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2016年04月16日

第89回 自我主義






文●ツルシカズヒコ



 木村荘太「牽引」によれば、一九一三年(大正二年)六月三十日の夕方、辻の家を訪れた荘太に「私が辻です」と辻が名乗ったが、荘太はそれが野枝と共棲している男だとすぐには気づかなかった。

 荘太が尋ねた。

「伊藤さんおいでですか?」

「いません、どなたです?」

 辻がなんとも言えない表情をしているのを見て、荘太はハッとなり、名乗った。

「木村です」

「さ、どうぞお上がり下さい」
 
 部屋に上がった荘太が、すぐに尋ねた。

「野枝さんはどちらへお出でになりました?」

「わかりません」

「いつごろお出かけになりました?」

「今日、私は出かけていまして、その留守に行ったのです」

 荘太は野枝が自分のところに行ったに違いないと思い、気が急いた。

「あ、そうですか。一昨日、野枝さんから会いたいという手紙いただいたので、昨日と今日とお待ちするという返事を差し上げました。お出でにならないものですから、 それで電報を打ったのです」

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 気が急いている荘太に、辻が意外なことを言った。

「あなたの弟の荘八くんですが、僕が小学校の教師をしているころ、彼に英語の初歩を家庭教師したことがあるんです。妙なご縁ですな……」(「牽引」p38)

 荘太は野枝に下宿で待っていてもらうよう、女中に言いおいてきたことを伝え、すぐに帰ろうとした。

 荘太は無意識のうちに自分は辻を圧倒しているのを感じ、対等の力で迫って来ない人に敬意を払えないと思った。

 荘太は下宿に来ているにちがいない野枝のことを思い、一刻も早く下宿に戻りたかったが、辻がそれを引き止めた。


「それじゃあ。」といつて別れかけると、

「ちょつと。」と引き止めた。

 そしてその男は、机の上にあつた、罫紙に書きかけの大分ある書きものを手にとつて、

「これがこのことについて僕の気持をいま書いているものなんです。これ見て下さい。」

 といって私に渡した。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想_p236/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎_p192)


 「牽引」によれば、辻は机の上にあつた書きかけの原稿紙を荘太の前に出した。

 荘太が辻に宛てた手紙の返事として書いたものだった。

 それにはこう記されていた。


 御手紙拝見いたしました。

 私の心には今さまざまのものが湧き起つて居ります。

 なにから申し上てよいか解りません。

 私は先づあなたの御手紙が私のこれまで受取つたものの中で最も誠實なる人間の心を現はしてゐるものだといふことを感ぜずにはゐられません。

 而して私は今又改めて深く自己に対する省察の機を與へられたことを感謝いたします。

 若し私どもがあなたの御手紙によつて何等の激励をも与へられない様なものでありましたら如何でせう-私どもは又自己の生命の力をハッキリ感ずることが出来たのです。

 私はあなたを理解することが出来ると信じます。(勿論私の程度の範囲内に於て)

 而して 又あなたが私を理解して下さることを信じて居ります。

 あなたは私が初めからあなたを信じたといふことに就て感謝を表はしておいでです。

 しかしその私の信頼には人間の弱点が供つてゐたことを私は告白いたします。

 しかし私は努めてそれに打勝たうと試みました。

 御手紙は皆な気持よく拝見いたしました。

 殊に昨日御手紙の中に現はれた偉大なる信念(ここまで読むと僕は馬鹿々々しくなつた。今までの好意が全く消え失せた。僕はこのごろ實に屡々(しばしば)烈しく衆愚の言行に自身の愛を裏切られて苦しむ。今もまた新らしく僕はその事を感ぜずにゐられなかつた。でもとにかく僕は急いで終ひまで走り読みした。/この赤字の部分は荘太の感想※ツルシ註)に対しては無限の尊敬を払ひたいと思ひます。

