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2019年02月04日

クロア篇−3章3

「あの、ちょっとおたずねしてよろしい?」
「なんです」
 店員はクロアたちの入店時と同様の無愛想さにもどっている。高額な商品を値下げするはめになり、傷心しているらしかった。
「わたくし、首輪の値引きは遠慮しますわ」
「え、なんでそんな奇特なことを?」
 店員が目を丸くした。若干うれしそうだが、すぐにしかめ面になる。
「なにか裏がおありのようですね……」
「あなたに言われたくありませんわ」
 首輪の最大の欠点を隠そうとした店員は再度うつむき、帳簿に目をやる。あまり掘り返されたくない話題のようだ。クロアは追い打ちをかけずに、話をすすめる。
「わたくし、招獣の寝床を用意したいのです」
 クロアは成猫の大きさになったベニトラを指差す。
「いまのあの子に合うものが、このお店にあります?」
 店員は床に丸まるベニトラを見つめる。しばし考えたのち、席を離れた。彼はあらたに商品を持ってくる。それは魔獣を捕獲したり招獣を閉じ込めたりする檻ばかり。そういった拘束目的の住処はクロアの想定にない。もっと自由な、好きに出入りできる温かい寝床がよいのだ。
「もっとフツーなものでいいのよね……」
「すいませんが、うちの専門外です」
「そう……残念ですわ」
 店員も残念がった。公女の希望を叶えれば首輪の代金は満額もらえたのに、という悔いの表情がにじんでいる。
「商品以外ではこんなものしか……」
 店員は文具類のそばにある編みカゴに手をのばした。カゴには文字が書かれた紙や丸めて紙が入っており、店員はそれを除ける。空になったカゴは内側に布が敷かれていた。
「これは買い物カゴだったんですが、持ち手が取れてしまいましてね。捨てりゃいいんですけど貧乏性なもんで……」
「広さはちょうどよさそうですわ。でも寝床にするには底が深いかしら。ちょっとためしてよろしい?」
「はい、お好きなように」
 クロアは床にいるベニトラを持ち上げた。勘定台に置かれたカゴへ、獣を入れる。カゴの中でベニトラは尻を落とした。カゴの正面から顔が見える。
「んー、ほどほどの高さのようね。ベニトラはどう思う?」
「敷き物があればなお良し」
「それなら屋敷に余ってると思うわ。帰ったらさがしてみましょ」
 クロアはカゴの側面を両手で触れる。
「これをくださる?」
「よろこんでお譲りします。ですが、本気でそんなもののために首輪を定価で購入なさるのですか?」
「そうですけれど、なにか問題があって?」
「こっちの懐を痛めずに、売れ残りとゴミを公女様に押し付けるわけにはいきません」
 店員は意を決したように立った。彼はカゴの縁をつかむ。カゴの中にいたベニトラがぴょんと勘定台へ移動した。
「このカゴに回復薬をお詰めします。それで首輪をお買い求めいただけますか?」
「首輪を買えば、回復薬が無料でついてくるということですの?」
「はい。おっしゃるとおりです」
「値引きよりもお店の負担にならないのでしたら、それでよろしいですわ」
 商談は成った。店員が空のカゴを抱え、商品棚のほうへやってくる。彼は招獣用の薬やらおやつやらをカゴへどんどん詰めた。種類ごとに一点ずつ無償提供するようだ。どれがベニトラに合うものかだれもわからないので、全種類詰め合わせが無難な贈り物だと言えた。
 店員が一通りの回復薬をカゴに敷きつめた。それを勘定台に置き、また定位置にもどる。
「こんなところで、どうでしょう」
「ええ、充分ですわ」
 レジィが首輪の代金を支払った。この大陸でもっとも高額な紙幣通貨がやり取りされるのを、クロアは不思議な感覚で見守る。
(金貨のほうが価値がありそうだけど……紙幣が高いのよね)
 クロアは自分の手でお金を使う機会がとんとなく、通貨の基準がいまひとつなじんでいなかった。ダムトが言うには「紙幣を使うときは大金がうごいているものだと思ってください」だとか。
(もうお金をたくさん使っちゃったわ)
 招獣一体に大金を投入する。その決定を熟練の従者はどう思うだろうか。
(「ムダ遣いした」と言われるかも)
 傭兵の雇用に注力すべき状況で、別段金をかける必要はないベニトラへの散財はとがめられうる。そうなったとしてもクロアは気にしない。おそらくクロアが買わねばずっと店に飾られていた品物だ。使われずにいる道具の、本来の役目を果たしてやることに意義があるように思えた。
 会計は終わった。首輪の代金を得た店員はホクホク顔でいる。これだけよろこんでいるのならもうすこし依頼事を押し付けてもいける、とクロアは打算的になる。
「ちょっとおたずねしてもよろしい?」
「お、なんですか」
「このお店に強そうな人がお見えになることはあります?」
「くるときはきますよ、招獣を戦友にする人はいますんで。でも多くはないですね」
「ではもしお越しになったら、公女が仕事を依頼したがっているとお伝えねがえます?」
「はぁ、かまいませんが……」
 店員はカゴをぽんぽん触るベニトラに視線を落とす。
「この招獣を捕まえたのに、まだ人手がいるんで?」
 町の住民にとっての脅威はこの魔獣だけ──それが現段階の民衆の認識らしい。クロアは注意喚起がてら目下の計画を明かす。
「賊の討伐をしたいので、お強い人を捜しているのです。これは一時的な傭兵の予定ですわ」
「でしたら同業組合に行かれては? そこだったら内密な口利きもやれるそうですよ」
 それはクロアの知らない同業組合の活用方法だ。初耳ゆえに自分の認識があやまっていないか、確認をとる。
「一般公開しない募集もできる、ということですわね?」
「はい、うちにたのむよりは確実だと思いますよ」
「わかりましたわ。有益な情報をくださり、感謝します」
 クロアは店を出る意味もかねて礼を述べた。勘定台にいたベニトラがクロアの肩にとまる。前足でクロアにつかまっているが体重はかかってない。得意の浮遊能力で、体重をかけないようにしていた。
 店員は席を立ち、「ちょいと聞きますが」とクロアとの会話を続ける。
「あのう、その赤毛の招獣はずっと連れあるくおつもりで?」
「そうですけど、よろしくないのかしら?」
「いえ、大丈夫だと思います。そいつが気のいい獣だということがわかりましたし」
 ベニトラはクロアの足となる飛獣、あるいは護衛の招獣だ。この獣に危険性がないことは周知されておきたいとクロアは思う。
「よろしければその評判を広めてくださる?」
「ええ、そうしましょう」
 ヒゲ面の店員は純朴な笑みをベニトラに向ける。その笑顔はクロアの来店以降、はじめて見せる表情だ。
「そいつはこれからこの町を守ってくれる招獣なんだ、って」
 その期待は婉曲的にクロアにもそそがれている。クロアは自分が住民から求められている役目を再確認し、うれしさと責任の重さをかみしめた。

タグ:クロア
posted by 三利実巳 at 02:00 | Comment(0) | 長編クロア
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