2019年01月22日
クロア篇−1章7
居室に二人の女性が現れた。レジィと貴婦人。この婦人がアンペレ公夫人のフュリヤだ。外見年齢はクロアのすこし上といったところ。母は父に嫁いだときから容貌が変わらないそうだ。その若々しさの原因は彼女が受け継ぐ魔障の血にある。フュリヤは父親が人でない者だった。そんな片親と人間の親をもつ子は半魔とよばれ、その多くは不老長寿だという。
フュリヤはいつも顔以外の肌を一切見せぬ衣装を纏っている。外出の際は顔さえも薄絹で覆い隠した。過剰なまでに露出を抑えるには理由がある。夫以外の異性を色気で惑わせないためだ。彼女自身は普通に過ごしていても、美貌と魅惑的な肉体に心を乱される男性が出るのだ。この特性も、フュリヤの父親が関係するらしいとクロアは聞いている。
フュリヤは帰宅の挨拶をし、夫の近くの席に座った。手には菓子箱がある。
「これは聖都で流行りのお菓子なんですって。お食べになります?」
「みんなで食べよう。レジィも座って食べなさい」
「ご相伴にあずかります」
レジィはクロアの隣りに座った。お茶会に参加する従者がいる一方で、ダムトは当主と夫人に茶を配る。彼と同格なレジィはお茶くみ係をダムトに一任した。
少女従者はクロアの膝にいる獣をなでる。フュリヤがレジィの行動を見ると、見慣れぬ生き物がいることに気付く。
「まあ、その猫はどこで見つけたの?」
「町の上を飛んでいましたの」
フュリヤはきょとんとする。どうもクロアが普通の捨て猫を拾ってきたものだと考えていたらしい。
「猫が空を飛ぶ……?」
「それを飛馬で追いかけて、捕まえましたわ」
フュリヤはクロアの猫が普通の動物ではないと理解し、
「では住民の苦情が出ていた、魔獣?」
とたずねた。クロアはうなずく。
「はい、石付きの魔獣でした」
クロアはベニトラの両脇を抱え上げた。指の先で、赤い石が付着していた痕跡を示す。
「ここの毛のハゲた部分に赤い石がくっついていましたの」
フュリヤは猫の喉元にある小さな円形脱毛の部位を見た。すると憐れみの表情を浮かべる。
「かわいそうに。毛が生えそろうのにどれくらい時間がかかるのかしら」
「ゆっくり休ませればそのうち元通りになりますわ」
「そう……でも、そのままでいいの? 布でも巻いたら……」
「この子は体の大きさを自由に変えますから、普通の布はまずいですわね。首が絞まってしまいます」
ダムトがクロアの茶を注ぎはじめた。同時に「招獣の専門店に行かれてはどうです」と提案する。
「招獣の変身に合わせて伸びちぢみする首輪があると聞きます」
「あら、便利なものがあるのね」
「いまのベニトラは野生の魔獣と見分けがつきませんし、招獣だという証明も兼ねて、購入を検討されてはいかがです?」
「いいわね。明日、店の者を屋敷によべるかしら……」
クロアは周囲の教育方針のもと、外出をする機会がすくない。着る服を選んだり髪の毛を切ったりするにしても、外部からそれ専門の人をまねく。屋敷内で日常のすべてをすませるのだ。ただし演劇鑑賞や領内の祭りの見物などは別だ。実施できる場所が限定される催し物に参加する場合、外出の許可がおりた。
「出かけたらいい」
クロアは耳をうたがった。発言者の男性の顔を見る。父は慈愛に満ちた視線を娘にそそぐ。
「招獣の専門店にはきっとクロアのいい刺激になるものがある。じかに見てきてもかまわない」
「よろしいんですの? わたし、私用な外出は……」
「ああ、いいとも」
クロアは喜色満面になり、クロアの分の茶をそそぎおえた従者の腕をつかむ。
「よーし、明日はお出かけよ!」
ダムトはなぜか首をひねる。
「ええ、それで満足されるのでしたら……」
「なあに? もったいぶった言い方ね」
クロアはダムトの腕を放した。彼はレジィの茶を用意しはじめる。ダムトは会話を続ける気がない、と見たクロアはさきほどの上機嫌が吹っ飛ぶ。
「言いたいことがあるんなら言いなさい」
「この場では言いにくいことかと」
「お父さまやお母さまに隠し立てすることが、わたしにあると言うの?」
クロアが詰問した。ダムトは下男の務めを中断すると、クロアを正視する。
「……盗賊討伐はいかがします?」
クロアがすっかり失念していた話題だ。その計画も早期に取りかかりたい事柄である。
「その件は情報収集が先決ね」
その役目を担う人物はこの男性従者だ。クロアは言外の前提をもって話をすすめる。
「住処や団員数や所有する兵器諸々、調べてちょうだい」
「承りました」
クノードが「盗賊討伐?」といぶかしむ。優しげな顔にかげりがのぼりはじめた。
「まさか、またクロアが危険なことに首をつっこむつもりじゃないだろうね?」
「ダムトが一緒ですし、いまはベニトラもいます。ご安心なさって」
クロアは本気でそう思っていた。だが父の表情は和らがない。
