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2018年03月20日
拓馬篇−4章◇
昼休憩がはじまってまもなく、コンコン、とノックが鳴った。部屋のあるじである校長は専用のデスクに座したまま「どうぞ」と訪問者に声をかける。がちゃっと音が鳴り、扉が開く。
「校長、失礼いたします」
明瞭な声とともに男性教師が入室した。褐色の肌に黄色いサングラス、銀色の頭髪等の特異な風貌は何者にも見間違えようがない。
校長は当初、彼を姓で呼んでいた。現在は彼が生徒につけられたというあだ名で呼び親しんでいる。その命名者は彼と一等親しい女子だ。校長は仲のよい男女を見ることが好きであり、その趣味に一役買っている彼は校長にとって貴重である。そうでありながら、今日の校長は彼にほほえましい感情が湧かなかった。
「お呼びと聞いてまいりました」
落ち着いた声色だ。この丁寧な対応のうちには、これから受ける叱責へのおそれも、昨日までに犯した罪への悔いも感じられない。
(わるいことをしたとは思っていないのか、私の叱りがこわくないのか……?)
こたびの招集理由は彼に伝えていない。たんに「昼休みに校長室にきなさい」と人づてに言っただけだ。もしかすると、彼はここで議論する問題を想像できていないのかもしれない。
校長は黒シャツの教師を観察してみた。彼の上腹部にネクタイピンを発見する。銀色に光る棒状は一般的なタイピンのそれだが、三つの宝石かなにかが埋めこんである。量販店ではそうそう見ないデザインだ。校長は「そのタイピンはどうしたのかね」と世間話をしたくなった。そこをぐっとこらえ、本題にとりかかる。いつもは対談者をソファへ座らせるのだが、今回は立たせた状態で会談を開始する。
「どういう理由で呼ばれたのか、わかるかね?」
「昨日のセンタニさんたちが起こした一件でしょうか」
「そうだ。うちの生徒と他校の生徒がもめたそうじゃないか」
「耳がお早いのですね」
「仕入れた情報はそれだけじゃない。きみが他校の生徒を手酷く痛めつけたことも、私は聞いているのだよ」
それらの情報は午前中に入手したものだ。騒動の主犯たる仙谷のクラスには、秘密裏に校長へ情報提供する協力者がいる。提供されるおもなネタは男女の平和的な話だ。ときに緊急性のある話題も教えるようにたのんであった。
その協力者とて、現場に居合わせて得た情報を伝えてくれるわけではない。だいたいは彼らがどこからか耳にした伝聞である。真相は当事者のみが知る。校長はその真偽を問いただす目的で、問題の張本人を呼びつけていた。
「私が聞いたのは、きみが『刃物をもった少年の首を絞めた』ということだが──」
学内では温厚な教師がしでかしたとは信じにくい出来事だ。校長は一度会話を区切り、蛮行の嫌疑がかかる男性教師に注目した。彼にこれといった態度の変化はない。この情報がでまかせではないという証か。
「それはシド先生が……ほんとうにしたことかね?」
「おおよその状況は、それで合っています」
「『おおよそ』?」
事実と伝聞の細部が異なっている、という指摘だ。校長は注意深く彼の説明に耳をかたむけた。
「こまかく言いますと、私が他校の生徒の首を絞めた時に、彼は刃物を持っていませんでした。その直前に地面へ落としていたのです」
「ではきみは、凶器をうばうために攻撃を続けたのではなかったのだね」
「はい。すでに刃物の脅威は取りのぞけていました」
「なぜ追い打ちをかけた? きみなら、そこまでしなくとも退けられた相手だろう」
「教育のつもりでした」
「教育? だれに対して?」
「刃物をふるった少年です」
それはきっと、倫理的な違反をしでかした相手への懲罰なのだろう。やってはいけないことを、体にわからせる。いわば体罰である。人語が通じない動物のしつけではよくあることだ。
(『教育』というよりは『調教』じゃないか?)
