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2018年11月18日

拓馬篇後記−21

 拓馬は年長の知人との音声通話を開始した。決まりきった挨拶ののち、シズカがすぐに本題に入る。
『えーっと、異界絡みの人のことをおれに確認してほしいんだったね?』
「はい。トシツグっていう男性、知ってますか?」
『うん、その名前の人には向こうで会ったことがあるね』
 稔次とシズカが顔見知りである可能性が浮上した。拓馬は俄然二人の関係性が気になりだす。
「シズカさんが知ってるトシツグって人は、何歳くらいの人だったんです?」
『おれがはじめて会ったときは……ギリギリ十代だったっけな』
 十代──シズカもその年代で異界へ迷いこんだという。そして現在のシズカは二十代半ば。両者の実年齢には十歳ばかしの開きがあることになる。
『あのときはおれのすこし年上のお兄さんって感じだったんだが……きみが見た人はどうだった?』
「歳は聞いていませんけど、三十代くらいに見えました」
『うん、そうか』
 シズカはごく普通に相槌を打った。シズカが会ったトシツグは十代の若者で、拓馬が会った稔次は三十代の壮年。この世界の常識で考えると、両者はまったくの別人である。しかしシズカはそのように判断していない。この問答はあくまで異界の出来事を過去のものとして語れるかどうかを知る年齢確認だ。拓馬はいまひとつ完全に理解することはできないが、異世界は実世界と時間の感覚が異なるもの、とぼんやり認識している。
「年齢だけじゃ、同じ人かどうか特定できませんよね?」
『そうだね。見た目の特徴を教えてくれるかい?』
「体が大きかったです。一九〇センチあるかも」
『顔はけっこうな男前?』
「はい、カッコイイですね」
『性格はどう?』
「俺に気さくに話しかけてくれて、感じのいい人だと思いました」
『そうか……』
 シズカは歓喜とも悲嘆とも知れないため息を吐く。その反応に拓馬は不安をおぼえる。
「トシさんとは知り合い……で合ってますか?」
『うん、きっと同じ人だ。実家が空手の道場を経営してると言っていたし』
「え? 実家?」
 シズカが発した情報は拓馬の前提になかった。シズカは拓馬の反応におどろいて『ちがった?』と質問してくる。
『拓馬くんが言ってる人は、空手家なんだろ?』
「そうなんですけど……」
 大畑の道場が稔次の実家のものである、とくれば、稔次は大畑一家の親戚ではなく、直近の家族ということになる。年齢的には四十代である大畑の兄弟が妥当だ。稔次が大畑姓だという告白と、彼が大畑の母親に顔が似ている事実とも合致する。拓馬はようやく稔次が大畑の弟なのだと確証をつかんだ。そういった家族構成を稔次が隠匿していることを、シズカは知らない。
「あの道場の経営者とトシさんの関係って、はっきりしてなくて」
『ありゃ、トシが隠してることをバラしちゃったな』
 シズカは情報漏えいをしたらしい。しかし拓馬もうすうす勘付いていた事実だ。そのことをなぐさめがわりに告げる。
「気にしなくていいです。トシさんは師範代の弟なんだろうな、と俺は思ってたんで」
『んー、そうか。きみの察しがよくて助かったよ』
「それも向こうの規則に関係あるんですか?」
『いや、これはちがうね。トシの……というか、おれの気持ちの問題だ。彼が家族のことを隠したがる理由があるだろうから』
「はい、なんでも『師範代たちに迷惑をかけたくない』とか」
 拓馬はその発言に納得しがたい部分があった。あのような偉丈夫が身内にいて、なんの迷惑がかかるというのか。むしろ自慢の対象になりうるのではないか──表面上のことだけを見ると、そんな発想に至ってしまう。ところがシズカはそのような疑問を口にせず『訳ありみたいだね』と瞬時に稔次の背景に理解を示す。
『それで……トシはおれの正体を知って、なにがしたいって?』
「もし会う気があるなら会いたい、みたいなことを言ってました」
『男二人で顔見せ、か……』
 シズカは稔次の要求を飲むかどうか考えている。その決定を急ぐ必要はないので、拓馬は目下の行動案を提示する。