 私の微かに認め得た光が忽然として全地に漲ぎり溢れた如く感ぜられました。

 愛他主義と自我主義との完全なる一致を信ずることの出来ないものは一生迷つて生さなければならないでせう。

 私もこれには随分と苦しめられました。

 且て幼稚な基督教徒でありました私は愛他主義の信者で御座いました。

 しかしその後私の愛他主義には多くの不純なる分子の混合せられてゐることを発見しました。

 過去の宗教を脱した私はやがて自我主義者になりました。

 勿論私は進みました。

 しかしその自我主義は徹底したものではありませんでした。

 ただ自我主義が愛他主義よりも更らに純であるといふ様なことを漠然と信じて居りました。

 けれども私の自我主義はいたる処に恐しい矛盾を感じてゐました。

 私は強ひてエゴイストを装ふてゐたのです。

 ですが又そう安々と二者の調和一致を信ずることも出来ませんでした。

 私は今出来得る丈あなたに私を御知らせしたいと思つて居ります。

 そうして私が如何位の程度迄あなたに接触することが出来るかを見たいと思ひます。

 私は今如何したら最もよく私を御知らせすることが出来るかと色々考へました末、クダ~~しい思想上の経歴や境遇を御話いたすより一層手取早く又明らかに自分といふものを見て頂くことが出来ると信じますので、昨年暫時野枝子と別れて居りました節、彼女に宛てて書きましたものから少々抜いて御目にかけることにいたしました。或は御迷惑かも知れませんが何卒御一読下さることを切に御願ひいたします。


(木村荘太「牽引」_p25~26/『生活』1913年8月号)





「昨年暫時野枝子と別れて居りました節、彼女に宛てて書きましたもの」とは、一九一二年夏から秋にかけて、野枝が自ら末松との離婚の話し合いのために今宿に帰郷した際に、辻が野枝に宛てた手紙のことであろう。

 その文面に「三十一日」「一日」という日づけがあるが、それは「八月三十一日」と「九月一日」のことだろうか。


 辻が野枝に宛てて書いた手紙から、抜粋した文章は以下である。


 人間は自分のほんとうの心持といふものを中々そのままに現はすことが出来ないものだ。

 現はす様なことを口にしながらやつぱり俺れを兎角いつわりたいものだ。

 私は汝に対する心持を今出来るだけ欺かずに書いてみたいと思ふ・・・若し過去のことを充(ママ) るならどうか真実のことを話して呉れ。

 そうすれば己も気がすむ・・・俺は汝に堅い決心を促がした時に、まづ俺がかなりにさらけ出されてゐるものを汝にみせて、俺はこんな男だ、こんな男でよければそれを充分承知の上で一緒に生活してくれ・・・俺は自分の全てをさらけ出してその上で俺を愛して呉れる様な女でなければ満足し得ないのである。

 俺はやはり理解といふことを求める。

 俺は改めていふ――今まで己の接した女の中で最もよく俺を理解したものは汝である。

 俺は先づこの点に於て感謝しなければならない。

 それから汝の方から云つても恐らく俺が一番よく汝を理解してやつた男なのかも知れない、と俺は思つてゐる。

 俺はだから先づ俺が最も敬愛し、眞に愛をそそぎ得ると信じた女に書いた手紙を汝に見せた。

 然し俺はその女から逆に理解を得なかつた。

 俺は強ひて求めたくなかつた。

 理解のない女を如何して愛し得やう。

 理解と信仰のない愛は虚偽の愛てある・・・


 (木村荘太「牽引」_p26/『生活』1913年8月号)





 辻が女に書いた手紙とは、御簾納(みその)キンに書いた手紙のことであろう。

 この手紙について、野枝はこう言及している。

「町子」は、野枝のことである。


 その手紙を町子が男の本箱の抽斗(ひきだし)に見出した時に、彼女は全身の血がみんな逆上することを感じながらドキ/\する胸をおさへた。

『あの女だ、あの女だ。』

 息をはづませながら彼女はそふ思つた。

 そして異常な興奮をもつてその表書を一寸(ちょっと)の間みつめてゐた。

 やがてすぐに非常な勢をもつて憎悪と嫉妬がこみ上げて来るのを感じた。

 彼女はもうそれを押へることが出来なかつた。

 直ぐに裂いて捨てたいほどに思つた。

 忌々(いまいま)しい見まい/\と思ふ半面にはどんな態度で男があの女に書いてゐるか矢つ張りどうしても見ないではゐられない様にも思つた。

 併しかし現在自分が愛してゐる男、自分ひとりのものだと思つてゐる男が他の女に愛を表す語をつらねた其の手紙を見るのは何となく不安でそして恐ろしいやうな苦しいやうな気がして、見まい/\とした。