類義語ではあるが、違和感をぬぐえない。校長は認識の食いちがいを提起する。
「うーむ、私にはどうも『教育』の範囲を超えているように思えるがね」
「はい。生徒にも『やりすぎ』だと言われましたので、それが正常な感覚なのだと思います」
「きみにとっては『手ぬるい』感覚かな?」
「どうとも言えません。私が生きてきた環境と学校の生活はだいぶちがいますから、なにが正しいのか……まだ、よくわからないのです」
校長はこの言葉にはうなずけた。以前のシドは警備の職務を遂行していたという。その経歴ゆえに、校長は彼を採用した。前年度にも乱闘を起こした仙谷らの監督者として、有事の際に頼れる人物を欲したのだ。武芸すぐれる教師というと希少な存在だろうに、校長は知人のつてでその逸材を得た。
シドが従事したという警備の仕事内容を校長は知らない。きっとその仕事は不届き者を無害化させることだ。他者を傷つける凶悪な敵にまみえた際、敵をころさぬ程度に弱らせて捕えるか、退散させる。それで職務は成功といえるだろう。双方に負傷者が出なければなおのことよい。先日の事件では負傷者が二名出たそうだが、それはシドの到着前に発生した怪我人だ。彼自身はだれにも怪我を負わせていないという。
「きみの前の仕事なら、文句なしの成果なのだろうね」
警備での任務は敵を排除すること。その敵を死に至らしめることさえしなければ、敵の心身がどうなろうと問題視されないのかもしれない。一方で、教育者がそんな排他的な態度をつらぬいてよいものだろうか。
「だが、いまのきみは教師だ。その少年は他校の生徒だけれど、うちの生徒になっていた可能性だってある。もしその子がきみの教え子だったら、きみは同じことをしたのかね?」
シドの視線が校長から逸れた。彼は考えごとをしている。返答には時間がかかると思い、校長はさらに言葉を加える。
「うちの生徒であれば当然、きみがその子に怖い思いをさせたあとも学校で会う。同じ教室ですごす時、きみはその少年と一緒に笑っていられるかね?」
「……むずかしいと思います。私は笑えたとしても、その子は私に恐怖をいだき続けるでしょう」
彼の予想は現実的だ。シドが自己を客観視できていることに校長は安堵する。彼は分別がついているのだ。ただ、選択する手段が常人離れしている。
「私はその少年に恐怖心を植えつけるねらいもありました」
校長の質問外のことをシドが話しはじめる。
「センタニさんたちにかかわると酷い目を見るのだと……もう同じことを繰り返さないように仕向けました」
騒ぎの相手は仙谷らと二度目の衝突をしている。三度目がないように、という配慮の結果となると、それは校長の意に沿う行為だ。校長は自校の生徒には安穏にすごしてほしいし、その思いは見ず知らずの子どもに対しても同じである。
「そうか……きみはよく考えたうえで冷徹にふるまったわけか」
「ですが、自分のしたことが最良の方法だったとは思っておりません」
「どのような反省をしているんだね?」
「私の行為はその場にいた生徒たちをおびえさせました。それは、彼らの教師として、見せてはいけない姿だったと思っています」
「意地悪を言いたくはないが、それは『生徒が見ていない状況ならば乱暴な真似をしていい』ということかね?」
「……否定はできません」
正直な男だ。適当な言い訳をしない姿勢はこのましい。だが危険な行動を再発しそうな返事をされれば校長も説教を続けねばならない。
「こう、穏便にいかないものかね、きみは」
「時間があるのでしたら、素行のよくない子どもたちに常識的な教育をほどこせます。ですが接点のない相手を変えるには──」
「わかった、短時間で不良少年を更生させるにはショック療法しかないわけだ」
この新人教師は彼なりに目的にそった最適解をたたき出している。そう感じた校長はシドを追及すればするほど彼の非を見いだせなくなってきた。ここで話を切り上げにかかる。
「それ以外の方法は私も思いつかん。代わりの案を出せない者がダメ出しをすることほど、無責任な言い分はないね」
「いえ、校長のご指摘は正確だと──」
「私の思うとおりのことをやっていては、仙谷くんたちはまた不良な子らと戦うはめになるだろう。それではいたちごっこだ」
おそらくこれで騒ぎはおさまる。不良少年とて命は惜しいはずだ。死にそうな目に遭ってなお不良に徹するというなら、それは校長たちでは手におえない問題児である。
「きみに免じて、仙谷くんたちのお説教は無しにしよう」
「私に免じて……?」
「ああ、きみにはいろいろと言ったからね。生徒にむかうはずだった私の叱りを、シド先生が一身に受けたというふうに本摩先生には伝えておくよ」
シドはまだ腑に落ちていないようで、だまっている。校長は彼のわだかまりについて質問する。
「ほかに心配事があるかね?」
「校長は私を叱っておいでだったのですか?」
「ん? どういうことだね」
「校長は私のしたことを強くとがめてはいらっしゃらない。昨日の出来事を問われただけのように思います。それなのに『校長の叱りを私が一身に受けた』と言っては、ウソにならないのでしょうか?」
また妙なところで律儀な男だ。校長は苦笑する。
「これでも私は叱ってるつもりだったんだがね。どうもガンガン責めるのは性に合わないのだよ」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