「どうします? とりあえずトシさんには、俺の知り合いがシズカさんだと伝えましょうか」
『そうだね……拓馬くんのほうからおれのことをトシに伝えてくれれば、あとはおれたちでなんとかするよ』
「あとは二人で話す……んですか」
 拓馬は彼らの異界事情があまり聞けずにおわるのを残念に感じた。するとシズカは『トシのことを聞きたい?』とたずねてくる。拓馬は一も二もなく「はい」と答えた。
『そうだなぁ……おれが勝手に教えてもトシが嫌がりそうにないこと……』
「なにかあります?」
『そうだ、ついでだからシド先生と関係のあることを教えておこう』
「先生とトシさんが、どう……」
『二人の武芸の師匠は同じ男なんだ。トシはもともと格闘家だったけれど、その男にしごかれて、剣術も得意になったそうだ』
「へー、剣術も得意……」
 拓馬はその説明に引っ掛かりをおぼえた。だが次なるシズカの説明のインパクトが強かったために、違和感が押し流される。
『でもトシから見たら師匠っていう大層なもんじゃないだろうな。悪友がピッタリだよ』
「その『悪友』って、わるいことを一緒にする友だち、のことですか?」
『うん、その意味だ』
「トシさんはわるい人には見えないけど……」
 だが稔次は過去、他者に口外できぬことをしでかしたという。若いころと現在の稔次は人格が変わっているのかもしれず、拓馬は稔次の悪行が明かされるのを覚悟した。
『二人ともちょいちょい女の人をひっかけてて、まあ気が合ってたね』
「え、女好き?」
 想定を下回る平和的な悪癖だと拓馬は思った。拍子抜けした拓馬に対し『そうだよ』とシズカがあっけらかんと答える。
『とはいってもトシの女癖は師匠ほどわるくなかったね。だいたい師匠が女性に声かけて、そのお伴にトシがついてくって感じだったかな』
「その師匠がかなりの女好きなんですね……」
『そういうこと。今日のところはこんなもんでいいかな?』
「あ、はい。もういい時間だし……」
 拓馬は眠気を感じていた。夜更ししていると言えるほど夜おそい時間帯ではないものの、体に疲労をおぼえている。その原因は、今日の研修にあると思った。日常と変わった体験をしてきて、気が張っていたからだと自己判断する。そのことをシズカに言うと『大人の階段のぼってきてるね』と言われた。これまで拓馬がバイトらしいことをしてこなかったのをシズカは知っており、その変化についての感想が「大人にちかづく」なのだろう。だが拓馬は道場の手伝いを正規の就労とは見做せていない。このバイトは習い事の延長上にあることだと思っている。それゆえシズカの言葉をやんわり否定する。
「あんまり仕事してるとは思えてないですけど……」
『今日は仕事の内容を教わってきたところだもんね。きっとこれからだよ、労働者の自覚が芽生えるのは』
 シズカは『おやすみー』と言い、拓馬との通信をおえた。拓馬はさっそく就寝支度をする。照明を落とした自室で、ベッドに横たわる。目を閉じて、シズカとの会話を振り返る。
(シズカさんがトシさんと会ったとき……トシさんは十代だった)
 拓馬の聞くところ、シズカも十代後半で異形との関わりを持った。二人はそのときに見知った仲なのだろう。
(ほんのちょっと歳がちがってた人が、こっちの世界じゃ一回りもちがう……)
 二つの世界を行き来する者にとって、その差はあって当たり前のことのようだ。中にはこちらの世界ではとっくに死没した人が、異界で元気にすごすこともあると言う。この世界の生死の感覚が異界では通用しないのだ。
(ややこしい話だよなぁ……)
 現地に行ったことのない拓馬には実感しがたい知識だ。しかし今日、二人の異界放浪経験者に出会え、その一端を知ることができた。貴重な体験だ。
(ほかにも、どんな人が向こうに行ってるんだろ)
 まだ会ったことはなくとも、その存在は聞いた者がいる。それは現在シドのことを探っているという人物だ。拓馬はその人のことをシズカに聞きわすれてしまった。また次の機会にたずねよう、とおぼろげに考えながら、拓馬の意識が混濁していった。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 01:50 | Comment(0) | 拓馬篇後記

