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2018年04月06日
拓馬篇−4章5 ★
週末の夜、拓馬は駅近くの小売店で紙パックジュースを購入した。買った飲料は家ではあまり飲む機会のない種類。せっかく買うのなら普段飲まないものを、と思って選んだ。この不明確な購買意欲のとおり、拓馬の外出目的はジュース以外にある。その目的とは、須坂の身辺警護もどきだ。ただし守られる側の了解は得ていない。
拓馬が家を出る際は、物を買う気などさらさらなかった。いざ来てみると、店の利用客が店の外で待機する少年に視線を投げていく。そのいぶかしげな目が視界に入るたび、拓馬はこのままではよくないと感じた。
(『高校生ぐらいの不審者がうろついてる』って評判になったら、まずいぞ)
ここは深夜も営業する店だ。時刻は小学生の就寝には早いくらいとはいえ、普通、こんな夜に未成年が店にたむろしない。するとしたら不良だろう。もしも不良らしき少年が才穎高校の生徒だとうわさされれば、教師陣の風当たりが強くなること必至だ。学校の評判を下げる行為は理由の如何《いかん》に問わず、処罰されかねない。
買い物客の体裁をたもつ拓馬はふたたび店の外に立つ。そこは室外機横の、客の行き来を邪魔しない区画だ。店員がそえたストローをジュースの口に差し、水分補給する。ストローをくわえた状態で、拓馬は駅へ向かう人影を見張った。
(ぜんぜん、連絡こないな……)
三郎が決めた配置についてから三十分は経っただろうか。連絡をとるのは異常が発生したときのみ、というふうに仲間内で決めてあった。通信機器の使用により、須坂または不審者に見つかるおそれがあったためだ。とくに不審者はどこにひそんでいるかわからない。不用意な行動をひかえる必要があった。
連絡をとるにふさわしい異常事態には「今晩は須坂が外出しない」こともふくまれる。その異常を察知する係はアパート付近担当の三郎だ。彼がそう判断すれば各自解散になる。音信不通である現状、事は順調にすすんでいるか、三郎があきらめていないかのどちらかのようだ。
この見張り作戦にはほかにも参加者がいる。家業を切り上げてくるジモンと、拓馬とはべつクラスになった男子である。彼は名木野と親しく、その名木野が拓馬たちを案じるのを知って、今回協力してくれることになった。
こうして三郎は三人の同志をあつめ、今日の昼間に計画を発表した。その発表には予想外な情報があった。須坂の姉は芸能人だという。水卜《みうら》律子といい、小さな子どものころから俳優業を続ける有名人だと。三郎自身は律子に会ったときに気付かなかったが、あとで同じ場にいたヤマダにそう教えられたそうだ。須坂は家族が有名人だという好奇の目にさらされたくなくて、学校では姉の存在を隠したがっているとか。
(水卜さんか……けっこうキレイな人だよな)
拓馬は熱心にテレビを見るタチではないが、水卜の活動期間の長さゆえに、彼女の活躍を見かけることがあった。子役時代をすぎてからの役どころはクールビューティ―なものが多く、須坂のとっつきにくさとイメージが被る。その人格はあくまで演技上の性質であり、本来の水卜その人とは異なる。拓馬は三郎の「お姉さんのほうはやさしそう」との説明を受けて、そのように感じた。
現在の拓馬たちは個別に見張り活動をしている。須坂の住むアパートから駅までの道のりを、各々が一定の間隔をあけて待機する。須坂の通る経路をおさえる必要はあるが、彼女に見つかってもいけない。とくに姿を見られやすい場所は照明や人通りの多い、駅前だ。駅前は身体的に目立たない者が適任者だといい、拓馬が配置された。
(俺が地味なのはわかるけど──)
須坂とは日常的に会っている。顔を見られれば気づかれるはずだ。
(バレたらすげえ怒られそう……)
彼女が拓馬個人へ冷たく当たったことはないものの、性格的にありえそうだと拓馬は憂《うれ》えた。
手にもつ紙パックがかるくなってきたころ、長髪の女性が店の前を横切っていった。女性の背格好は須坂と似ている。足早に移動すること以外、平常な様子である。
(なにも起きなかったってことかな)
それは仲間たちが無言をつらぬく現状と合致する。拓馬は彼女を須坂だと推定した。もし推定が確定へ変化した際には「須坂は駅に着いた」と仲間へ伝えることになっている。駅前は通信機器を使う人が多数いる環境ゆえに、不審者に気取られる危険がすくない、との判断にもとづく決定だった。
須坂らしき人物は電灯がひときわ明るい駅舎へ入る。そこで彼女の姉を待つのだろう。
須坂が夜に外出する動機は、遠方からくる姉を出迎えるためにある。三郎の人物評によると須坂の姉はおだやかそうだったとか。その人がいれば拓馬らの張りこみが知られても、いくらかの弁護は期待できそうだ。
(お姉さんと須坂が合流するまでは近づけないな)
須坂だとおぼしき相手が須坂本人なのか、まだ確認しにいけない。いましばらく待機を続行した。
駅舎に電車が入っていく。拓馬が見張りの任に就いてから何度めの停車だったか。停まった電車がまたうごくころ、駅から人が出てきた。仕事帰りらしき男性や背のちぢこまった老人などが先行する。駅を離れようとする人々の中に、駅舎の外壁にそって移動する者が二人いた。駅の軒先にある照明のおかげで、片方は須坂だとほぼ断定できた。もう一方も女性らしい姿だ。おそらく須坂の姉である。この二人は壁の曲がり角で、身を隠した。
(どうしてすぐに帰らないんだ?)
拓馬は姉妹の行動に疑問をもち、ある仮説を思いつく。
(電車の中で、変なやつに会ったとか?)
