2019年01月25日
クロア篇−2章3
クロアは猫に擬態したベニトラとともに居室へ入った。室内にはすでに家族が着席している。父と母、そして母方の祖母。父たちが笑顔で「おはよう」と挨拶してくる。クロアもそつなく返事をした。
クロアの家族はこの三人以外にもいる。妹と、弟。妹たちは聖都の学生寮で寝泊まりするので、この場に集まることは最近とんとない。現在、アンペレに在住する公子公女はクロアだけだ。
クロアの後ろを追いかけてきた猫は食卓の下にもぐりこんだ。一家の視界外にてくつろぎはじめる。この獣は人間の邪魔にならぬ場所でゴロゴロするつもりなのだろう。クロアは猫の良識を信じ、自由にさせた。
クロアが食卓に着く。そのとき、目の端に異物を捕捉する。家族ではない老爺が、部屋のすみに居るのだ。クロアは思わず顔をしかめる。
「カスバン、こんな早くになんの用?」
かの老爺は先代の領主にも仕えていた高官である。いまなお現領主の補佐役を務める。忠臣と言って差し支えない人物だ。その評判と功績自体は称揚すべきことなのだろうが、クロアは彼を嫌悪している。この老爺の実直さはクロアにとってわずらわしく感じることが多々あるのだ。
老爺は鉄面皮の口元をうごかす。
「今朝からダムトの姿が見えません」
やはりクロアの素行をつつく話題をしかけてきた。クロアは身構える。この老爺はこれからご飯のまずくなるような指摘をしてくるにちがいないと思った。
「クロア様なら行方をご存知かと思いまして──」
「ダムトなら調べものをしに出かけましたわ」
クロアは老爺の質疑がただの談話で済むよう、当たり障りなく答える。
「夕刻までにはもどるそうですから、あなたが心配する必要はなくってよ」
だから部屋から出ていけ、といった旨をクロアは言いたかった。しかし高官を邪険に追い返す行為は父の手前、できなかった。
「私めが知りたいのは、なにが目的でダムトを派遣なさったか、ということです」
老爺はクロアが伏せた核心を突こうとしてくる。それが癪に障ったクロアは臣下をにらみつける。
「ダムトはあなたの部下ではありませんの。わたしの直属の護衛です。出過ぎた詮索はおよしなさい」
「どうやら他言できないご様子」
舌戦に長けた老爺はクロアの非難を物ともしない。
「伯にお聞かせできぬことを指示なさったのですかな?」
伯とはクノードのことだ。各地の領主は自分の臣下、および領民からそう呼ばれる。ほかにもいろいろ呼び方はあるが、礼にのっとった範囲ならば各々の好きに呼んでよいことになっている。
「おおかた、野盗退治のために偵察に行かせたのでしょう?」
老爺は無表情だった顔に静かな怒りをのぼらせる。
「伯のご意思を無視したその指示こそ、出過ぎた越権行為というものですぞ」
「あら、お父さまは兵が集まれば討伐に行ってよいとおおせになったのよ」
クロアも負けじと反論する。
「どうせ行くのですから、物事の順番が前後したって同じことですわ」
「そうはおっしゃいますが、使いものになる戦士がどれだけ集まりましょう」
老爺は数歩、前に進みでる。
「アンペレの正規兵の中でもっとも強い者と同等……それくらいは戦えませぬと、伯はご安心になりますまい」
この町の精鋭と同格の技量を持つ者、となると、それは実際に両者を戦わせてみなくては判別がつかない。つまり、老爺はクロアの集めた戦士の実力を試したいようだ。クロアは彼の主張が自分にとって好都合だと思う。
「わかりましたわ。うちの最強の戦士と手合わせして、勝った者を登用するという条件でよろしいわね?」
どうしようかと二の足を踏んでいた事柄が、どんどん先に進むような快調さをクロアは感じた。次なる課題は実際に戦士の実力をはかる試験官の選出だ。これにはクロアの一案がある。
「ま、最強といえばわたしなのでしょうけど……」
一対一の戦闘ではクロアがこの町で随一の実力者だと自負していた。しかし今回の試験官には不適当だともわかっている。
「わたしが相手では不満でしょ?」