2018年11月16日

拓馬篇後記−20

 拓馬は帰宅後、すぐに自室へ行った。大畑からもらった紙幣入りの封筒を机の引き出しにしまう。こういった大事な紙類は不用意に放置しないことに決めている。居間などの家族の目につくところに置いておくと、飼い犬か姉が手をつけかねない。自衛のため、大切に保管した。
 自室にきたついでに電子機器を操作する。シズカに話がしたい旨をメールで伝えた。今回の用件は稔次のことだ。シズカの知人かもしれない人を見つけた、といまのうちに知らせておき、シズカの都合のよいタイミングで通話する。あとはシズカの反応待ちだ。
 次に拓馬は使用した道着を洗いにかかる。洗濯機の洗濯完了には二、三十分かかるので、その待機時間は居間ですごす。居間では母がくつろいでいた。この場にいない姉は入浴中で、父は犬の散歩に出かけたという。
 拓馬は母にすすめられて、自分の分の夕食をとる。このように自分の夕食時間がおくれる状況は最近なかった。
(小学生のころ……こんなふうに食ってたな)
 かつての門下生時代、幼年の部から少年の部へ移行したときのことを拓馬は思い出した。少年の部は今日と同じ時間帯の開催だ。当時の夕飯も道場の練習がおわったあとに食べていた。学校でとる昼食と自宅での夕食まで時間がかなり空くので、練習前には軽食をとったおぼえもある。つまり一日四食とっていた。拓馬なりに体によいものを選んで摂取したのだが、あまり成長は促進されなかった。
(けっこう食ってて、この身長なんだもんな)
 拓馬の両親は体格に恵まれていない。やはり遺伝は努力ではいかんともしがたいのだ。小学生当時はまだその真実に気付かず、未来に希望を持っていた。
(もう伸びないよな、高二にもなりゃ……)
 どこぞの噂では高校入学後に急成長した男子がいたという。その人は丈が合わなくなった制服を着続け、卒業していったとか。拓馬はそれと似た事象が自身にも起こりうるかもしれないという淡い期待を抱いていた。今年の身体計測の結果を見て、ようやくあきらめがついてきた。
(一七〇センチはほしかった……)
 と、自身の成長具合に不満をもらすのは拓馬だけではない。ヤマダもまた「一六〇センチ台にいきたかった」とぼやいたことがある。そう言う彼女の身長は日本人女性の平均値と似たりよったり。低身長だと気にするほどではないと拓馬は思っている。
(一七〇あったって、もうちょっと背がほしいって思うんだろうな)
 平均値に達している友人がそうなのだから、自身も例外ではないと感じた。人間の欲は深い──そんな哲学めいたことを思いふけっているうちに父が散歩からもどってきた。居間に父と犬が入ってくる。リードを外された白黒の犬は真っ先に拓馬のもとへやってきた。食卓の椅子にすわる拓馬の足に体をこすりつけ、尻尾をぱたつかせている。
(俺に会うだけでこんなによろこんで……)
 犬はひとしきり歓迎の行動を行なった。最終的に拓馬の足にもたれかかって、横になる。飼い犬は拓馬のコンプレックスをまったく気にしていない。拓馬の背が伸びようがちぢもうが、動物には関係のないことだ。
(トーマはもっと大きくなりたい、なんて思うことがあるのかな)
 この飼い犬は中型犬サイズ。どうにか室内で飼える大きさだ。これより大きいと日々の世話が大変になってしまう。人間の都合を考慮すると、いまのサイズがちょうどよい。
(トーマに足りてないところはないな)
 この犬は名目上雑種だがなかなか優秀だ。同じ犬の中では充分に身体能力が高く、愛嬌者で、知性がある。血統書付きであれば上流階級の家庭に愛育されるのに申し分ない。また、作業犬としてもやっていけそうな能力を持っている。しかし平凡な家庭で飼われていてはそのすぐれた能力をぞんぶんに活かせず、その愛らしさに見合う待遇を満足に受けられない。この日常を物足りなく感じているのではないか、と案ずることが拓馬にはときどきあった。それでも根岸一家が目にするトーマは毎日をたのしそうにすごしている。
(毎日が、しあわせか……)
 トーマは現在与えられている以上のものをのぞんでいるようには見えない。ただ人間が餌を用意して、寝床をきれいに掃除して、共に散歩しに出かけて、ときどき遊びに付き合いさえすれば、きっと満足なのだ。日々に充足感を持ちえている飼い犬を見ていると、拓馬は自分の悩みが取るに足らぬことだと思えてきた。
(俺も、見習おう)
 洗濯機のアラーム音が鳴る。かの機械が仕事をしおえた合図だ。拓馬は空になった食器を流し台に置いた。そのほかにも道着を干す、入浴するといった所用をすませる。その間にシズカからの連絡が届いていた。彼は今夜、拓馬と話せるという。
(よし、部屋に行こう)
 拓馬はさっそく自室にこもった。冷房をつけた室内で、パソコンを起動させる。シズカとの会話を他者に聞かれないよう、ヘッドホンの準備をした。そうしてすでに拓馬を待っていたシズカとの通信をはじめた。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 23:57 | Comment(0) | 拓馬篇後記
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