2019年01月24日
クロア篇−2章2
朝の支度の最中、クロアは異変に気付いた。いつもの寝覚めのお茶が用意されていない。お茶出しの担当者はダムト。彼の姿が見えないのだ。不審に思ったクロアはレジィに彼の所在を尋ねた。レジィはクロアに耳打ちする。
「手始めに賊のねぐらをさがす、と言って出かけました」
クロアは己の眉が上がるさまを鏡で見てとれた。
「今日の夕方にはもどるそうです」
「お父さまが反対なさったのに?」
「はい。クロアさまはきっと引き下がらないだろうから、と……」
「ふふん、よくわかってるわね」
ダムトの欠点は口の悪さのみ。それ以外、雑務から荒事にいたるまで期待以上の仕事をこなす男だ。
「態度がわるくても頭は回るから重宝するわ」
ダムトの腕っぷしは強いのだが、彼の能力は護衛よりも斥候に適している。情報収集能力はさることながら、身を隠す術や望遠の術を扱え、小回りの利く飛獣を有する。これらの長所を活かせば、偵察を担う偵吏、町中で噂を集める稗官でも十二分に務まるだろう。
「ダムトのはたらきを無駄にしないよう、戦士を集めなくちゃね」
言うのは簡単だ。しかし、たやすく成果を挙げられないことはクロアもわかっている。
「どう人を集めようかしら」
「お触れを出したり、同業組合で斡旋してもらったりしてはどうです?」
同業組合とは種々様々な職種の人員募集を代行する場だ。工房の職人や飲食店の従業員、町の警備兵の追加補充など、あらゆる職務の紹介が一挙に任されている。この町の求人は近隣の都市にも公表されるので、町の外から働き手が来ることがある。その形態は裏を返せば、ほかの土地との待遇差が比較検討されやすいことも意味する。
「うーん、組合で紹介してもらうとなると……」
「なにか問題があるんですか?」
「報酬の相場がよくわからないの」
クロアは金銭感覚がそなわっていない。参考までにレジィやダムトの給金を聞いたとしても、通年で雇用される者と一時的な傭兵では勝手が異なる。
「あんまり安いと人がこないし、高すぎるのもよくないわ」
「そうですか? 公女がお出しになる募集なら、奮発しても──」
「ほかの募集にいく予定だった人手をごっそり奪ってしまうもの」
「あ〜、よその求人の邪魔をしないようにしたいんですね?」
「そう。それに、実力のない人たちもくるかもしれないし、その選別をどうするかって考えると……手を出しにくいわね」
これらの懸念はクロアの知識と経験不足が起因する。父は戦士の募集を許可したものの、その募集に協力してくれるわけではない。すべてクロアが取り仕切ることになる。領主が公女の要望に消極的なので、それは仕方がなかった。
クロアが前途を思いなやむかたわら、レジィは普段の明るい調子をたもつ。
「では地道に勧誘します?」
クロアは少女の発想にびっくりした。自分はそう簡単に外出できない立場だと思っており、町を練り歩く行為は不可能だと見做していた。だが昨日、その規制が緩和されたことを思い出す。
「そうね……わたしは外に出てもいいと言われたんだったわ」
ただしクノードが「行ってもいい」と具体的に指定した場所は一か所のみ。この町にある招獣の専門店だ。ほかの店や場所への訪問には言及されておらず、たしかな外出許可が下りたとは言えない状態だ。クロアはそのあいまいな指示を拡大解釈する。
「お父さまはわたしがお店を見に行くことだけをお考えでいらしたけれど、町の中ならどこへ行ってもいいわよね。そうでなくちゃ強い戦士なんて見つからないもの」
「はい。旅人のいそうな場所に行って、強そうな人を捜してみますか?」
「そうね、剣王国から聖都へ出稼ぎに行く戦士なんかがねらい目ね。ビンボーそうなのは特にいいわ」
「それじゃ、午前の仕事が終わったら外出しましょうよ」