「では叱責の体裁をひとつ、つくろっておこう。……どんな悪人に対しても慈悲の心を持って接しなさい。それが人を教え導く者の心得だと、私は思っている」
校長はまるで僧侶のような持論を持ちだしたことに少々の気恥ずかしさをおぼえた。自分の腕時計をさっと見て「そろそろ次の授業がはじまるね」と話の余韻をかき消す。
「私からは以上だ。さ、もう行きなさい」
シドは頭を下げ、静かに退室していった。校長は床をかるく蹴り、回転椅子をくるっと回す。目は窓の外をむくが、注意は視野の外にある。
(彼はまっすぐな男だな……)
校長にシドを紹介した知人もそのように評価していた。その知人は大企業の会長でありながら、わざわざシドと直接面接をしてくれたという。
(大力会長が認めた人なのだから、いい人ではあるんだろう)
彼の性根が善人なのはいい。実際、シドはだれからも好かれている好男子である。しかし戦いに身を置いていたがゆえの荒っぽい決断力は看過できない。校長は彼をとがめなかったが、やはり上司として良識を教導すべきではないかと思いはじめる。
(もしや、生徒よりも指導がむずかしいんではなかろうか?)
シド自身はいたって素直かつ従順だ。校長がこまかく禁止事項を教えれば彼はそれにしたがうだろう。しかし校長は平和な環境で生きてきた。平和ボケした校長の想像力では、シドがやりうる蛮行を先読みできそうにない。
(うーん、あとは彼の良心にかけるか……?)
校長はあれこれ考えたものの、部下の器量任せで帰結した。キィキィと椅子を左右に回してぼーっとする。そのうち、はたと思い出すことがあった。
(あ、タイピンのことを聞き忘れたな)
あとでたずねようと思っていたことだ。これは後日に本人に聞くか、または情報提供者が仕入れるのを待つかしよう──と校長は自身が失念した行為の代替案を考えた。
「校長、失礼いたします」
明瞭な声とともに男性教師が入室した。褐色の肌に黄色いサングラス、銀色の頭髪等の特異な風貌は何者にも見間違えようがない。
校長は当初、彼を姓で呼んでいた。現在は彼が生徒につけられたというあだ名で呼び親しんでいる。その命名者は彼と一等親しい女子だ。校長は仲のよい男女を見ることが好きであり、その趣味に一役買っている彼は校長にとって貴重である。そうでありながら、今日の校長は彼にほほえましい感情が湧かなかった。
「お呼びと聞いてまいりました」
落ち着いた声色だ。この丁寧な対応のうちには、これから受ける叱責へのおそれも、昨日までに犯した罪への悔いも感じられない。
(わるいことをしたとは思っていないのか、私の叱りがこわくないのか……?)
こたびの招集理由は彼に伝えていない。たんに「昼休みに校長室にきなさい」と人づてに言っただけだ。もしかすると、彼はここで議論する問題を想像できていないのかもしれない。
校長は黒シャツの教師を観察してみた。彼の上腹部にネクタイピンを発見する。銀色に光る棒状は一般的なタイピンのそれだが、三つの宝石かなにかが埋めこんである。量販店ではそうそう見ないデザインだ。校長は「そのタイピンはどうしたのかね」と世間話をしたくなった。そこをぐっとこらえ、本題にとりかかる。いつもは対談者をソファへ座らせるのだが、今回は立たせた状態で会談を開始する。
「どういう理由で呼ばれたのか、わかるかね?」
「昨日のセンタニさんたちが起こした一件でしょうか」
「そうだ。うちの生徒と他校の生徒がもめたそうじゃないか」
「耳がお早いのですね」
「仕入れた情報はそれだけじゃない。きみが他校の生徒を手酷く痛めつけたことも、私は聞いているのだよ」
それらの情報は午前中に入手したものだ。騒動の主犯たる仙谷のクラスには、秘密裏に校長へ情報提供する協力者がいる。提供されるおもなネタは男女の平和的な話だ。ときに緊急性のある話題も教えるようにたのんであった。
その協力者とて、現場に居合わせて得た情報を伝えてくれるわけではない。だいたいは彼らがどこからか耳にした伝聞である。真相は当事者のみが知る。校長はその真偽を問いただす目的で、問題の張本人を呼びつけていた。
「私が聞いたのは、きみが『刃物をもった少年の首を絞めた』ということだが──」
学内では温厚な教師がしでかしたとは信じにくい出来事だ。校長は一度会話を区切り、蛮行の嫌疑がかかる男性教師に注目した。彼にこれといった態度の変化はない。この情報がでまかせではないという証か。
「それはシド先生が……ほんとうにしたことかね?」
「おおよその状況は、それで合っています」
「『おおよそ』?」
事実と伝聞の細部が異なっている、という指摘だ。校長は注意深く彼の説明に耳をかたむけた。
「こまかく言いますと、私が他校の生徒の首を絞めた時に、彼は刃物を持っていませんでした。その直前に地面へ落としていたのです」
「ではきみは、凶器をうばうために攻撃を続けたのではなかったのだね」
「はい。すでに刃物の脅威は取りのぞけていました」
「なぜ追い打ちをかけた? きみなら、そこまでしなくとも退けられた相手だろう」
「教育のつもりでした」
「教育? だれに対して?」
「刃物をふるった少年です」
それはきっと、倫理的な違反をしでかした相手への懲罰なのだろう。やってはいけないことを、体にわからせる。いわば体罰である。人語が通じない動物のしつけではよくあることだ。
(『教育』というよりは『調教』じゃないか?)