 けれどもどうしても見ないではゐられなかつた。
 
 読んで行くうちにも彼女は色々な気持ちにさせられた。

 たつた一本の手紙だが、そしてそれを読み終るまでに十分とは懸らない僅かの間に彼女の心臓は痛ましい迄に虐待された。

 嫉妬、不安、憤怒、憎悪、あらゆる感情が露はに、あらしのやうな勢をもつて町子の身内を荒れまはつた。

 そしてそのうちにも自分に対するとはまるで違つた男の半面をまざ/\と見せつけられた。

 其処に対した、愚劣な、無智な女と、男を見た。

 狂奔する感情を制止する落付きをどうしても見出すことは出来なかつた。

 今はたゞ彼女はその感情の中に浸つて声をあげて、身をもだえて泣くより仕方がなかつた。

 彼女はまるで男が全く彼女から離れたやうに思ひ、そして男の持つた違つた世界を見た彼女はとりつく島もないやうな絶望の淵に沈んで行つた。

 漸く幾らかの落ちつきを見出すとやがて男に対するいろんな感情がだん/\うすれて行くのを不思議な気持ちでぢつと眺めた。

 やがてすべての憤怒、憎悪が女の方に漸次に昂たかぶつて来た。

 そして何とも云ひやうのない口惜しさと不愉快な重くるしさが押しよせて来た。

 それは明かにあの女に対する強烈な嫉妬だと云ふことは意識してゐた。

 併しその気持をおさへて何でもないやうにおちついてゐることは出来なかつた。

 それに男の何でもないやうな顔をしてゐるのが憎らしかつた。

 町子はもうその手紙をズタ/\に引きさいて男の顔に叩きつけてやりたかつた。

 たとへそれは日附けはかなり今と隔りがあるにしてもそれつきりであつたとは思へない、彼女が此処に来たときまではたしかに続いてゐたのだ。

 彼女はたしかにそれを知つてゐる、続いて起つた連想はかの女の頭をなぐるやうに強く何物かを思ひ起さした。

 男との関係がはじめから今までの長い/\シーンの連続の形に於て瞬間に彼女の眼前をよぎつて過ぎた。

 そしてその強く彼女を引きつけた処に尤(もっと)も彼女の不安なあるものが隠れてゐた。

 それは彼女を彼女の中にも隠れてゐて絶えずなやましてゐた疑惑の黒い塊であつた。

 機会を見出して塊はずん/\広がつて彼女の心上をすつかり覆つてしまつた。


(「惑ひ」/『青鞜』1914年4月号・4巻4号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p263~265/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p109~110)





 以下、辻が今宿に帰郷している野枝に宛てて書いた手紙からの抜粋した文章の続き。


 今日は朝から嫌な日だ。

 涼しい様な蒸し暑い様なそれで雲足が非常に早く如何してもあれ気味だ。

 俺は朝飯をすますとすぐと出かけた。

 行きたくない処へ行くのだから気が少しも進まない。

 實に今日は耐らない(ママ)気持の悪い日だ。

 かへりがけに雨に降られてこないだ一寸話して置いたヴァイオリン弾きの処で雨止をして午近くに戻つてきた。

 午後からも只だ仰向にひつくりかへつてゐると、身体がアチコチと痛んで足の筋が妙につる。

 そうして倦怠が節々にからみついてゐると見えて、俺は幾度か身体の向を変へてみた。

 それでも駄目だ。

 乱れた妄想が無暗に湧き起る。

 俺はとう~~また恐しく暗い気持を抱かねば ならない様になつた。

 夜になつてからは殊に喰入る様な淋しさがおそふてきて、俺はさなきだに(そうでなくとも※ツルシ註)汝の事を考へずにはゐられなかつた・・・さぞ切ない青ざめた日を迭つてゐることだらう。