仕事、と聞いてクロアのやる気ががくっと落ちる。クロアは休日以外、午前の職務はかならずこなすことにしていた。午後もやるときはやるが、後日に回してもよい職務内容が多いので、そちらは任意で行なう。だがクロアは昨日の職務をほとんどやれていない。ベニトラに関わるあまり、仕事は後回しになっていた。その分の蓄積を考えると、とても午前中で終われるとは思えなかった。
「え、えーと、今日はどんなことをするの?」
「魔獣の被害があった建物の修復費用の確認と、魔獣を討伐した結果報告書の作成ですね」
「それだけ? 昨日、わたしがやれなかった仕事はたまってないの?」
「はい。クロアさまが魔獣退治にむかっててできなかった分は、クノードさまがおやりになったそうです」
「そう……お父さまが代わりになさってくれたのね」
その発言は実態と相違があることをクロアは自覚していた。クロアが担当する職務はあくまで領主の補佐。領主が行なう職務のうち、平易なものは公女に回される形式だ。公女がいなければ仕事はすべて領主かその補佐役にいく。つまり、公女が領主の代わりを一部担当しているだけなのだ。
しかし今日の職務は事情がちがう。ひとつだけ、代替の効かない仕事がある。
「報告書はわたしにしか書けないわ。とっととやってしまいましょう」
「はい、まず朝餉をとりましょうね」
クロアの朝食は一家専用の居室に用意される。クロアの希望次第では、自室で食べることもできる。
「クノードさまたちとご一緒に食べます?」
「んー、顔は出しておくべきね」
クロアは父との言い合いの件を気にする。
「まだふてくされてると思われたくないわ」
クロアは自室を出る際、寝台へ振り返る。ベニトラはのびのびと腹を天井に向けていた。この獣はもっと休んでいたいらしい。
(ムリに連れていく必要はないわね)
クロアが放置しようとしたところ、猫はころんと体を起こす。四肢を布団につけて、ぐぐっと前足を伸ばした。伸びをしたかと思うと、なにを言うでもなく、クロアのあとをついてきた。
「手始めに賊のねぐらをさがす、と言って出かけました」
クロアは己の眉が上がるさまを鏡で見てとれた。
「今日の夕方にはもどるそうです」
「お父さまが反対なさったのに?」
「はい。クロアさまはきっと引き下がらないだろうから、と……」
「ふふん、よくわかってるわね」
ダムトの欠点は口の悪さのみ。それ以外、雑務から荒事にいたるまで期待以上の仕事をこなす男だ。
「態度がわるくても頭は回るから重宝するわ」
ダムトの腕っぷしは強いのだが、彼の能力は護衛よりも斥候に適している。情報収集能力はさることながら、身を隠す術や望遠の術を扱え、小回りの利く飛獣を有する。これらの長所を活かせば、偵察を担う偵吏、町中で噂を集める稗官でも十二分に務まるだろう。
「ダムトのはたらきを無駄にしないよう、戦士を集めなくちゃね」
言うのは簡単だ。しかし、たやすく成果を挙げられないことはクロアもわかっている。
「どう人を集めようかしら」
「お触れを出したり、同業組合で斡旋してもらったりしてはどうです?」
同業組合とは種々様々な職種の人員募集を代行する場だ。工房の職人や飲食店の従業員、町の警備兵の追加補充など、あらゆる職務の紹介が一挙に任されている。この町の求人は近隣の都市にも公表されるので、町の外から働き手が来ることがある。その形態は裏を返せば、ほかの土地との待遇差が比較検討されやすいことも意味する。
「うーん、組合で紹介してもらうとなると……」
「なにか問題があるんですか?」
「報酬の相場がよくわからないの」
クロアは金銭感覚がそなわっていない。参考までにレジィやダムトの給金を聞いたとしても、通年で雇用される者と一時的な傭兵では勝手が異なる。
「あんまり安いと人がこないし、高すぎるのもよくないわ」
「そうですか? 公女がお出しになる募集なら、奮発しても──」
