かな伝聞を思い出す。
「えっと……夜に寝たくても寝付けなくて、ねむるべきでない時間にねむくなってしまうっていう病気」
従者の後ろで「不眠症?」とソルフが言った。クロアはそれらしい病名を得て、「それだわ」と膝を打つ。
「ね、その病気はこの町の人の持病になりやすいんじゃない?」
はーっ、というダムトの呆れ声が漏れる。
「貴女がおっしゃっている職業病は病気ではありません」
「そうなの?」
「職人が寝る間も惜しんで商品を完成させることがある、という一般的現象です」
「こんなふうに道ばたで寝るのとは、関係ないの?」
ダムトが「そうです」とそっけなく答える。
「くだらないことを口走らないでください。ムダに頭を使ってしまったでしょう」
「使ったって減るもんじゃないでしょ」
「ただでさえ日頃から気疲れするというのに、まったく無神経な……」
「それだけ主人に好き勝手言えてる部下が『気疲れ』するもんですか」
二人の口げんかはソルフによって止められた。彼がべつの野宿中の人も見てみようと言うので、移動を再開する。ふたたび空へ上がった。付近にいた、めぼしい人物を見つける。その人のもとへ降りると、小道の曲がり角に帽子を被った男性が座っていた。この人も酒気を帯びていない町の住民ようだ。
「やっぱり酒は入っていないようよ」
「これは何者かがねむらせたのかもしれませんね」
「眠り粉かなにかがばらまかれたのかしら?」
「だとしたら近辺一帯が眠る人で埋まるはずです。俺が上から見たところ、居眠りをする人はバラバラな地区にいました。これは個人に対して仕掛けられたと考えるべきかと」
「ひとりずつねむらせて、犯人はなにがしたいのかしら」
クロアは被害者の服装を見る。さきほどの男性といい、いたって平凡な格好だ。
「物取りにしたって、もうちょっとお金を持っていそうな人をねらうでしょうし」
「物取り……たずねてみましょうか」
ダムトは飛獣から降り、自分だけ透明化の術を解除した。彼は眠りこける男性のそばでしゃがみ、男性が立てた膝をゆさぶる。だが覚醒の効き目はない。次にダムトは上着の隠袋から長方形の小物を出す。
「これは掘り出し物なのですが……目覚ましに効く火具だそうです」
指で小物の側面をこすると、長方形の箱が上下に分かれる。分かれた隙間に指をかける。金物が擦れる音が鳴ると火が灯った。
「それをどうするの?」
「ねている者の目に近づけます」
「うっかりヤケドさせてしまわない?」
「そうならないように頭を固定します」
ダムトは片手で睡眠中の男性の額を押した。その目元に火を近づける。まつ毛が焼けそうなほど距離が縮まったとき、まぶたが開いた。男性は眼前の火をおそれ、目をひんむく。
「驚かせてしまって申し訳ない」
ダムトはすぐに火を消した。中年らしき男性は眼球だけをうごかして、青年を見つめた。
「貴方はなぜこんなところで寝ている?」
男性は答えない。まだ頭が覚醒しきらないようだ。
「なにか盗られている物はないか、確認してもらえるか?」
「は、はい。兵士さん」
男性はダムトを見回りの警備兵だと判断した。ダムトの指示通りに貴重品の有無を調べ、なにも不足がないことを述べた。
「盗難はなし、か……ここで寝てしまった心当たりはあるだろうか?」
男性が首をひねった。ダムトは質問を変える。
「ねむる直前の出来事でもいい」
「寝るまえのこと……? ああ、女の人と会ったなぁ」
「女……特徴は?」
「こう、胸が大きくて色っぽくて……『いまおヒマ?』と聞いてきたもんで、家に帰るところだと言うと急に……」
男性の顔がにやけた。まんざらでもないことを体験したらしい。ダムトはため息を吐く。そのため息はさきほどクロアに向けたものとはちがい、安堵の念があった。
「……精気を吸い取られたか。寝てしまったのはそのせいだ。大事ない」
ダムトは男性に家路につくよううながした。男性が立ち去るのを見届けてから、クロアがいるであろう場所へ近づく。
「どうやら夢魔がわるさをしているようです」
「夢魔って、あの……」
「端的に表現すると『スケベ魔人』ですよ」
クロアは「まあ」と口元を手でおおう。
「どうして夢魔がこの町に、しかも大量に……?」
「いえ、単独犯かもしれません。被害者には着衣の乱れがなかったので、せいぜい唇をうばう程度の行為をしているのでしょう。そうやって生き物の精気を糧とする連中です」
道行く者に接吻をしかける痴女──その餌食になった男性はうれしそうだった。一概に害を被ったと言えない被害者を生む行為を、取り締まるべきか否か、クロアは迷う。
「あの、それはやっぱり、捕まえたほうがいいのかしら?」
「はい。優先して捕えたい罪人がいないいま、見過ごす理由はないかと」
「そうよね……でもどうやって捕まえたらいいの?」
「俺が標的を釣ってみましょう。術具屋か道具屋で必要なものを調達して参ります」
ダムトは自身の招獣を呼んだ。それは四対八枚の羽を持つトンボだ。大きさは普通の虫と同じくらい。その背に乗れる飛獣でもあるが、この小ささのときは偵察用に使う。
「しばらく上空でお待ちください。敵が釣れたときは俺の招獣に案内させます」
トンボがクロアの見えざる肩に止まった。これこそが、姿をくらましてもその技が通用しない者がいる証だ。
「ではあとで合流しましょう」
ダムトはひとり、駆けていった。
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