そう考えた拓馬は紙パックを足元に置き、駅舎から挙動不審な者があらわれるのを見張る。
(あ、須坂が駅についたって連絡……)
拓馬は事前の打ち合わせを思い出した。しかし連絡をとる間は不審者の監視がしづらくなる。拓馬はどちらを優先するか迷ったが、ひとまず簡単な報せだけ仲間内に送る。返信を確認せずに、携帯型の電子機器をポケットにしまった。
拓馬はすぐに駅の構内を見る。須坂が見知らぬ二人組と対面していた。相手は男性だ。須坂たちはなにか話しているように見えた。
(あいつ、男嫌いなのに……?)
その違和感はすぐに消える。急に須坂が彼らに背を向け、走りだした。男連中は須坂につかみかかろうとしており、どうやら須坂が彼らを怒らせたようである。彼女らしいと拓馬は思ったが、悠長にかまえてはいられない。ただちに助けに行こうとした。
拓馬がうごくより先に、異変が生じた。巨大な人影が、須坂と男性たちの間に割って入る。鍔広の帽子を被った大きな影だ。その人影が、男性二人の襟首をつかむ。黒ずくめの人物は成人男性をひとりずつ片手で持ち上げた。拘束される者たちはうめき声をあげている。その様子に拓馬は既視感をおぼえた。武闘派な教師による不良少年への折檻は、まだ記憶に新しい。
(まさか、先生? でも体型がちがう)
締め上げられる男性たちは平均的な成人男性の体つきをしている。そんな彼らとは比較にならぬほど、男性らを捕縛する人物の背が高い。そのうえ筋骨隆々なようだ。シドも体格がよい男性とはいえ、あの大男よりは細身かつ身長が低い。あきらかに別人だ。
大男は捕まえた男性らを放した。痛めつけられた者たちが地面にころがった。
騒ぎの場へ、須坂の姉が急行する。彼女は大男に頭を下げた。どうやらお礼を言っているらしい。そこに突然、光が放たれた。二人の姿が明るみになる。大男の仕置きを受けた連中がカメラを撮ったようだ。須坂がカメラマンに詰め寄り、口論を起こしている。
(須坂のやつ、さっきから喧嘩ふっかけてるみたいだけど……?)
いくら須坂が気の強い女子といえど、闘牛のごとき暴れ方を学内では見せていない。彼女が怒るなにかを、男性二人組はやらかしたようだ。
須坂がカメラを持つ男性と取っ組みあう。相手は男性二人。とても彼女がかなう見込みはない。かなりのムチャをしでかすその度胸はおそらく、大男がそばにいるから成立するものだ。奇妙な信頼関係にある大男が、カメラを男性からもぎ取った。
カメラを持っていないほうの男性が「返せ!」と叫び、大男に突進する。大男は簡単にいなした。男性の体当たりが空ぶり、いきおいあまって転倒した。
次にもともとのカメラ所有者が大男に掴みかかる。大男はカメラを掲げた。うばい返されないための行為か、と思いきや、大男の手からバラバラと黒い破片が降る。彼はカメラを握りつぶしたのだ。非常識なまでの握力だ。
男二人は大男の馬鹿力に臆したらしい。力ない悲鳴をあげながら駅舎へ駆けこんだ。
(で……どっちが須坂の付きまといをしてるやつだったんだ?)
いま、その確認ができるのは怪力男のみ。拓馬はそちらに問いただすつもりで接近した。
大男は駅舎から遠ざかろうとする。それを須坂が「待って!」と引き止めた。しかし大男は無情にも走りだす。
(逃がすか!)
拓馬は必死に追いかけた。学校では俊足を誇る拓馬だが、大男相手にみるみる引き離されてしまった。そのすばやさは獣のよう。世界陸上選手もあわやというほどの走りだ。
これは追いつけないと拓馬は判断し、大男の遁走を見逃した。全力疾走によってはずんだ呼吸をととのえる。肩で息をするところを、「ねえ」と話しかけられた。その声は須坂である。
「根岸くんでしょ。なんで走ってるの?」
いよいよ須坂に気付かれた。拓馬は彼女の叱責を回避しうる、適当な返答をのべる。
「……なんでって、トレーニング、だな」
「駅前で短距離走の練習? 人にぶつかったら危ないじゃない」
至極当然な指摘だった。ランニング程度のかるい運動ならば通用しただろうが、トップスピードを出す走り込みの場にはふさわしくない。拓馬はどう言い繕ったらいいものか迷う。
「あの走っていった男の人、あなたの知り合い?」
須坂は拓馬のウソを追及せず、大男のことを聞いてきた。これには拓馬が正直に答える。
「知らないな。お前こそどうなんだ?」
二人のやり取りを須坂の姉がさえぎる。
「ここで長話もなんだから、お店に入らない? お腹へっちゃって……」
須坂の姉は食事をとるヒマなく妹に会いにきたようだ。姉妹の夕食に他人が入りこむ余地はない。拓馬はこれみよがしに「んじゃあ、俺はこれで」と去ろうとした。が、拓馬の服の裾を美弥が引っ張る。
「ちゃんと話しましょう。聞きたいことがあるし、あなたも私たちに言うことがあるんじゃないの?」
拓馬は須坂の言葉から、拓馬たちが独断で須坂の見張りをしたことへの謝罪要求をかぎとる。ここで逃げてはあとがこわいと思い、だまってうなずく。これから夕食の同伴をするとなると、三十分は身動きがとれなくなるだろうか。張り込み中の仲間に事情を伝えなくては、と拓馬は考え、一時的に須坂と離れる策を講じる。
「ちょっとゴミ捨ててからでいいかな」
「いいけど、にげないでよ」
「そんなバカなことしないって」
学校でどやされたくない、と心の中で答えた。拓馬は紙パックを放置した場所へ急いでもどる。ゴミを回収しつつ司令塔へ通話をする。
「三郎、須坂に付きまとってるやつを見かけたよ」
『本当か! 捕まえられたか?』
「それは無理だった。くわしい話はあとでな。今日はもう引き上げよう」
『了解した。帰還しよう』
ゴミ箱へ紙パックを投入する間に、会話はおわった。歩道で待つ須坂らのほうへ向きなおると、須坂は冷めた視線を投げてくる。