 俺はだがこの間の手紙にはかなり強さうなことを書いたから幾分かあれで慰められてゐるだらうが、なんにしろ離れてゐては埒があかない。

 そう思ふともう我慢がしきれなくなる程、汝が恋しくなる。

 いつそ如何なつてもかまはないから二人で行くところまで行つてみやうかといふ様なことを考へる。

 突きつめた上で生きるとも死ぬともどつちかに方がつくことだらう。

  兎に角こんな風な生活をしてゐたら必ず生命が縮まるに相異ない・・・・・・(三十一日)



 とう~~暴風雨になつた。

 暁方眼が醒めると恐しい風の音と雨のしぶきが、入り交じつて聞えてくる。

 俺は一端起きてみたが身体に熱があつてけだるいのでまた床に入つた。

 ウ ト~~したかと思ふとその内おびやかされる様に眼が醒めた。

 郵便だつた。

 俺は思はず胸の鼓動を感じた。

 母と妹とはその時もう起きてゐた。

 俺は確かに汝からの手紙に相異ないと思つて、床の中で封を開く前の危倶を抱いた。

 俺は飯をすますと嬉しさと懐かしさと不安との入り混つた妙な心持で封を開いた。

 而して一気に読み終つた。

 読み終つた時、俺は非常な憤りを覚えた。

 習俗に対する強い反抗である。

 こんなことと知つたらオメ~~汝をかへすのではなかつた。

 實にばかげた徒労であつた。

 がしかしだ。

  俺等はかくの如き苦しみを忍ばなければならないといふことは、これによつて更に深く強く俺等が結び合されるのであると考へると、そこに云ふべかざる希望と歓喜とが湧き起つてくる。

 俺は徒らに感情に走るのではない。

 落付て考へての上である・・・あらゆる絶望と圧迫とを蒙りながら悶え苦しみ哭き――そうして愈々痛切なる夢に生きるのである。

 俺等は幸福だ。(一日)

 この二三日は實に耐らなく苦しい情調にゐる。

 私は自分がそれを充分に書き現すことの出来ないのをひたすら悲しむばかりだ・・・俺は朝から晩まで汝の事を考へてゐる。

 而してもうどうなつてもいいから遇ひたいと思ふ。

 それ以外にない。

 後はどうなつても只だ遇ふことが出来さへすればいい。

 話が破れたらすぐ出て来ると云つた。

 俺は早く破れてしまへばいいと思つてゐる。

 それにしても汝が無事に再び上京することが出来るだらうか、と考へるとそれがもう非常に不安な暗い苦しい気分を誘つてくる・・・ それに昨日などは又夕方から食ふ米がないと云つて母が心配し初めた、俺はもうどうでもなれと思つて黙つてゐた・・・俺は全く肝癪が起つてきた。

 こんな時、もし汝がもう少し弱い女で一緒に死んでくれと云つたら、俺は前後を考へて而して矢張落着て死に得るかも知れない・・・だが 又一方では妙に冷やかな理智が頭を擡げて俺を冷笑する。

 そうして感情の玩具になつて泣 いたりわめいたりしてゐるのを如何にも気の毒な風に見下してゐる・・・・。

 なんにしても俺は痛切に汝を求めてゐるのだ、到底空想で相抱いてゐると云つた丈では如何して満足し得やう・・・もし汝が変心して俺から離れてでも行く得(ママ)なことがあつたら、俺はもうその時はどんな痛ましい苦い~~杯を飲まなければならないであらう。

 そう考へてくるともうまるで意識といふものを失つてしまふ様だ・・・・俺はどうか今の様にいつまでも俺を愛してくれと汝に訴る。


(木村荘太「牽引」_p26~27/『生活』1913年8月号)


「牽引」(p27~28)によれば、ザッとだが、読み終えた荘太は、「お互いにアンダアスタンディングがゆき違うと困りますから」といふ辻の言葉をほとんど聞き流して戸外へ出た。





