2019年01月20日
クロア篇−1章6
ベニトラ用の飲み水を取りにいったレジィはまだもどらない。クロアはダムトと話していてもまた口喧嘩に発展しそうだと思い、自身の膝でくつろぐ朱色の猫に意識を向ける。この獣はさきほど「人里には住めない」とクロアに告げた。孤高な生き物のような宣言だ。しかし実際の態度はとてもお高くとまった感じには見えない。ベニトラは人に触られることをこばまないのだ。
(いやがる気力が出ないほど、よわっているの?)
捕縛された魔獣の瞳は疲れきっていた。クロアが猫の顔をのぞくと、やはり目をつむっている。
「よくねむる子ね……」
「本調子ではないのでしょう」
ダムトがクロアの話にのってきた。主題が魔獣であればクロアへの精神攻撃はしようがないだろうとクロアは思い、会話を発展させる。
「思いきりあばれて、つかれたのかしら?」
「そう、でしょうね。まったく、迷惑な研究者がいたものですね」
魔獣を攻撃的な性格に変え、各地に放逐した犯人がいる。その目的は不明だ。はっきりわかることは、そのせいで魔獣による被害が続出していることだけ。
「うわさによると、近辺に出没する盗賊団も石付きの魔獣を囲っているとか」
ダムトがクロアの初耳な情報を提示してきた。クロアはいくつか問いただしたい事項が湧き、まずは根本的な疑念を解消しにかかる。
「まだ盗賊の集団なんているの?」
この土地はもともと賊に好都合な条件がそろっていた。アンペレの町ではさまざまな物品が作られる。それらの製作物の多くは商品として隣国へ輸出される。アンペレからもっとも近い都市は商売がさかんな場所だ。そこで商品と金銭が行き交う。職人と商人の間で取引される金品を、賊がねらうのだ。そういった事件は過去に数えきれないほど発生しているという。だが隣国は戦士をとうとぶ国風がある。賊をこらしめる戦力は持っているし、現に近ごろ賊を討伐した話はクロアの耳に届いている。
「剣王国の王子が壊滅させたんでしょ?」
「ねぐらのひとつやふたつを潰した程度でしょう。それだけで盗人はいなくなりませんよ」
「なによそれ、またあたらしい盗賊団ができたの?」
「たしかなことはわかりませんが……そうなってもおかしくはないですね。かの勇猛な王子は剣王国内の不届き者を倒せても、この聖王国にはやすやすと乗りこめません。国境の自治を任されるクノード様か、さらに上位の聖王ゴドウィン様の許可が必要になりますからね」
「つまり、この国へ逃げてきた賊がいると言いたいの?」
「はい。危険な場所から逃れてきた者が、より安全な土地に拠点を設けることは自然のなりゆきかと」
クロアは悪党の群れが再結成したらしい事実に眉をひそめる。
「盗賊のなにがいいんだか!」
「と、言いますと?」
「そういう人たちって、山の中で風呂にも入らずに人をおそって生きるんでしょ? やだわ、そんなの。町の中で仕事して、体をきれいにしてすごすほうがいいじゃない。おいしい料理だってあるんだもの」
「では人を痛めつけることが好きで、粗食で満足できて、仕事と風呂が嫌いな連中が賊になる、ということで納得していただけますか」
クロアが挙げた盗賊暮らしの難点をダムトがすべて言い換えてしまった。そう言われてしまうとそんな人間もいるのだろう、とクロアはなんだか得心する。
賊の向き不向きはクロアにはどうでもよい雑談だ。次なる疑問にいく。
「その連中が連れている魔獣は、このベニトラではないのね?」
「ええ、そのような朱色の獣ではないそうです」
「そう……気になるわね」
石付きの魔獣に関するダムトの話を信じると、その魔獣も現在苦しい状況にあるはず。同様の魔獣を友としたクロアには他人事に思えない。
「それが本当なら助けてあげたいけれど……」
「そのまえに盗賊をどうにかせねばなりませんね」
賊をどうにかする、とはクロアの中で打倒することとつながる。
「討伐しちゃおうかしら」
「簡単に言ってくれますね。いつも兵力不足をなげいているというのに」