「やっぱり、捜査ごっこしてたの?」
「ああ、勝手についてきてわるかった」
「あなたが謝らなくていい。どうせあの熱血バカに無理を言われたんでしょ」
意外にも須坂は拓馬への理解を示した。拓馬からの詫びはほしくないのなら、わざわざ場所を移して話をする理由がわからない。
「? そこまでわかってて、どうして俺と話しをしようと?」
「言ったでしょ、おたがいに話すことがあるって。学校じゃ話しにくいから、いまのうちに伝えておきたいの」
須坂はそれきり姉と「どの店がいい?」と夕飯談義をはじめた。彼女らのうしろを、拓馬はつかずはなれずで追った。
拓馬が家を出る際は、物を買う気などさらさらなかった。いざ来てみると、店の利用客が店の外で待機する少年に視線を投げていく。そのいぶかしげな目が視界に入るたび、拓馬はこのままではよくないと感じた。
(『高校生ぐらいの不審者がうろついてる』って評判になったら、まずいぞ)
ここは深夜も営業する店だ。時刻は小学生の就寝には早いくらいとはいえ、普通、こんな夜に未成年が店にたむろしない。するとしたら不良だろう。もしも不良らしき少年が才穎高校の生徒だとうわさされれば、教師陣の風当たりが強くなること必至だ。学校の評判を下げる行為は理由の如何《いかん》に問わず、処罰されかねない。
買い物客の体裁をたもつ拓馬はふたたび店の外に立つ。そこは室外機横の、客の行き来を邪魔しない区画だ。店員がそえたストローをジュースの口に差し、水分補給する。ストローをくわえた状態で、拓馬は駅へ向かう人影を見張った。
(ぜんぜん、連絡こないな……)
三郎が決めた配置についてから三十分は経っただろうか。連絡をとるのは異常が発生したときのみ、というふうに仲間内で決めてあった。通信機器の使用により、須坂または不審者に見つかるおそれがあったためだ。とくに不審者はどこにひそんでいるかわからない。不用意な行動をひかえる必要があった。
連絡をとるにふさわしい異常事態には「今晩は須坂が外出しない」こともふくまれる。その異常を察知する係はアパート付近担当の三郎だ。彼がそう判断すれば各自解散になる。音信不通である現状、事は順調にすすんでいるか、三郎があきらめていないかのどちらかのようだ。
この見張り作戦にはほかにも参加者がいる。家業を切り上げてくるジモンと、拓馬とはべつクラスになった男子である。彼は名木野と親しく、その名木野が拓馬たちを案じるのを知って、今回協力してくれることになった。
こうして三郎は三人の同志をあつめ、今日の昼間に計画を発表した。その発表には予想外な情報があった。須坂の姉は芸能人だという。水卜《みうら》律子といい、小さな子どものころから俳優業を続ける有名人だと。三郎自身は律子に会ったときに気付かなかったが、あとで同じ場にいたヤマダにそう教えられたそうだ。須坂は家族が有名人だという好奇の目にさらされたくなくて、学校では姉の存在を隠したがっているとか。
(水卜さんか……けっこうキレイな人だよな)
拓馬は熱心にテレビを見るタチではないが、水卜の活動期間の長さゆえに、彼女の活躍を見かけることがあった。子役時代をすぎてからの役どころはクールビューティ―なものが多く、須坂のとっつきにくさとイメージが被る。その人格はあくまで演技上の性質であり、本来の水卜その人とは異なる。拓馬は三郎の「お姉さんのほうはやさしそう」との説明を受けて、そのように感じた。
現在の拓馬たちは個別に見張り活動をしている。須坂の住むアパートから駅までの道のりを、各々が一定の間隔をあけて待機する。須坂の通る経路をおさえる必要はあるが、彼女に見つかってもいけない。とくに姿を見られやすい場所は照明や人通りの多い、駅前だ。駅前は身体的に目立たない者が適任者だといい、拓馬が配置された。
(俺が地味なのはわかるけど──)
須坂とは日常的に会っている。顔を見られれば気づかれるはずだ。
(バレたらすげえ怒られそう……)
彼女が拓馬個人へ冷たく当たったことはないものの、性格的にありえそうだと拓馬は憂《うれ》えた。
手にもつ紙パックがかるくなってきたころ、長髪の女性が店の前を横切っていった。女性の背格好は須坂と似ている。足早に移動すること以外、平常な様子である。
(なにも起きなかったってことかな)
それは仲間たちが無言をつらぬく現状と合致する。拓馬は彼女を須坂だと推定した。もし推定が確定へ変化した際には「須坂は駅に着いた」と仲間へ伝えることになっている。駅前は通信機器を使う人が多数いる環境ゆえに、不審者に気取られる危険がすくない、との判断にもとづく決定だった。
須坂らしき人物は電灯がひときわ明るい駅舎へ入る。そこで彼女の姉を待つのだろう。
須坂が夜に外出する動機は、遠方からくる姉を出迎えるためにある。三郎の人物評によると須坂の姉はおだやかそうだったとか。その人がいれば拓馬らの張りこみが知られても、いくらかの弁護は期待できそうだ。
(お姉さんと須坂が合流するまでは近づけないな)
須坂だとおぼしき相手が須坂本人なのか、まだ確認しにいけない。いましばらく待機を続行した。
駅舎に電車が入っていく。拓馬が見張りの任に就いてから何度めの停車だったか。停まった電車がまたうごくころ、駅から人が出てきた。仕事帰りらしき男性や背のちぢこまった老人などが先行する。駅を離れようとする人々の中に、駅舎の外壁にそって移動する者が二人いた。駅の軒先にある照明のおかげで、片方は須坂だとほぼ断定できた。もう一方も女性らしい姿だ。おそらく須坂の姉である。この二人は壁の曲がり角で、身を隠した。
(どうしてすぐに帰らないんだ?)