類義語ではあるが、違和感をぬぐえない。校長は認識の食いちがいを提起する。
「うーむ、私にはどうも『教育』の範囲を超えているように思えるがね」
「はい。生徒にも『やりすぎ』だと言われましたので、それが正常な感覚なのだと思います」
「きみにとっては『手ぬるい』感覚かな?」
「どうとも言えません。私が生きてきた環境と学校の生活はだいぶちがいますから、なにが正しいのか……まだ、よくわからないのです」
校長はこの言葉にはうなずけた。以前のシドは警備の職務を遂行していたという。その経歴ゆえに、校長は彼を採用した。前年度にも乱闘を起こした仙谷らの監督者として、有事の際に頼れる人物を欲したのだ。武芸すぐれる教師というと希少な存在だろうに、校長は知人のつてでその逸材を得た。
シドが従事したという警備の仕事内容を校長は知らない。きっとその仕事は不届き者を無害化させることだ。他者を傷つける凶悪な敵にまみえた際、敵をころさぬ程度に弱らせて捕えるか、退散させる。それで職務は成功といえるだろう。双方に負傷者が出なければなおのことよい。先日の事件では負傷者が二名出たそうだが、それはシドの到着前に発生した怪我人だ。彼自身はだれにも怪我を負わせていないという。
「きみの前の仕事なら、文句なしの成果なのだろうね」
警備での任務は敵を排除すること。その敵を死に至らしめることさえしなければ、敵の心身がどうなろうと問題視されないのかもしれない。一方で、教育者がそんな排他的な態度をつらぬいてよいものだろうか。
「だが、いまのきみは教師だ。その少年は他校の生徒だけれど、うちの生徒になっていた可能性だってある。もしその子がきみの教え子だったら、きみは同じことをしたのかね?」
シドの視線が校長から逸れた。彼は考えごとをしている。返答には時間がかかると思い、校長はさらに言葉を加える。
「うちの生徒であれば当然、きみがその子に怖い思いをさせたあとも学校で会う。同じ教室ですごす時、きみはその少年と一緒に笑っていられるかね?」
「……むずかしいと思います。私は笑えたとしても、その子は私に恐怖をいだき続けるでしょう」
彼の予想は現実的だ。シドが自己を客観視できていることに校長は安堵する。彼は分別がついているのだ。ただ、選択する手段が常人離れしている。
「私はその少年に恐怖心を植えつけるねらいもありました」
校長の質問外のことをシドが話しはじめる。
「センタニさんたちにかかわると酷い目を見るのだと……もう同じことを繰り返さないように仕向けました」
騒ぎの相手は仙谷らと二度目の衝突をしている。三度目がないように、という配慮の結果となると、それは校長の意に沿う行為だ。校長は自校の生徒には安穏にすごしてほしいし、その思いは見ず知らずの子どもに対しても同じである。
「そうか……きみはよく考えたうえで冷徹にふるまったわけか」
「ですが、自分のしたことが最良の方法だったとは思っておりません」
「どのような反省をしているんだね?」
「私の行為はその場にいた生徒たちをおびえさせました。それは、彼らの教師として、見せてはいけない姿だったと思っています」
「意地悪を言いたくはないが、それは『生徒が見ていない状況ならば乱暴な真似をしていい』ということかね?」
「……否定はできません」
正直な男だ。適当な言い訳をしない姿勢はこのましい。だが危険な行動を再発しそうな返事をされれば校長も説教を続けねばならない。