「いいじゃない、強い招獣が味方になったんだもの。わたしひとりでもやっつけにいけそうよ」
「またそんなムチャを……」
部屋の戸が叩かれる。クロアの計画はここで一時頓挫した。
クロアの父であるクノードが入室する。その後ろにレジィがおり、彼女は底の高さのある皿を持ってきた。その皿にそそいだ水がベニトラの栄養剤だ。レジィは深皿を床に置く。
「おいしいお水ですよ〜」
彼女はクロアの膝にいる猫に笑顔で話しかけた。その顔にはレジィが幼い子どもと接するときと似た慈しみがある。彼女にとってこの獣は愛すべき対象と化しているらしい。
クロアはベニトラを皿のそばに下ろした。ベニトラは鼻づらを水につっこみ、音を立てて水を舌ですくいとる。その様子を見たレジィが「かわいぃ〜」と身悶えした。上座に着いたクノードが臣下の無邪気さに苦笑する。
「見た目がかわいらしくとも魔獣だ。そのことを忘れてはいけないよ」
レジィは「はい……」と気落ちした。彼女も招獣を持つ術士ゆえに、招獣の危険性は学んでいる。術士と招獣はあくまで対等な関係だ。招獣側に不服があったなら、いつでも術士に逆らえる。それゆえ、仲間だからと無防備に接することは推奨できなかった。
クロアは従者へのなぐさめとばかりにひとつ提案する。
「わたしと一緒にいるときは、その子をぞんぶんにかわいがっていいわ」
レジィは表情をぱっと明るくした。クロアはほほえみ返す。
「わたしがくだした相手なんですもの、ふたたび牙をむいた時はわたしが責任をもって成敗します。……ね、お父さま」
クノードは力強くうなずいた。父は娘の力量を熟知しているし、なにより招術士は招獣の力に制限をかけることができる。招術を理解し、招獣の変化を見抜ける者であれば、みずからの招獣に倒されることはまずない。
「もしその招獣に反逆の意思が見えたときは力を抑制しなさい。招術士にはできるはずだ」
「はい、心得ました」
と、クロアは即答したものの、実際どうやればいいのかはよくわかっていなかった。これはあとで人に聞けばよい、と楽観した。
ベニトラはクロアたちの会話に意を介さず、水をなめ干す。
「我が望みは果たされた」
言うやいなや、こてんとその場に寝ころぶ。クロアは「のぞみ?」と首をかしげた。この獣が「なにかをしてほしい」と言ったおぼえはないのだが。
「あ、そういえば……この子が出したなぞかけ……」
レジィはベニトラの発言に思い当たるふしがあったらしい。クノードがうなずく。
「水が欲しい、ということだったのかね」
レジィの発想を受けたクノードが推測する。
「空からは雨が降ってくる。地面から湧水が出る。水は草木を育て、人や動物の生活にも欠かせない」
父の解説のおかげで、クロアはなぞなぞを出されていたことを思い出し、その意味を理解できた。まわりくどい表現をする招獣に、めんどくささをおぼえる。
「それならそうとはっきり言えばよろしいのに」
クロアは人の話を聞いているのかわからない猫に言う。
「レジィが気を利かせなかったら、だれも水をあげませんでしたわ」
「素直じゃないんだろう」
クノードが娘の援護をする。言われっぱなしの獣はそしらぬ顔で昼寝をつづけた。その頭をレジィがなでる。
「不器用な子なんですね〜」
レジィはひとしきり猫を愛撫すると、空になった皿を片付けにいった。クロアは小さな獣をあやまって踏まぬよう、ふたたび自身の膝に乗せる。獣はつねに無抵抗だ。
クロアはいたずら心から、ベニトラの長い尾をつまんだ。ぷらぷら振ってみる。朱色の獣はうっすら目を開けた。だが、なされるがままにねむる。
「おとなしい子……本当に町を荒らしたやつなのかしら?」
「本当はのんびり屋なのかもしれないね」
獣への警戒心を持ちつづけていたクノードが態度をやわらげる。彼も徐々にベニトラのことを受け入れているようだ。
みなが新参の獣に慣れてきたとき、戸を叩かれた。何者かの入室を知らせる音だった。
(いやがる気力が出ないほど、よわっているの?)