拓馬は姉妹の行動に疑問をもち、ある仮説を思いつく。
(電車の中で、変なやつに会ったとか?)
そう考えた拓馬は紙パックを足元に置き、駅舎から挙動不審な者があらわれるのを見張る。
(あ、須坂が駅についたって連絡……)
拓馬は事前の打ち合わせを思い出した。しかし連絡をとる間は不審者の監視がしづらくなる。拓馬はどちらを優先するか迷ったが、ひとまず簡単な報せだけ仲間内に送る。返信を確認せずに、携帯型の電子機器をポケットにしまった。
拓馬はすぐに駅の構内を見る。須坂が見知らぬ二人組と対面していた。相手は男性だ。須坂たちはなにか話しているように見えた。
(あいつ、男嫌いなのに……?)
その違和感はすぐに消える。急に須坂が彼らに背を向け、走りだした。男連中は須坂につかみかかろうとしており、どうやら須坂が彼らを怒らせたようである。彼女らしいと拓馬は思ったが、悠長にかまえてはいられない。ただちに助けに行こうとした。
拓馬がうごくより先に、異変が生じた。巨大な人影が、須坂と男性たちの間に割って入る。鍔広の帽子を被った大きな影だ。その人影が、男性二人の襟首をつかむ。黒ずくめの人物は成人男性をひとりずつ片手で持ち上げた。拘束される者たちはうめき声をあげている。その様子に拓馬は既視感をおぼえた。武闘派な教師による不良少年への折檻は、まだ記憶に新しい。
(まさか、先生? でも体型がちがう)
締め上げられる男性たちは平均的な成人男性の体つきをしている。そんな彼らとは比較にならぬほど、男性らを捕縛する人物の背が高い。そのうえ筋骨隆々なようだ。シドも体格がよい男性とはいえ、あの大男よりは細身かつ身長が低い。あきらかに別人だ。
大男は捕まえた男性らを放した。痛めつけられた者たちが地面にころがった。
騒ぎの場へ、須坂の姉が急行する。彼女は大男に頭を下げた。どうやらお礼を言っているらしい。そこに突然、光が放たれた。二人の姿が明るみになる。大男の仕置きを受けた連中がカメラを撮ったようだ。須坂がカメラマンに詰め寄り、口論を起こしている。
(須坂のやつ、さっきから喧嘩ふっかけてるみたいだけど……?)
いくら須坂が気の強い女子といえど、闘牛のごとき暴れ方を学内では見せていない。彼女が怒るなにかを、男性二人組はやらかしたようだ。
須坂がカメラを持つ男性と取っ組みあう。相手は男性二人。とても彼女がかなう見込みはない。かなりのムチャをしでかすその度胸はおそらく、大男がそばにいるから成立するものだ。奇妙な信頼関係にある大男が、カメラを男性からもぎ取った。
カメラを持っていないほうの男性が「返せ!」と叫び、大男に突進する。大男は簡単にいなした。男性の体当たりが空ぶり、いきおいあまって転倒した。
次にもともとのカメラ所有者が大男に掴みかかる。大男はカメラを掲げた。うばい返されないための行為か、と思いきや、大男の手からバラバラと黒い破片が降る。彼はカメラを握りつぶしたのだ。非常識なまでの握力だ。
男二人は大男の馬鹿力に臆したらしい。力ない悲鳴をあげながら駅舎へ駆けこんだ。
(で……どっちが須坂の付きまといをしてるやつだったんだ?)
いま、その確認ができるのは怪力男のみ。拓馬はそちらに問いただすつもりで接近した。
大男は駅舎から遠ざかろうとする。それを須坂が「待って!」と引き止めた。しかし大男は無情にも走りだす。
(逃がすか!)
拓馬は必死に追いかけた。学校では俊足を誇る拓馬だが、大男相手にみるみる引き離されてしまった。そのすばやさは獣のよう。世界陸上選手もあわやというほどの走りだ。
これは追いつけないと拓馬は判断し、大男の遁走を見逃した。全力疾走によってはずんだ呼吸をととのえる。肩で息をするところを、「ねえ」と話しかけられた。その声は須坂である。
「根岸くんでしょ。なんで走ってるの?」
いよいよ須坂に気付かれた。拓馬は彼女の叱責を回避しうる、適当な返答をのべる。
「……なんでって、トレーニング、だな」
「駅前で短距離走の練習? 人にぶつかったら危ないじゃない」
至極当然な指摘だった。ランニング程度のかるい運動ならば通用しただろうが、トップスピードを出す走り込みの場にはふさわしくない。拓馬はどう言い繕ったらいいものか迷う。
「あの走っていった男の人、あなたの知り合い?」
須坂は拓馬のウソを追及せず、大男のことを聞いてきた。これには拓馬が正直に答える。
「知らないな。お前こそどうなんだ?」
二人のやり取りを須坂の姉がさえぎる。
「ここで長話もなんだから、お店に入らない? お腹へっちゃって……」
須坂の姉は食事をとるヒマなく妹に会いにきたようだ。姉妹の夕食に他人が入りこむ余地はない。拓馬はこれみよがしに「んじゃあ、俺はこれで」と去ろうとした。が、拓馬の服の裾を美弥が引っ張る。
「ちゃんと話しましょう。聞きたいことがあるし、あなたも私たちに言うことがあるんじゃないの?」
拓馬は須坂の言葉から、拓馬たちが独断で須坂の見張りをしたことへの謝罪要求をかぎとる。ここで逃げてはあとがこわいと思い、だまってうなずく。これから夕食の同伴をするとなると、三十分は身動きがとれなくなるだろうか。張り込み中の仲間に事情を伝えなくては、と拓馬は考え、一時的に須坂と離れる策を講じる。
「ちょっとゴミ捨ててからでいいかな」
「いいけど、にげないでよ」
「そんなバカなことしないって」
学校でどやされたくない、と心の中で答えた。拓馬は紙パックを放置した場所へ急いでもどる。ゴミを回収しつつ司令塔へ通話をする。
「三郎、須坂に付きまとってるやつを見かけたよ」