「こう、穏便にいかないものかね、きみは」
「時間があるのでしたら、素行のよくない子どもたちに常識的な教育をほどこせます。ですが接点のない相手を変えるには──」
「わかった、短時間で不良少年を更生させるにはショック療法しかないわけだ」
この新人教師は彼なりに目的にそった最適解をたたき出している。そう感じた校長はシドを追及すればするほど彼の非を見いだせなくなってきた。ここで話を切り上げにかかる。
「それ以外の方法は私も思いつかん。代わりの案を出せない者がダメ出しをすることほど、無責任な言い分はないね」
「いえ、校長のご指摘は正確だと──」
「私の思うとおりのことをやっていては、仙谷くんたちはまた不良な子らと戦うはめになるだろう。それではいたちごっこだ」
おそらくこれで騒ぎはおさまる。不良少年とて命は惜しいはずだ。死にそうな目に遭ってなお不良に徹するというなら、それは校長たちでは手におえない問題児である。
「きみに免じて、仙谷くんたちのお説教は無しにしよう」
「私に免じて……?」
「ああ、きみにはいろいろと言ったからね。生徒にむかうはずだった私の叱りを、シド先生が一身に受けたというふうに本摩先生には伝えておくよ」
シドはまだ腑に落ちていないようで、だまっている。校長は彼のわだかまりについて質問する。
「ほかに心配事があるかね?」
「校長は私を叱っておいでだったのですか?」
「ん? どういうことだね」
「校長は私のしたことを強くとがめてはいらっしゃらない。昨日の出来事を問われただけのように思います。それなのに『校長の叱りを私が一身に受けた』と言っては、ウソにならないのでしょうか?」
また妙なところで律儀な男だ。校長は苦笑する。
「これでも私は叱ってるつもりだったんだがね。どうもガンガン責めるのは性に合わないのだよ」
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
「では叱責の体裁をひとつ、つくろっておこう。……どんな悪人に対しても慈悲の心を持って接しなさい。それが人を教え導く者の心得だと、私は思っている」
校長はまるで僧侶のような持論を持ちだしたことに少々の気恥ずかしさをおぼえた。自分の腕時計をさっと見て「そろそろ次の授業がはじまるね」と話の余韻をかき消す。
「私からは以上だ。さ、もう行きなさい」
シドは頭を下げ、静かに退室していった。校長は床をかるく蹴り、回転椅子をくるっと回す。目は窓の外をむくが、注意は視野の外にある。
(彼はまっすぐな男だな……)
校長にシドを紹介した知人もそのように評価していた。その知人は大企業の会長でありながら、わざわざシドと直接面接をしてくれたという。
(大力会長が認めた人なのだから、いい人ではあるんだろう)
彼の性根が善人なのはいい。実際、シドはだれからも好かれている好男子である。しかし戦いに身を置いていたがゆえの荒っぽい決断力は看過できない。校長は彼をとがめなかったが、やはり上司として良識を教導すべきではないかと思いはじめる。
(もしや、生徒よりも指導がむずかしいんではなかろうか?)
シド自身はいたって素直かつ従順だ。校長がこまかく禁止事項を教えれば彼はそれにしたがうだろう。しかし校長は平和な環境で生きてきた。平和ボケした校長の想像力では、シドがやりうる蛮行を先読みできそうにない。
(うーん、あとは彼の良心にかけるか……?)