「ええ。クロア様が戦士の獲得に執着なさるあまり、わざと負けることも考えられますゆえ」
クロアが不正をはたらく可能性が無いとは言えない。だがそれを老爺が臆面もなく当人に告げるとは、不敬に相当する。クロアは臣下の態度をあげつらってもよかったが、やめておいた。むしろ強気な提案をしたほうが自分にとって有利になる、と判断する。
「だったら力試しを担当する武官はそちらで決めてちょうだい」
そう、試験官選びはこの高官に押し付けてしまえばよいのだ。だれもが結果に納得するし、クロアの負担が軽減する。一挙両得である。
老爺は片眉をあげた。口答えはせず「いいでしょう」と承諾する。
「私のほうで戦士の腕試しをする者を捜します。クロア様は挑戦者を『多数』お集めになってください」
多数、という言葉を老爺は強調してきた。クロアは彼がどの程度の人数を多いと思うのか、予測がつかない。
「いったい何人必要なの?」
「合格者は五人以上……どうですかな伯、何名の豪傑がおればよいとお考えになりますか?」
急に話をふられたクノードが生返事する。
「ああ、五人、でいいんじゃないかな」
よく考えてはいなさそうな、適当な回答だ。募兵をかけろ、と言った本人といえど、実際に何人の精鋭が必要か、という勘定はしていなかったようだ。討伐対象の勢力を把握できていない状況では無理もなかった。
「期限は決めないから、気長に待ちなさい」
悠長な言葉だ。実際問題、有能な傭兵がすぐ現れる保証はない。クロアは早期にケリをつけたい気持ちをこらえ、父の言葉にしたがうことにした。
「討伐の褒賞金は融通するが、法外な額にしないように」
「はい、心得ましたわ」
正式な合意が成立した。家族の団らんを阻害してきた官吏は「失礼いたします」と退室する。閉まる戸を、クロアは誇らしい気持ちで見つめた。
「ふーんだ、偉ぶれるのもいまのうちよ」
老爺は五人の猛者が集合することなど無理だと決めてかかっている。その思い込みが崩してみせる。クロアは賊の捕縛にかける情熱と同等かそれ以上に、老爺への反抗心をたぎらせた。
クロアの家族はこの三人以外にもいる。妹と、弟。妹たちは聖都の学生寮で寝泊まりするので、この場に集まることは最近とんとない。現在、アンペレに在住する公子公女はクロアだけだ。
クロアの後ろを追いかけてきた猫は食卓の下にもぐりこんだ。一家の視界外にてくつろぎはじめる。この獣は人間の邪魔にならぬ場所でゴロゴロするつもりなのだろう。クロアは猫の良識を信じ、自由にさせた。
クロアが食卓に着く。そのとき、目の端に異物を捕捉する。家族ではない老爺が、部屋のすみに居るのだ。クロアは思わず顔をしかめる。
「カスバン、こんな早くになんの用?」
かの老爺は先代の領主にも仕えていた高官である。いまなお現領主の補佐役を務める。忠臣と言って差し支えない人物だ。その評判と功績自体は称揚すべきことなのだろうが、クロアは彼を嫌悪している。この老爺の実直さはクロアにとってわずらわしく感じることが多々あるのだ。
老爺は鉄面皮の口元をうごかす。
「今朝からダムトの姿が見えません」
やはりクロアの素行をつつく話題をしかけてきた。クロアは身構える。この老爺はこれからご飯のまずくなるような指摘をしてくるにちがいないと思った。
「クロア様なら行方をご存知かと思いまして──」
「ダムトなら調べものをしに出かけましたわ」
クロアは老爺の質疑がただの談話で済むよう、当たり障りなく答える。
「夕刻までにはもどるそうですから、あなたが心配する必要はなくってよ」
だから部屋から出ていけ、といった旨をクロアは言いたかった。しかし高官を邪険に追い返す行為は父の手前、できなかった。
「私めが知りたいのは、なにが目的でダムトを派遣なさったか、ということです」
老爺はクロアが伏せた核心を突こうとしてくる。それが癪に障ったクロアは臣下をにらみつける。
「ダムトはあなたの部下ではありませんの。わたしの直属の護衛です。出過ぎた詮索はおよしなさい」