『本当か! 捕まえられたか?』
「それは無理だった。くわしい話はあとでな。今日はもう引き上げよう」
『了解した。帰還しよう』
ゴミ箱へ紙パックを投入する間に、会話はおわった。歩道で待つ須坂らのほうへ向きなおると、須坂は冷めた視線を投げてくる。
「やっぱり、捜査ごっこしてたの?」
「ああ、勝手についてきてわるかった」
「あなたが謝らなくていい。どうせあの熱血バカに無理を言われたんでしょ」
意外にも須坂は拓馬への理解を示した。拓馬からの詫びはほしくないのなら、わざわざ場所を移して話をする理由がわからない。
「? そこまでわかってて、どうして俺と話しをしようと?」
「言ったでしょ、おたがいに話すことがあるって。学校じゃ話しにくいから、いまのうちに伝えておきたいの」
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2018年03月27日
拓馬篇−4章4 ★
「拓馬、聞いてくれ!」
本日最後の授業がおわったとたん、今朝に見舞い金をくれた友人が話しかけてきた。
(まだなんかあるのか……)
拓馬が三郎を見てみると、彼は授業でよく使うノートを持ってきている。
「近所に出没する不審者の話、していいか?」
「また俺らで退治しようってのか?」
「その前準備だ。ほら、シド先生との約束があるだろう?」
喧嘩の処分が決まるまでは問題を起こすな──シドはそう忠告した。三郎はその言い付けを守るつもりだ。彼は自己の正義に反しない範囲において、教師に従順な優等生である。
「オレとて数日は自粛しようかと思ったんだが……計画を伝えるだけならきっと平気だ」
「計画ぅ?」
拓馬は「聞きたくない」と言わんばかりに口をすぼめたり眉をうごかしたりして、拒絶の意思表示をした。ところが三郎はどういうプラス思考なのか「ふふふん」と笑う。
「案ずるな。作戦決行日は金曜の夜だ。それまでにオレたちの処遇は決定するだろう」
「前回は反省文を書かされたろ? 昨日の件で一回、その計画とやらでもう一回反省文を書いてもいいのかよ」
それでは見せかけの反省だ。生徒らの不遜な態度を知った教師陣は「反省文では罰に値しない」と判断しそうである。そうなれば作文が優しい処罰だったと思えるほどの罰が待ち受けているかもしれない。
拓馬が不安を掻きたてるのとは反対に、三郎は胸の前に握りこぶしをつくる。やる気に満ちた顔で、拳をぶるぶると震わせる。
「弱者をおびやかす悪の実態をあばくためだ。その程度の罰に屈してはならん!」
「反省文よりきっつい罰だったら?」
「そのときに考える!」
「学校を出てけと言われたら?」
退学は生徒にとって最悪の処罰である。校長は変人といえど温情のある大人ゆえに、校長ひとりの判断では下されにくい決断だ。しかし、権威ある教員は校長以外にもいる。校内の二番手である頭デッカチな教頭が、退学処分を最善だと主張したなら、あるうる未来だ。
「オレは出ていこう。だが拓馬たちは巻き添えをくわないよう、懇願する」
決然とした態度だ。そこに「そんなことが起きるはずがない」という楽観は無い。
「そこまでしてやることか?」
自己犠牲の精神を尽くす動機があるのか。拓馬には提案者の並々ならぬ気迫を感じた。
三郎が神妙にノートをめくりだした。無地の裏表紙と、ノートのタイトルが書かれた表表紙が見える。表のほうには大きく「極秘」の文字がマジック書きしてある。
「ずいぶん自己主張の強い『極秘』だな」
「些末な……話をすすめるぞ! オレが引き下がらん理由は、須坂だ」
須坂は男子とまともに口を利かない女子。暑苦しい性格の三郎とは接点がなさそうだが。
「え、あいつ男嫌いだろ。どういう仲だよ?」
「仲はよくない! 事情を聞けただけだ」
「どうやって?」
「連休中にオレはバイトをしていたんだ。ヤマダの提案でな。そのときに須坂と会った」
「俺の姉貴が通ってる店か?」
「ああ、その喫茶店だ」
ヤマダと拓馬の姉は同じ店で短時間の仕事をしている。ヤマダは勤めだしてから長い経験者だ。一方で拓馬の姉はまだ半年経たない新任者。姉はあまりに家事下手なので、その矯正代わりに就労している。拓馬の身内がはたらく店に、三郎もいたとは。
「どういう風の吹き回しだ?」
「ヤマダに『友だちに頼みごとをするのにも限界がある』と言われた。拓馬たちの善意に甘えるばかりではいけない、というわけだな」
「で、今朝の見舞い金か?」
「そうだ。事件がおさまるまで、オレたちが危険にぶつかっていくことは予想できていた。万一だれかが負傷したら……そのときの治療費を確保しようと思って、ヤマダのいる店で稼がせてもらったわけだ」
拓馬は謎がふたつ解けた。三郎が気前よく支払うお金の出所と、そのお金へのヤマダの反応がうすかった原因。もとよりヤマダは見舞い金の存在を認知していたのだ。朝に感じた疑問はそれですっきりした。しかし三郎が転校生の女子と接触した経緯はまだわからない。
がらがらと教室の引き戸が鳴る。三郎が教室の戸口を見た。拓馬も音の鳴った方向を見ると、そこに担任がいる。本摩は「いい報せが入ったぞ」と笑っている。
「お前たち、今回の反省文は無しだ」
「ほんとうに? オレたちの処分はそれでいいんですか」
三郎はおどろきと望外のよろこびを顔に出した。反対に本摩は渋い面構えをする。
「ああ、その代わりにシド先生が校長にコッテリしぼられたそうだ」
歓喜していた三郎が悲痛な面持ちに変わる。
「どうして……シド先生はオレたちを助けてくれたんですよ」