「今日の魔獣退治は相手が一体だから送り出せたが、敵が複数となると話はちがってくる状況によっては、飛獣に乗って逃げることができないかもしれない」
「その危険はわかっております。それゆえ斥候を出して、敵勢を把握するのですわ」
「私の指示なしで、か?」
途端に張りつめた空気が形成される。ダムトがレジィの茶を注ぐ音が部屋に響いた。
「クロアが民衆のためを思って努力していることはわかっている。だが勝手な判断はいけない。斥候を偵察に向かわせることさえ、私にうかがいを立てるべきなんだ」
「私に割り当てた従者への命令は好きにしてよい、とおっしゃったのに?」
「たしかにダムトとレジィへの指示内容はクロアの自由だ。だけど条件を言っただろう? 危険だとわかっていることをさせないこと、無理難題を押しつけないこと……それと、私の意思に反する命令はしないこと」
おもに三つめの条件に抵触する、とクノードは言いたげだ。しかしクロアはそこをひっくり返す。
「盗賊が討たれれば人々はよろこびます。そのよろこびがお父さまの望みではないと言うの?」
領民の幸福こそが領主の幸福。これは為政者がすべからく抱くべき仁愛の心だ。仁政をほどこす父には的確な反論だとクロアは思った。
「結果はいい。私が不満なのはその過程だ」
しかしクノードは堪えていない。
「私の後継者を危険にさらすわけにはいかない。せめて多くの手練れがそろわなければ、心許ないんだ」
「そうはおっしゃるけれど、このアンペレにわたしを凌ぐ強者がおりますか? 新兵の募集をかけたって満足のいく人員が集まらない町ですのに」
それが工都と謳われるアンペレの最大の欠点だ。職人を目指しに訪れる者はいても、武人になろうとする者は内外問わずすくない。だからこそ、父の認可が下りる条件は実質不可能だと言ってよい。
クノードは憮然とした面持ちになる。
「……討伐に向けて募集をかけなさい。それで人が来なければ諦めるんだ」
「そんな、受け身のままでは盗賊に好き勝手されるだけですわ」
「大きな被害があったときは聖都から援軍を要請できる」
それは最大の後ろ盾だ。この町が自衛力にとぼしくても存続できる理由である。
「クロアが危ない思いをする必要はない。わかったね、この話はおしまいだ」
クノードは次にフュリヤに話題を振る。聖都の学校で学ぶ、クロアの妹と弟のことを尋ねた。今回のフュリヤの外出目的はクロアと歳の離れた幼い家族に会うこと。その話をするつもりでクロアたちが居室に集合したのだ。
クロアは父の言い付けを承服しかねた。それゆえ両親の話に加わらず、ただ茶と甘い菓子をほおばった。
フュリヤはいつも顔以外の肌を一切見せぬ衣装を纏っている。外出の際は顔さえも薄絹で覆い隠した。過剰なまでに露出を抑えるには理由がある。夫以外の異性を色気で惑わせないためだ。彼女自身は普通に過ごしていても、美貌と魅惑的な肉体に心を乱される男性が出るのだ。この特性も、フュリヤの父親が関係するらしいとクロアは聞いている。
フュリヤは帰宅の挨拶をし、夫の近くの席に座った。手には菓子箱がある。
「これは聖都で流行りのお菓子なんですって。お食べになります?」
「みんなで食べよう。レジィも座って食べなさい」
「ご相伴にあずかります」
レジィはクロアの隣りに座った。お茶会に参加する従者がいる一方で、ダムトは当主と夫人に茶を配る。彼と同格なレジィはお茶くみ係をダムトに一任した。
少女従者はクロアの膝にいる獣をなでる。フュリヤがレジィの行動を見ると、見慣れぬ生き物がいることに気付く。
「まあ、その猫はどこで見つけたの?」
「町の上を飛んでいましたの」
フュリヤはきょとんとする。どうもクロアが普通の捨て猫を拾ってきたものだと考えていたらしい。
「猫が空を飛ぶ……?」
「それを飛馬で追いかけて、捕まえましたわ」
フュリヤはクロアの猫が普通の動物ではないと理解し、
「では住民の苦情が出ていた、魔獣?」
とたずねた。クロアはうなずく。
「はい、石付きの魔獣でした」
クロアはベニトラの両脇を抱え上げた。指の先で、赤い石が付着していた痕跡を示す。
「ここの毛のハゲた部分に赤い石がくっついていましたの」
フュリヤは猫の喉元にある小さな円形脱毛の部位を見た。すると憐れみの表情を浮かべる。
「かわいそうに。毛が生えそろうのにどれくらい時間がかかるのかしら」
「ゆっくり休ませればそのうち元通りになりますわ」
「そう……でも、そのままでいいの? 布でも巻いたら……」
「この子は体の大きさを自由に変えますから、普通の布はまずいですわね。首が絞まってしまいます」
ダムトがクロアの茶を注ぎはじめた。同時に「招獣の専門店に行かれてはどうです」と提案する。
「招獣の変身に合わせて伸びちぢみする首輪があると聞きます」
「あら、便利なものがあるのね」
「いまのベニトラは野生の魔獣と見分けがつきませんし、招獣だという証明も兼ねて、購入を検討されてはいかがです?」