「どうやら他言できないご様子」
舌戦に長けた老爺はクロアの非難を物ともしない。
「伯にお聞かせできぬことを指示なさったのですかな?」
伯とはクノードのことだ。各地の領主は自分の臣下、および領民からそう呼ばれる。ほかにもいろいろ呼び方はあるが、礼にのっとった範囲ならば各々の好きに呼んでよいことになっている。
「おおかた、野盗退治のために偵察に行かせたのでしょう?」
老爺は無表情だった顔に静かな怒りをのぼらせる。
「伯のご意思を無視したその指示こそ、出過ぎた越権行為というものですぞ」
「あら、お父さまは兵が集まれば討伐に行ってよいとおおせになったのよ」
クロアも負けじと反論する。
「どうせ行くのですから、物事の順番が前後したって同じことですわ」
「そうはおっしゃいますが、使いものになる戦士がどれだけ集まりましょう」
老爺は数歩、前に進みでる。
「アンペレの正規兵の中でもっとも強い者と同等……それくらいは戦えませぬと、伯はご安心になりますまい」
この町の精鋭と同格の技量を持つ者、となると、それは実際に両者を戦わせてみなくては判別がつかない。つまり、老爺はクロアの集めた戦士の実力を試したいようだ。クロアは彼の主張が自分にとって好都合だと思う。
「わかりましたわ。うちの最強の戦士と手合わせして、勝った者を登用するという条件でよろしいわね?」
どうしようかと二の足を踏んでいた事柄が、どんどん先に進むような快調さをクロアは感じた。次なる課題は実際に戦士の実力をはかる試験官の選出だ。これにはクロアの一案がある。
「ま、最強といえばわたしなのでしょうけど……」
一対一の戦闘ではクロアがこの町で随一の実力者だと自負していた。しかし今回の試験官には不適当だともわかっている。
「わたしが相手では不満でしょ?」
「ええ。クロア様が戦士の獲得に執着なさるあまり、わざと負けることも考えられますゆえ」
クロアが不正をはたらく可能性が無いとは言えない。だがそれを老爺が臆面もなく当人に告げるとは、不敬に相当する。クロアは臣下の態度をあげつらってもよかったが、やめておいた。むしろ強気な提案をしたほうが自分にとって有利になる、と判断する。
「だったら力試しを担当する武官はそちらで決めてちょうだい」
そう、試験官選びはこの高官に押し付けてしまえばよいのだ。だれもが結果に納得するし、クロアの負担が軽減する。一挙両得である。
老爺は片眉をあげた。口答えはせず「いいでしょう」と承諾する。
「私のほうで戦士の腕試しをする者を捜します。クロア様は挑戦者を『多数』お集めになってください」
多数、という言葉を老爺は強調してきた。クロアは彼がどの程度の人数を多いと思うのか、予測がつかない。
「いったい何人必要なの?」
「合格者は五人以上……どうですかな伯、何名の豪傑がおればよいとお考えになりますか?」
急に話をふられたクノードが生返事する。
「ああ、五人、でいいんじゃないかな」
よく考えてはいなさそうな、適当な回答だ。募兵をかけろ、と言った本人といえど、実際に何人の精鋭が必要か、という勘定はしていなかったようだ。討伐対象の勢力を把握できていない状況では無理もなかった。
「期限は決めないから、気長に待ちなさい」
悠長な言葉だ。実際問題、有能な傭兵がすぐ現れる保証はない。クロアは早期にケリをつけたい気持ちをこらえ、父の言葉にしたがうことにした。
「討伐の褒賞金は融通するが、法外な額にしないように」
「はい、心得ましたわ」
正式な合意が成立した。家族の団らんを阻害してきた官吏は「失礼いたします」と退室する。閉まる戸を、クロアは誇らしい気持ちで見つめた。
「ふーんだ、偉ぶれるのもいまのうちよ」
老爺は五人の猛者が集合することなど無理だと決めてかかっている。その思い込みが崩してみせる。クロアは賊の捕縛にかける情熱と同等かそれ以上に、老爺への反抗心をたぎらせた。
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