「生徒の監督の、度を超えたらしいな」
拓馬は「度を超えた」の意味することが、シドの行き過ぎた対応を指すのだと思った。
「そうせざるをえない相手だったんです」
三郎も同じ解釈をし、シドを擁護した。本摩は微量の不安をうかべながら拓馬を見る。
「仙谷がシド先生のしたことを好意的に見てるのはいい。だが、ほかの連中はどうだ? 肝を冷やしたんじゃないか」
本摩にとっては拓馬の反応がより平均点、常識的なもの、と思っているらしい。拓馬は無言でうなずいた。本摩はにこやかになる。
「これに懲りて、ムチャはしないことだ」
本摩は「命あっての物種だぞ」と言い残した。三郎は申し訳なさそうに拓馬に向き合う。
「シド先生にも謝礼をあげるべきだろうか?」
「いらねえと思うぞ。あの人は全部『仕事だから』で今回のことをすませようとしてる」
「むむ、そうなのか……?」
三郎が恩義に報いれないことを残念がる。そのなぐさみというわけではないが、拓馬は教師が必要とする物をひとつ提案する。
「あ、でもネクタイはいけるか」
「おお! そういえば先生のネクタイがダメになったな。ではネクタイの弁償を──」
「好みの色や柄があるだろうし、買うなら一回、先生に聞いてからがいいんじゃないか」
「そうだな! では『拓馬との話がおわったあとで』聞きにいく」
三郎は計画の発表をまだ続けるつもりだ。 拓馬は内心、三郎の関心がシドにむかえば彼の計画がうやむやにならないかと期待していた。しかしまがりなりにも三郎は才子だ。彼は自身の目的を見失っていない。ジモンならはぐらかせたのに、と拓馬はわずかばかりのくやしさが浮上した。
(ま、次やらかしても即退学はなさそうか)
新任教師が身代わりになったことにより、加速度的な罰則の強化は中断できた。これならあと一度くらい、三郎の趣味に付き合っても平気かと思えてきた。
「えーと、オレのバイト中、喫茶店に須坂がきたんだ。もちろん客でな」
三郎は本摩登場まえの会話を再開する。
「おかげでいろいろ聞けた。須坂が夜に駅へ行き、その帰りで倒れた人を見つけた、と」
シズカもそのように言っていた。その情報源は三郎なのだから当然である。
「そいつが成石だったんだよな」
三郎は目をかっと見開いた。だがすぐに元通りの顔になる。
「ヤマダに教えられたか?」
「シズカさんに聞いた。成石が襲われた話を伝えてみたら、調べてくれたんだよ」
三郎は「おお!」と感嘆した。彼もシズカのことは知っている。三郎の姉はシズカの同僚だ。そのつながりから三郎はシズカの仕事ぶりを聞いているらしい。だが異界に関することだけは、三郎は知らされていない。ゆえに三郎はシズカの功績を、彼自身の卓越した能力によるものと見做し、全幅の信頼を寄せている。
「それなら犯人の目星はついているのか?」
「そうかもしれない。だから俺らがうごくのはやめに──」
「それとこれはまたべつの話だ」
「なんでだよ? シズカさんにまかせりゃいいじゃねえか」
「せめて今週は付きあってくれ。須坂がこわがっているんだ」
「あいつがそんな弱音を?」
「いや、本当は須坂本人じゃないんだが……まあ近しい人だ」
三郎は拓馬が知らぬ第三者の詳細を明かさないまま、ノートのページをめくる。
「その人は、成石が被害にあったのを、タイミング次第では自分が襲われていたかもしれない……と思っている。だがもっと悪質なケースも考えられる。成石を襲った犯人が、須坂たちにつきまとっている可能性だ」
「須坂『たち』って、だれのことなんだ?」
「須坂の姉だ。姉がいることを須坂は秘密にしたいそうだから、ここだけの話だぞ」
「へえ、あいつにも姉貴がいるのか……」
拓馬は須坂のしっかりした雰囲気ゆえに、上の兄弟姉妹がいるとは思っていなかった。彼女の学内での素行や成績は平均以上でそつがなく、おまけに一人暮らしをしていると言う。精神的に自立した生徒だ。しかし精神面では拓馬も似たようなものである。拓馬の姉はおっちょこちょいゆえに拓馬がその尻拭いをさせられ続け、その結果、拓馬はいやがおうにも長子的な自立精神がそだった。須坂も、どこか隙の多い姉をもっているのかもしれない。
「お姉さんのほうはまだ協力的でな、オレたちが須坂の見張りをしたことがバレても怒らないと思うんだ」
「じゃあなんだ、俺たちが須坂の夜歩きをストーキングするってことか?」
「そうだな」
三郎はあっさりと認める。自分らが不審者と同じことをやる、という側面を理解しているのかいないのか。
「須坂が移動するルートは決まっているから、一人ひとりが区間を担当して──」
「俺とお前だけで?」
「二人では手が足りん。ほかにも声をかけるつもりだ」
「それがいいな。俺らがそのストーカーにおそわれても、何人かでバラけていりゃ全滅はしなさそうだ」
三郎が眉をあげて「盲点だった」と言う。
「そうか、オレたちも襲撃の対象になるか」
「そりゃあな。俺らが須坂の仲間だなんて、他人にはわからない」
だから成石が被害に遭った、と拓馬は自分の推論を肯定した。
「みなが気絶の危険がある……そのうえで単独行動とくれば、女子の参加は厳禁だな」
「ああ、そっちはカネで解決できる被害じゃすまなくなるかもな」
二人は口外しづらい懸念を明言することなく意識を共有した。実際にそういった被害を受けたという地域の声は聞かない。とはいえ、現在進行形で不審者が夜道に跋扈《ばっこ》するいま、軽視はできない危険性だ。
三郎はノートをぱたんと閉じる。
「よし、くわしい作戦は人手があつまったときに話そう。それでいいか?」