「ほかの募集にいく予定だった人手をごっそり奪ってしまうもの」
「あ〜、よその求人の邪魔をしないようにしたいんですね?」
「そう。それに、実力のない人たちもくるかもしれないし、その選別をどうするかって考えると……手を出しにくいわね」
これらの懸念はクロアの知識と経験不足が起因する。父は戦士の募集を許可したものの、その募集に協力してくれるわけではない。すべてクロアが取り仕切ることになる。領主が公女の要望に消極的なので、それは仕方がなかった。
クロアが前途を思いなやむかたわら、レジィは普段の明るい調子をたもつ。
「では地道に勧誘します?」
クロアは少女の発想にびっくりした。自分はそう簡単に外出できない立場だと思っており、町を練り歩く行為は不可能だと見做していた。だが昨日、その規制が緩和されたことを思い出す。
「そうね……わたしは外に出てもいいと言われたんだったわ」
ただしクノードが「行ってもいい」と具体的に指定した場所は一か所のみ。この町にある招獣の専門店だ。ほかの店や場所への訪問には言及されておらず、たしかな外出許可が下りたとは言えない状態だ。クロアはそのあいまいな指示を拡大解釈する。
「お父さまはわたしがお店を見に行くことだけをお考えでいらしたけれど、町の中ならどこへ行ってもいいわよね。そうでなくちゃ強い戦士なんて見つからないもの」
「はい。旅人のいそうな場所に行って、強そうな人を捜してみますか?」
「そうね、剣王国から聖都へ出稼ぎに行く戦士なんかがねらい目ね。ビンボーそうなのは特にいいわ」
「それじゃ、午前の仕事が終わったら外出しましょうよ」
仕事、と聞いてクロアのやる気ががくっと落ちる。クロアは休日以外、午前の職務はかならずこなすことにしていた。午後もやるときはやるが、後日に回してもよい職務内容が多いので、そちらは任意で行なう。だがクロアは昨日の職務をほとんどやれていない。ベニトラに関わるあまり、仕事は後回しになっていた。その分の蓄積を考えると、とても午前中で終われるとは思えなかった。
「え、えーと、今日はどんなことをするの?」
「魔獣の被害があった建物の修復費用の確認と、魔獣を討伐した結果報告書の作成ですね」
「それだけ? 昨日、わたしがやれなかった仕事はたまってないの?」
「はい。クロアさまが魔獣退治にむかっててできなかった分は、クノードさまがおやりになったそうです」
「そう……お父さまが代わりになさってくれたのね」
その発言は実態と相違があることをクロアは自覚していた。クロアが担当する職務はあくまで領主の補佐。領主が行なう職務のうち、平易なものは公女に回される形式だ。公女がいなければ仕事はすべて領主かその補佐役にいく。つまり、公女が領主の代わりを一部担当しているだけなのだ。
しかし今日の職務は事情がちがう。ひとつだけ、代替の効かない仕事がある。
「報告書はわたしにしか書けないわ。とっととやってしまいましょう」
「はい、まず朝餉をとりましょうね」
クロアの朝食は一家専用の居室に用意される。クロアの希望次第では、自室で食べることもできる。
「クノードさまたちとご一緒に食べます?」
「んー、顔は出しておくべきね」
クロアは父との言い合いの件を気にする。
「まだふてくされてると思われたくないわ」
クロアは自室を出る際、寝台へ振り返る。ベニトラはのびのびと腹を天井に向けていた。この獣はもっと休んでいたいらしい。
(ムリに連れていく必要はないわね)
クロアが放置しようとしたところ、猫はころんと体を起こす。四肢を布団につけて、ぐぐっと前足を伸ばした。伸びをしたかと思うと、なにを言うでもなく、クロアのあとをついてきた。
タグ:クロア
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