捕縛された魔獣の瞳は疲れきっていた。クロアが猫の顔をのぞくと、やはり目をつむっている。
「よくねむる子ね……」
「本調子ではないのでしょう」
ダムトがクロアの話にのってきた。主題が魔獣であればクロアへの精神攻撃はしようがないだろうとクロアは思い、会話を発展させる。
「思いきりあばれて、つかれたのかしら?」
「そう、でしょうね。まったく、迷惑な研究者がいたものですね」
魔獣を攻撃的な性格に変え、各地に放逐した犯人がいる。その目的は不明だ。はっきりわかることは、そのせいで魔獣による被害が続出していることだけ。
「うわさによると、近辺に出没する盗賊団も石付きの魔獣を囲っているとか」
ダムトがクロアの初耳な情報を提示してきた。クロアはいくつか問いただしたい事項が湧き、まずは根本的な疑念を解消しにかかる。
「まだ盗賊の集団なんているの?」
この土地はもともと賊に好都合な条件がそろっていた。アンペレの町ではさまざまな物品が作られる。それらの製作物の多くは商品として隣国へ輸出される。アンペレからもっとも近い都市は商売がさかんな場所だ。そこで商品と金銭が行き交う。職人と商人の間で取引される金品を、賊がねらうのだ。そういった事件は過去に数えきれないほど発生しているという。だが隣国は戦士をとうとぶ国風がある。賊をこらしめる戦力は持っているし、現に近ごろ賊を討伐した話はクロアの耳に届いている。
「剣王国の王子が壊滅させたんでしょ?」
「ねぐらのひとつやふたつを潰した程度でしょう。それだけで盗人はいなくなりませんよ」
「なによそれ、またあたらしい盗賊団ができたの?」
「たしかなことはわかりませんが……そうなってもおかしくはないですね。かの勇猛な王子は剣王国内の不届き者を倒せても、この聖王国にはやすやすと乗りこめません。国境の自治を任されるクノード様か、さらに上位の聖王ゴドウィン様の許可が必要になりますからね」
「つまり、この国へ逃げてきた賊がいると言いたいの?」
「はい。危険な場所から逃れてきた者が、より安全な土地に拠点を設けることは自然のなりゆきかと」
クロアは悪党の群れが再結成したらしい事実に眉をひそめる。
「盗賊のなにがいいんだか!」
「と、言いますと?」
「そういう人たちって、山の中で風呂にも入らずに人をおそって生きるんでしょ? やだわ、そんなの。町の中で仕事して、体をきれいにしてすごすほうがいいじゃない。おいしい料理だってあるんだもの」
「では人を痛めつけることが好きで、粗食で満足できて、仕事と風呂が嫌いな連中が賊になる、ということで納得していただけますか」
クロアが挙げた盗賊暮らしの難点をダムトがすべて言い換えてしまった。そう言われてしまうとそんな人間もいるのだろう、とクロアはなんだか得心する。
賊の向き不向きはクロアにはどうでもよい雑談だ。次なる疑問にいく。
「その連中が連れている魔獣は、このベニトラではないのね?」
「ええ、そのような朱色の獣ではないそうです」
「そう……気になるわね」
石付きの魔獣に関するダムトの話を信じると、その魔獣も現在苦しい状況にあるはず。同様の魔獣を友としたクロアには他人事に思えない。
「それが本当なら助けてあげたいけれど……」
「そのまえに盗賊をどうにかせねばなりませんね」
賊をどうにかする、とはクロアの中で打倒することとつながる。
「討伐しちゃおうかしら」
「簡単に言ってくれますね。いつも兵力不足をなげいているというのに」
「いいじゃない、強い招獣が味方になったんだもの。わたしひとりでもやっつけにいけそうよ」
「またそんなムチャを……」
部屋の戸が叩かれる。クロアの計画はここで一時頓挫した。