「ああ、まあ……」
拓馬は正直乗り気ではない。だが盛り上がっている三郎に水を差せば、会話が長引く。それゆえあたりさわりなく答えた。
(須坂が夜に出かけなきゃいいんじゃ……)
と、考えるのはなんの事情も知らない外野だからだろう。聡明な女子が危険をかえりみずにすることだ。きっと彼女の敢行には理由がある。そして、それは三郎が須坂から聞かされるたぐいの内容ではなさそうだ。そのため、拓馬は疑問を疑問のままにしておいた。
本日最後の授業がおわったとたん、今朝に見舞い金をくれた友人が話しかけてきた。
(まだなんかあるのか……)
拓馬が三郎を見てみると、彼は授業でよく使うノートを持ってきている。
「近所に出没する不審者の話、していいか?」
「また俺らで退治しようってのか?」
「その前準備だ。ほら、シド先生との約束があるだろう?」
喧嘩の処分が決まるまでは問題を起こすな──シドはそう忠告した。三郎はその言い付けを守るつもりだ。彼は自己の正義に反しない範囲において、教師に従順な優等生である。
「オレとて数日は自粛しようかと思ったんだが……計画を伝えるだけならきっと平気だ」
「計画ぅ?」
拓馬は「聞きたくない」と言わんばかりに口をすぼめたり眉をうごかしたりして、拒絶の意思表示をした。ところが三郎はどういうプラス思考なのか「ふふふん」と笑う。
「案ずるな。作戦決行日は金曜の夜だ。それまでにオレたちの処遇は決定するだろう」
「前回は反省文を書かされたろ? 昨日の件で一回、その計画とやらでもう一回反省文を書いてもいいのかよ」
それでは見せかけの反省だ。生徒らの不遜な態度を知った教師陣は「反省文では罰に値しない」と判断しそうである。そうなれば作文が優しい処罰だったと思えるほどの罰が待ち受けているかもしれない。
拓馬が不安を掻きたてるのとは反対に、三郎は胸の前に握りこぶしをつくる。やる気に満ちた顔で、拳をぶるぶると震わせる。
「弱者をおびやかす悪の実態をあばくためだ。その程度の罰に屈してはならん!」
「反省文よりきっつい罰だったら?」
「そのときに考える!」
「学校を出てけと言われたら?」
退学は生徒にとって最悪の処罰である。校長は変人といえど温情のある大人ゆえに、校長ひとりの判断では下されにくい決断だ。しかし、権威ある教員は校長以外にもいる。校内の二番手である頭デッカチな教頭が、退学処分を最善だと主張したなら、あるうる未来だ。
「オレは出ていこう。だが拓馬たちは巻き添えをくわないよう、懇願する」
決然とした態度だ。そこに「そんなことが起きるはずがない」という楽観は無い。
「そこまでしてやることか?」
自己犠牲の精神を尽くす動機があるのか。拓馬には提案者の並々ならぬ気迫を感じた。
三郎が神妙にノートをめくりだした。無地の裏表紙と、ノートのタイトルが書かれた表表紙が見える。表のほうには大きく「極秘」の文字がマジック書きしてある。
「ずいぶん自己主張の強い『極秘』だな」
「些末な……話をすすめるぞ! オレが引き下がらん理由は、須坂だ」
須坂は男子とまともに口を利かない女子。暑苦しい性格の三郎とは接点がなさそうだが。
「え、あいつ男嫌いだろ。どういう仲だよ?」
「仲はよくない! 事情を聞けただけだ」
「どうやって?」
「連休中にオレはバイトをしていたんだ。ヤマダの提案でな。そのときに須坂と会った」
「俺の姉貴が通ってる店か?」
「ああ、その喫茶店だ」
ヤマダと拓馬の姉は同じ店で短時間の仕事をしている。ヤマダは勤めだしてから長い経験者だ。一方で拓馬の姉はまだ半年経たない新任者。姉はあまりに家事下手なので、その矯正代わりに就労している。拓馬の身内がはたらく店に、三郎もいたとは。
「どういう風の吹き回しだ?」
「ヤマダに『友だちに頼みごとをするのにも限界がある』と言われた。拓馬たちの善意に甘えるばかりではいけない、というわけだな」
「で、今朝の見舞い金か?」
「そうだ。事件がおさまるまで、オレたちが危険にぶつかっていくことは予想できていた。万一だれかが負傷したら……そのときの治療費を確保しようと思って、ヤマダのいる店で稼がせてもらったわけだ」
拓馬は謎がふたつ解けた。三郎が気前よく支払うお金の出所と、そのお金へのヤマダの反応がうすかった原因。もとよりヤマダは見舞い金の存在を認知していたのだ。朝に感じた疑問はそれですっきりした。しかし三郎が転校生の女子と接触した経緯はまだわからない。
がらがらと教室の引き戸が鳴る。三郎が教室の戸口を見た。拓馬も音の鳴った方向を見ると、そこに担任がいる。本摩は「いい報せが入ったぞ」と笑っている。
「お前たち、今回の反省文は無しだ」
「ほんとうに? オレたちの処分はそれでいいんですか」
三郎はおどろきと望外のよろこびを顔に出した。反対に本摩は渋い面構えをする。
「ああ、その代わりにシド先生が校長にコッテリしぼられたそうだ」
歓喜していた三郎が悲痛な面持ちに変わる。
「どうして……シド先生はオレたちを助けてくれたんですよ」
「生徒の監督の、度を超えたらしいな」
拓馬は「度を超えた」の意味することが、シドの行き過ぎた対応を指すのだと思った。
「そうせざるをえない相手だったんです」
三郎も同じ解釈をし、シドを擁護した。本摩は微量の不安をうかべながら拓馬を見る。
「仙谷がシド先生のしたことを好意的に見てるのはいい。だが、ほかの連中はどうだ? 肝を冷やしたんじゃないか」
本摩にとっては拓馬の反応がより平均点、常識的なもの、と思っているらしい。拓馬は無言でうなずいた。本摩はにこやかになる。