校長はあれこれ考えたものの、部下の器量任せで帰結した。キィキィと椅子を左右に回してぼーっとする。そのうち、はたと思い出すことがあった。
(あ、タイピンのことを聞き忘れたな)
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2018年03月15日
拓馬篇−4章3 ★
病院帰りのさなか、拓馬の父は息子の負傷の経緯をたずねてきた。拓馬は電話口では話せなかった仔細を、包み隠さず話した。すると父は息子が友人のために傷を負ったことを理解し、かえってその心意気を奨励した。ただ一点、苦言を呈する。
「小山田さんとこの娘さんには、危険なことをさせてほしくないな。あの子は、あの家族の心の支えだから──」
ヤマダを精神的支柱とする人物──拓馬はヤマダの母親を一番に想像した。拓馬はヤマダの母にもノブ同様の疑似親的な情愛を感じている。当然、彼女を悲嘆に暮れさせる真似はのぞんでいない。それでも父の願いを「わかった」とは即答できなかった。もとよりヤマダは自分の意思であの状況下におちいった。拓馬にできることとは、危険に首をつっこむ彼女と運命を共にすることくらいだ。それゆえ拓馬は「努力はする」と返答した。
拓馬たちが他校の少年らと再戦した翌日、拓馬の傷口はふさがった。早く治癒できた理由は自身の回復力と、父の手当てのおかげだ。拓馬はガーゼを外し、なに食わぬ顔で登校した。教室に入ると、ジモンがびっくりする。
「拓馬! ケガはどうしたんじゃ、ちゃんと看てもらったんか?」
「病院に行って、ガーゼを貼ってもらったよ」
「もう外してもええんかの」
「だって、傷はないだろ」
拓馬は昨日出血したこめかみを指差した。ジモンは目を丸くしながら拓馬の額を見る。
「医者いらずの体じゃな!」
ジモンは感嘆と同時に拓馬の背を叩いた。その力の入り方は強い。拓馬は痛みにむせる。
「うぐっ……もうちょっと加減を……」
「いやースマン! うっかり力んでしもうた」
ジモンが豪快に笑う。楽天的な性格とはいえ、傷を負った友人の心配をしていたらしい。
「ほんで、拓馬はヤマダと一緒に病院に行ったんじゃろ? あいつの調子は聞いとるか」
「ああ、元気にしてたよ。病院の帰りはノブさんにおんぶされていった」
「おとなしくノブさんにおぶさるようじゃ、元気とは言えんの」
「あいかわらず悪態をついてたから平気だよ」
ジモンもヤマダが父親と仲がわるいのを知っている。顔をあわせればつい憎まれ口を叩くのが小山田父娘の在り方だ。ノブと波長がマッチするジモンは「あんなにいい人なのにな〜」とヤマダの嫌悪を理解できないでいた。
「ジモンには合っててもヤマダには合わねえ人なんだよ」
拓馬はそれらしいことを言っておいた。ジモンと話がすんだ拓馬は自席に向かう。付近の席にいる、名木野という内気な女子と簡単な挨拶を交わす。彼女はヤマダと親しい女子で、拓馬とも多少の親交がある。拓馬は彼女との話はこれで終了したと思ったが、名木野が「あの」と続行する。その表情は暗い。
「根岸くん、ケガしたんだって?」
「ああ、ちょっとだけな」
「ごめんなさい、痛い思いをさせて……」
「なんで名木野が謝るんだ?」
「私、仙谷くんの計画を知ってたのに……先生に言おうかどうしようか、ぐずぐずして。それで先生に知らせるのがおそくなったの」
拓馬はこの事実を想定していなかった。
(先生が独断で、助けにきたのかと思ってたが……)
本摩が「体育祭がおわるまでは待て」と言っていたのだから、その直後に仙谷らが活動を起こすことは容易に予想がつく。その推測のもと、あの教師がタイミングよくあらわれたのだと拓馬は想像していた。
「まえに校長の呼出しを受けたんでしょう? 先生に知らせるとまた叱られそうで……」
名木野の迷いとは、拓馬らの不利益が出ると考えたために生じた。彼女らしい気遣いだ。
「先生に言ってくれたおかげで、軽いケガだけですんだよ。ありがとうな」
名木野の心が幾分か晴れ、表情が明るくなる。名木野は「ありがとう」とつぶやいた。
拓馬は授業の準備をした。その最中、ヤマダが入室する。彼女の手に平たい小箱があった。なにを持ってきたのだろう、と好奇がつのったが、そこへ三郎が話しかけてくる。
「拓馬、医者にかかってきたんだろう?」
「そうだよ。もう傷はもう治ったから──」
拓馬は同じことを何度も言うことに気怠さをおぼえた。だがその感情は瞬時に吹き飛ぶ。