クロアの父であるクノードが入室する。その後ろにレジィがおり、彼女は底の高さのある皿を持ってきた。その皿にそそいだ水がベニトラの栄養剤だ。レジィは深皿を床に置く。
「おいしいお水ですよ〜」
彼女はクロアの膝にいる猫に笑顔で話しかけた。その顔にはレジィが幼い子どもと接するときと似た慈しみがある。彼女にとってこの獣は愛すべき対象と化しているらしい。
クロアはベニトラを皿のそばに下ろした。ベニトラは鼻づらを水につっこみ、音を立てて水を舌ですくいとる。その様子を見たレジィが「かわいぃ〜」と身悶えした。上座に着いたクノードが臣下の無邪気さに苦笑する。
「見た目がかわいらしくとも魔獣だ。そのことを忘れてはいけないよ」
レジィは「はい……」と気落ちした。彼女も招獣を持つ術士ゆえに、招獣の危険性は学んでいる。術士と招獣はあくまで対等な関係だ。招獣側に不服があったなら、いつでも術士に逆らえる。それゆえ、仲間だからと無防備に接することは推奨できなかった。
クロアは従者へのなぐさめとばかりにひとつ提案する。
「わたしと一緒にいるときは、その子をぞんぶんにかわいがっていいわ」
レジィは表情をぱっと明るくした。クロアはほほえみ返す。
「わたしがくだした相手なんですもの、ふたたび牙をむいた時はわたしが責任をもって成敗します。……ね、お父さま」
クノードは力強くうなずいた。父は娘の力量を熟知しているし、なにより招術士は招獣の力に制限をかけることができる。招術を理解し、招獣の変化を見抜ける者であれば、みずからの招獣に倒されることはまずない。
「もしその招獣に反逆の意思が見えたときは力を抑制しなさい。招術士にはできるはずだ」
「はい、心得ました」
と、クロアは即答したものの、実際どうやればいいのかはよくわかっていなかった。これはあとで人に聞けばよい、と楽観した。
ベニトラはクロアたちの会話に意を介さず、水をなめ干す。
「我が望みは果たされた」
言うやいなや、こてんとその場に寝ころぶ。クロアは「のぞみ?」と首をかしげた。この獣が「なにかをしてほしい」と言ったおぼえはないのだが。
「あ、そういえば……この子が出したなぞかけ……」
レジィはベニトラの発言に思い当たるふしがあったらしい。クノードがうなずく。
「水が欲しい、ということだったのかね」
レジィの発想を受けたクノードが推測する。
「空からは雨が降ってくる。地面から湧水が出る。水は草木を育て、人や動物の生活にも欠かせない」
父の解説のおかげで、クロアはなぞなぞを出されていたことを思い出し、その意味を理解できた。まわりくどい表現をする招獣に、めんどくささをおぼえる。
「それならそうとはっきり言えばよろしいのに」
クロアは人の話を聞いているのかわからない猫に言う。
「レジィが気を利かせなかったら、だれも水をあげませんでしたわ」
「素直じゃないんだろう」
クノードが娘の援護をする。言われっぱなしの獣はそしらぬ顔で昼寝をつづけた。その頭をレジィがなでる。
「不器用な子なんですね〜」
レジィはひとしきり猫を愛撫すると、空になった皿を片付けにいった。クロアは小さな獣をあやまって踏まぬよう、ふたたび自身の膝に乗せる。獣はつねに無抵抗だ。
クロアはいたずら心から、ベニトラの長い尾をつまんだ。ぷらぷら振ってみる。朱色の獣はうっすら目を開けた。だが、なされるがままにねむる。
「おとなしい子……本当に町を荒らしたやつなのかしら?」
「本当はのんびり屋なのかもしれないね」
獣への警戒心を持ちつづけていたクノードが態度をやわらげる。彼も徐々にベニトラのことを受け入れているようだ。
みなが新参の獣に慣れてきたとき、戸を叩かれた。何者かの入室を知らせる音だった。
タグ:クロア
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