「これに懲りて、ムチャはしないことだ」
本摩は「命あっての物種だぞ」と言い残した。三郎は申し訳なさそうに拓馬に向き合う。
「シド先生にも謝礼をあげるべきだろうか?」
「いらねえと思うぞ。あの人は全部『仕事だから』で今回のことをすませようとしてる」
「むむ、そうなのか……?」
三郎が恩義に報いれないことを残念がる。そのなぐさみというわけではないが、拓馬は教師が必要とする物をひとつ提案する。
「あ、でもネクタイはいけるか」
「おお! そういえば先生のネクタイがダメになったな。ではネクタイの弁償を──」
「好みの色や柄があるだろうし、買うなら一回、先生に聞いてからがいいんじゃないか」
「そうだな! では『拓馬との話がおわったあとで』聞きにいく」
三郎は計画の発表をまだ続けるつもりだ。 拓馬は内心、三郎の関心がシドにむかえば彼の計画がうやむやにならないかと期待していた。しかしまがりなりにも三郎は才子だ。彼は自身の目的を見失っていない。ジモンならはぐらかせたのに、と拓馬はわずかばかりのくやしさが浮上した。
(ま、次やらかしても即退学はなさそうか)
新任教師が身代わりになったことにより、加速度的な罰則の強化は中断できた。これならあと一度くらい、三郎の趣味に付き合っても平気かと思えてきた。
「えーと、オレのバイト中、喫茶店に須坂がきたんだ。もちろん客でな」
三郎は本摩登場まえの会話を再開する。
「おかげでいろいろ聞けた。須坂が夜に駅へ行き、その帰りで倒れた人を見つけた、と」
シズカもそのように言っていた。その情報源は三郎なのだから当然である。
「そいつが成石だったんだよな」
三郎は目をかっと見開いた。だがすぐに元通りの顔になる。
「ヤマダに教えられたか?」
「シズカさんに聞いた。成石が襲われた話を伝えてみたら、調べてくれたんだよ」
三郎は「おお!」と感嘆した。彼もシズカのことは知っている。三郎の姉はシズカの同僚だ。そのつながりから三郎はシズカの仕事ぶりを聞いているらしい。だが異界に関することだけは、三郎は知らされていない。ゆえに三郎はシズカの功績を、彼自身の卓越した能力によるものと見做し、全幅の信頼を寄せている。
「それなら犯人の目星はついているのか?」
「そうかもしれない。だから俺らがうごくのはやめに──」
「それとこれはまたべつの話だ」
「なんでだよ? シズカさんにまかせりゃいいじゃねえか」
「せめて今週は付きあってくれ。須坂がこわがっているんだ」
「あいつがそんな弱音を?」
「いや、本当は須坂本人じゃないんだが……まあ近しい人だ」
三郎は拓馬が知らぬ第三者の詳細を明かさないまま、ノートのページをめくる。
「その人は、成石が被害にあったのを、タイミング次第では自分が襲われていたかもしれない……と思っている。だがもっと悪質なケースも考えられる。成石を襲った犯人が、須坂たちにつきまとっている可能性だ」
「須坂『たち』って、だれのことなんだ?」
「須坂の姉だ。姉がいることを須坂は秘密にしたいそうだから、ここだけの話だぞ」
「へえ、あいつにも姉貴がいるのか……」
拓馬は須坂のしっかりした雰囲気ゆえに、上の兄弟姉妹がいるとは思っていなかった。彼女の学内での素行や成績は平均以上でそつがなく、おまけに一人暮らしをしていると言う。精神的に自立した生徒だ。しかし精神面では拓馬も似たようなものである。拓馬の姉はおっちょこちょいゆえに拓馬がその尻拭いをさせられ続け、その結果、拓馬はいやがおうにも長子的な自立精神がそだった。須坂も、どこか隙の多い姉をもっているのかもしれない。
「お姉さんのほうはまだ協力的でな、オレたちが須坂の見張りをしたことがバレても怒らないと思うんだ」
「じゃあなんだ、俺たちが須坂の夜歩きをストーキングするってことか?」
「そうだな」
三郎はあっさりと認める。自分らが不審者と同じことをやる、という側面を理解しているのかいないのか。
「須坂が移動するルートは決まっているから、一人ひとりが区間を担当して──」
「俺とお前だけで?」
「二人では手が足りん。ほかにも声をかけるつもりだ」
「それがいいな。俺らがそのストーカーにおそわれても、何人かでバラけていりゃ全滅はしなさそうだ」
三郎が眉をあげて「盲点だった」と言う。
「そうか、オレたちも襲撃の対象になるか」
「そりゃあな。俺らが須坂の仲間だなんて、他人にはわからない」
だから成石が被害に遭った、と拓馬は自分の推論を肯定した。
「みなが気絶の危険がある……そのうえで単独行動とくれば、女子の参加は厳禁だな」
「ああ、そっちはカネで解決できる被害じゃすまなくなるかもな」
二人は口外しづらい懸念を明言することなく意識を共有した。実際にそういった被害を受けたという地域の声は聞かない。とはいえ、現在進行形で不審者が夜道に跋扈《ばっこ》するいま、軽視はできない危険性だ。
三郎はノートをぱたんと閉じる。
「よし、くわしい作戦は人手があつまったときに話そう。それでいいか?」
「ああ、まあ……」
拓馬は正直乗り気ではない。だが盛り上がっている三郎に水を差せば、会話が長引く。それゆえあたりさわりなく答えた。
(須坂が夜に出かけなきゃいいんじゃ……)
と、考えるのはなんの事情も知らない外野だからだろう。聡明な女子が危険をかえりみずにすることだ。きっと彼女の敢行には理由がある。そして、それは三郎が須坂から聞かされるたぐいの内容ではなさそうだ。そのため、拓馬は疑問を疑問のままにしておいた。