拓馬に一枚の紙幣がつきつけられた。それはこの国で二番目に価値の高いお札。生徒が携行する昼食代金や交通費にしては高すぎる。
「なんだよ、この金?」
「見舞い金だ」
「なんでまた……」
「オレが言いだしたことだ。なのに診察料も出さんのでは義にそむく!」
「べつにいいよ、友だちだし……」
「『親しき仲にも礼儀あり』だ!」
三郎はお札を拓馬の胸へと押しつけた。拓馬が返却しようにも、三郎が離れていってしまった。三郎はヤマダにも同様の見舞い金を支払っている。
(勝手についてきたやつにもか)
拓馬は三郎から同行をたのまれていた。そのため拓馬がこうむった損害を三郎が保障することは理にかなっている。しかしヤマダは三郎による参加依頼を受けていない。自由意思においての負傷は自己責任になりそうなだが、三郎は動機の区別をしていないらしい。
(それはいいけど、どっから出た金なんだ)
三郎はヤマダにも拓馬と同額の紙幣をあげている。合計すると、学生のポケットマネーでポンと出せる額ではない。部活と勉強と生徒会で忙しい彼が、学生バイトで稼いでいるとは思えないのだが。
(親からもらったこづかいだと、気の毒だな)
そういった遠慮をヤマダも感じている、と拓馬は思いながら二人の動向を見守った。ところがヤマダはあっさりお金を受け取る。そしてそそくさと退室した。どうも彼女は気持ちが明後日の方向へいってしまって、三郎が眼中に入らないようだった。
義理を果たした三郎は得意満面に席へもどる。これで拓馬たちへの負い目を解消できたらしい。
(もらっておくのが、礼儀か)
かたくなに拒否すればきっと三郎が不愉快になる。それは彼に対して失礼だ。拓馬はもらったお金をいったん預かっておき、あとで三郎のために使おうと思った。ありきたりな使いどころは誕生日プレゼントだろうか。
(そういや、いつの生まれだか知らないな)
拓馬は付き合いの長いヤマダやジモンの誕生日を知っているものの、三郎とは高校で知りあった仲なので、案外知らないことがあるのだと気づく。機会をみて三郎のプロフィールを知っていそうな人に聞こう、と見当をつけた。
なんとなく、三郎の誕生日を知っていそうな生徒の様子を見る。いま教室にいるのは千智だ。彼女は名木野相手に、昨日起こったことをしゃべっている。シドが起こした暴挙への言及もあり、あまり他言してよい内容ではなかった。話をやめさせようか、と拓馬はあせったが、別段シドから口止めされていないことだ。拓馬の判断で「しゃべるな」と千智に言っても彼女が不満を感じるだけかもしれず、拓馬は友人の口外を止めなかった。
「小山田さんとこの娘さんには、危険なことをさせてほしくないな。あの子は、あの家族の心の支えだから──」
ヤマダを精神的支柱とする人物──拓馬はヤマダの母親を一番に想像した。拓馬はヤマダの母にもノブ同様の疑似親的な情愛を感じている。当然、彼女を悲嘆に暮れさせる真似はのぞんでいない。それでも父の願いを「わかった」とは即答できなかった。もとよりヤマダは自分の意思であの状況下におちいった。拓馬にできることとは、危険に首をつっこむ彼女と運命を共にすることくらいだ。それゆえ拓馬は「努力はする」と返答した。
拓馬たちが他校の少年らと再戦した翌日、拓馬の傷口はふさがった。早く治癒できた理由は自身の回復力と、父の手当てのおかげだ。拓馬はガーゼを外し、なに食わぬ顔で登校した。教室に入ると、ジモンがびっくりする。
「拓馬! ケガはどうしたんじゃ、ちゃんと看てもらったんか?」
「病院に行って、ガーゼを貼ってもらったよ」
「もう外してもええんかの」
「だって、傷はないだろ」
拓馬は昨日出血したこめかみを指差した。ジモンは目を丸くしながら拓馬の額を見る。
「医者いらずの体じゃな!」
ジモンは感嘆と同時に拓馬の背を叩いた。その力の入り方は強い。拓馬は痛みにむせる。
「うぐっ……もうちょっと加減を……」
「いやースマン! うっかり力んでしもうた」
ジモンが豪快に笑う。楽天的な性格とはいえ、傷を負った友人の心配をしていたらしい。
「ほんで、拓馬はヤマダと一緒に病院に行ったんじゃろ? あいつの調子は聞いとるか」
「ああ、元気にしてたよ。病院の帰りはノブさんにおんぶされていった」
「おとなしくノブさんにおぶさるようじゃ、元気とは言えんの」
「あいかわらず悪態をついてたから平気だよ」
ジモンもヤマダが父親と仲がわるいのを知っている。顔をあわせればつい憎まれ口を叩くのが小山田父娘の在り方だ。ノブと波長がマッチするジモンは「あんなにいい人なのにな〜」とヤマダの嫌悪を理解できないでいた。