「いいわね。明日、店の者を屋敷によべるかしら……」
クロアは周囲の教育方針のもと、外出をする機会がすくない。着る服を選んだり髪の毛を切ったりするにしても、外部からそれ専門の人をまねく。屋敷内で日常のすべてをすませるのだ。ただし演劇鑑賞や領内の祭りの見物などは別だ。実施できる場所が限定される催し物に参加する場合、外出の許可がおりた。
「出かけたらいい」
クロアは耳をうたがった。発言者の男性の顔を見る。父は慈愛に満ちた視線を娘にそそぐ。
「招獣の専門店にはきっとクロアのいい刺激になるものがある。じかに見てきてもかまわない」
「よろしいんですの? わたし、私用な外出は……」
「ああ、いいとも」
クロアは喜色満面になり、クロアの分の茶をそそぎおえた従者の腕をつかむ。
「よーし、明日はお出かけよ!」
ダムトはなぜか首をひねる。
「ええ、それで満足されるのでしたら……」
「なあに? もったいぶった言い方ね」
クロアはダムトの腕を放した。彼はレジィの茶を用意しはじめる。ダムトは会話を続ける気がない、と見たクロアはさきほどの上機嫌が吹っ飛ぶ。
「言いたいことがあるんなら言いなさい」
「この場では言いにくいことかと」
「お父さまやお母さまに隠し立てすることが、わたしにあると言うの?」
クロアが詰問した。ダムトは下男の務めを中断すると、クロアを正視する。
「……盗賊討伐はいかがします?」
クロアがすっかり失念していた話題だ。その計画も早期に取りかかりたい事柄である。
「その件は情報収集が先決ね」
その役目を担う人物はこの男性従者だ。クロアは言外の前提をもって話をすすめる。
「住処や団員数や所有する兵器諸々、調べてちょうだい」
「承りました」
クノードが「盗賊討伐?」といぶかしむ。優しげな顔にかげりがのぼりはじめた。
「まさか、またクロアが危険なことに首をつっこむつもりじゃないだろうね?」
「ダムトが一緒ですし、いまはベニトラもいます。ご安心なさって」
クロアは本気でそう思っていた。だが父の表情は和らがない。
「今日の魔獣退治は相手が一体だから送り出せたが、敵が複数となると話はちがってくる状況によっては、飛獣に乗って逃げることができないかもしれない」
「その危険はわかっております。それゆえ斥候を出して、敵勢を把握するのですわ」
「私の指示なしで、か?」
途端に張りつめた空気が形成される。ダムトがレジィの茶を注ぐ音が部屋に響いた。
「クロアが民衆のためを思って努力していることはわかっている。だが勝手な判断はいけない。斥候を偵察に向かわせることさえ、私にうかがいを立てるべきなんだ」
「私に割り当てた従者への命令は好きにしてよい、とおっしゃったのに?」
「たしかにダムトとレジィへの指示内容はクロアの自由だ。だけど条件を言っただろう? 危険だとわかっていることをさせないこと、無理難題を押しつけないこと……それと、私の意思に反する命令はしないこと」
おもに三つめの条件に抵触する、とクノードは言いたげだ。しかしクロアはそこをひっくり返す。
「盗賊が討たれれば人々はよろこびます。そのよろこびがお父さまの望みではないと言うの?」
領民の幸福こそが領主の幸福。これは為政者がすべからく抱くべき仁愛の心だ。仁政をほどこす父には的確な反論だとクロアは思った。
「結果はいい。私が不満なのはその過程だ」
しかしクノードは堪えていない。
「私の後継者を危険にさらすわけにはいかない。せめて多くの手練れがそろわなければ、心許ないんだ」
「そうはおっしゃるけれど、このアンペレにわたしを凌ぐ強者がおりますか? 新兵の募集をかけたって満足のいく人員が集まらない町ですのに」
それが工都と謳われるアンペレの最大の欠点だ。職人を目指しに訪れる者はいても、武人になろうとする者は内外問わずすくない。だからこそ、父の認可が下りる条件は実質不可能だと言ってよい。
クノードは憮然とした面持ちになる。
「……討伐に向けて募集をかけなさい。それで人が来なければ諦めるんだ」
「そんな、受け身のままでは盗賊に好き勝手されるだけですわ」
「大きな被害があったときは聖都から援軍を要請できる」
それは最大の後ろ盾だ。この町が自衛力にとぼしくても存続できる理由である。
「クロアが危ない思いをする必要はない。わかったね、この話はおしまいだ」
クノードは次にフュリヤに話題を振る。聖都の学校で学ぶ、クロアの妹と弟のことを尋ねた。今回のフュリヤの外出目的はクロアと歳の離れた幼い家族に会うこと。その話をするつもりでクロアたちが居室に集合したのだ。
クロアは父の言い付けを承服しかねた。それゆえ両親の話に加わらず、ただ茶と甘い菓子をほおばった。
タグ:クロア
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