「ジモンには合っててもヤマダには合わねえ人なんだよ」
拓馬はそれらしいことを言っておいた。ジモンと話がすんだ拓馬は自席に向かう。付近の席にいる、名木野という内気な女子と簡単な挨拶を交わす。彼女はヤマダと親しい女子で、拓馬とも多少の親交がある。拓馬は彼女との話はこれで終了したと思ったが、名木野が「あの」と続行する。その表情は暗い。
「根岸くん、ケガしたんだって?」
「ああ、ちょっとだけな」
「ごめんなさい、痛い思いをさせて……」
「なんで名木野が謝るんだ?」
「私、仙谷くんの計画を知ってたのに……先生に言おうかどうしようか、ぐずぐずして。それで先生に知らせるのがおそくなったの」
拓馬はこの事実を想定していなかった。
(先生が独断で、助けにきたのかと思ってたが……)
本摩が「体育祭がおわるまでは待て」と言っていたのだから、その直後に仙谷らが活動を起こすことは容易に予想がつく。その推測のもと、あの教師がタイミングよくあらわれたのだと拓馬は想像していた。
「まえに校長の呼出しを受けたんでしょう? 先生に知らせるとまた叱られそうで……」
名木野の迷いとは、拓馬らの不利益が出ると考えたために生じた。彼女らしい気遣いだ。
「先生に言ってくれたおかげで、軽いケガだけですんだよ。ありがとうな」
名木野の心が幾分か晴れ、表情が明るくなる。名木野は「ありがとう」とつぶやいた。
拓馬は授業の準備をした。その最中、ヤマダが入室する。彼女の手に平たい小箱があった。なにを持ってきたのだろう、と好奇がつのったが、そこへ三郎が話しかけてくる。
「拓馬、医者にかかってきたんだろう?」
「そうだよ。もう傷はもう治ったから──」
拓馬は同じことを何度も言うことに気怠さをおぼえた。だがその感情は瞬時に吹き飛ぶ。
拓馬に一枚の紙幣がつきつけられた。それはこの国で二番目に価値の高いお札。生徒が携行する昼食代金や交通費にしては高すぎる。
「なんだよ、この金?」
「見舞い金だ」
「なんでまた……」
「オレが言いだしたことだ。なのに診察料も出さんのでは義にそむく!」
「べつにいいよ、友だちだし……」
「『親しき仲にも礼儀あり』だ!」
三郎はお札を拓馬の胸へと押しつけた。拓馬が返却しようにも、三郎が離れていってしまった。三郎はヤマダにも同様の見舞い金を支払っている。
(勝手についてきたやつにもか)
拓馬は三郎から同行をたのまれていた。そのため拓馬がこうむった損害を三郎が保障することは理にかなっている。しかしヤマダは三郎による参加依頼を受けていない。自由意思においての負傷は自己責任になりそうなだが、三郎は動機の区別をしていないらしい。
(それはいいけど、どっから出た金なんだ)
三郎はヤマダにも拓馬と同額の紙幣をあげている。合計すると、学生のポケットマネーでポンと出せる額ではない。部活と勉強と生徒会で忙しい彼が、学生バイトで稼いでいるとは思えないのだが。
(親からもらったこづかいだと、気の毒だな)
そういった遠慮をヤマダも感じている、と拓馬は思いながら二人の動向を見守った。ところがヤマダはあっさりお金を受け取る。そしてそそくさと退室した。どうも彼女は気持ちが明後日の方向へいってしまって、三郎が眼中に入らないようだった。
義理を果たした三郎は得意満面に席へもどる。これで拓馬たちへの負い目を解消できたらしい。
(もらっておくのが、礼儀か)
かたくなに拒否すればきっと三郎が不愉快になる。それは彼に対して失礼だ。拓馬はもらったお金をいったん預かっておき、あとで三郎のために使おうと思った。ありきたりな使いどころは誕生日プレゼントだろうか。
(そういや、いつの生まれだか知らないな)
拓馬は付き合いの長いヤマダやジモンの誕生日を知っているものの、三郎とは高校で知りあった仲なので、案外知らないことがあるのだと気づく。機会をみて三郎のプロフィールを知っていそうな人に聞こう、と見当をつけた。
なんとなく、三郎の誕生日を知っていそうな生徒の様子を見る。いま教室にいるのは千智だ。彼女は名木野相手に、昨日起こったことをしゃべっている。シドが起こした暴挙への言及もあり、あまり他言してよい内容ではなかった。話をやめさせようか、と拓馬はあせったが、別段シドから口止めされていないことだ。拓馬の判断で「しゃべるな」と千智に言っても彼女が不満を感じるだけかもしれず、拓馬は友人の口外を止めなかった。