★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)







●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:13| 本文

第88回 アウグスト・ストリンドベリ






文●ツルシカズヒコ



 木村荘太「牽引」によれば、六月三十日、荘太はこの日の朝早く目が覚めてしまった。

 荘太は野枝を空しく待ち続けた。

 時計が昼の十二時を打った。

 いてもたってもいられなくなった荘太は、野枝が男に引き止められているさまや、急に過度の傷心のために身体を悪くして寝ているさまを想像した。

 荘太は外に飛び出し、後先を考えず、野枝に電報を打った。

「ケフゼヒキテクダサイ」

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 この日の朝、辻はいつものように出かけた。

 出かけ際、野枝はひとり取り残されるような気がして心細くなった。

 特に月曜日の朝が嫌だった。

 野枝が湯に行こうとして仕度をしていると、電報が来た。

 自分宛てだったのでびっくりした野枝が電報を裏返すと、「キムラ」とあった。

 なぜ電報なんか寄こしたんだろう、行こうか行くまいか……。

 電文を読み当惑してしまった野枝は、とにかく、湯に入って考えることにした。

 湯に入りながら野枝は考えた。

 自分さえ確かなら会っても大丈夫だろう……。

 湯から上がりすぐに帰宅して出かけた。





 昼に電報を出した荘太は、下宿に帰り原稿紙に文字を連ねた。

 荘太は自分が陥っている境遇と苦悩を書き連ねた。

 夕方になっても野枝がやって来る気配はない。

 静かに待っていられなくなった荘太は、出かけて野枝に会うことにした。

 もしそこに男がいたら、荘太はその男にも会う気になった。

 留守に伊藤という人が来たら、この手紙を渡して戻るまで待たせておいてくれと女中に言い置いて、荘太は下宿を出た。

 野枝は出がけに辻の眼鏡をかけた。

 崖を歩いていると眩暈がした野枝は、保持のところに駆け込んだ。

 保持は四時すぎに品川に行くという。

 それまで保持は近所に出かけた。

 保持の妹と野枝は横になり、野枝は枕を借りて少し寝た。

 四時ごろに帰って来るはずの保持は、なかなか帰って来なかった。

 野枝がいっそ会いに行かないことにしようかと思っていると、保持が帰って来た。

 ふたりは一緒に出かけた。

 神保町で保持と別れた野枝は、青山行きの電車に乗り見附上で降りた。

 このあたりに不案内な野枝だったが、なんとか荘太の下宿を探し当てることができた。





 女中に案内されて荘太の部屋に行くと、荘太は留守だった。

 別の女中が荘太の手紙を持ってきて野枝に渡した。


 私はあなたの処へ行きます。

 若しお出下すつたのなら誠に相済みませんが少々お待ちなすつて下さい。

 ふたりは大変な運命の途にゐるのですから必ずお待ち下さい。

 直ぐ帰ります。

 さうしてお話します。

 何でも本を御覧になつてゐて下さい。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p227/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p60~61)


 染井は番地が滅茶苦茶に飛んでいる。

 荘太は何度も行ったり来たりして、散々探しあぐねた末に、 ようやくそれらしい家の前へ出た。

 窓越しに外から見える机に座っている人が見えたので、尋ねてみた。

「このへんに辻さんとおっしゃる方は?」

「私が辻です」

 と、その人が言った。





 野枝は荘太の部屋にじっと座っていた。

 女中から渡された手紙を読んだ野枝は「大変な運命の途にゐるーー」とはなんだろうと思い、馬鹿にされているような気もした。

 わざわざ染井の家まで来て伝えたい大事なこととはなんだろう。

 何時ごろ出かけたのだろう。

 荘太の帰りは遅くなりそうだ、今日も義母を迎えに行けないだろう。

 いろいろなことが野枝の頭の中に浮かんだ。

 また眩暈がしそうな気がしてきた。

 机には原稿紙が取り散らかっていた。

 壁にはムンクの『アウグスト・ストリンドベリ』とゴッホの『自画像』が架けてあった。

 風がないので、野枝の襟元と額から汗がにじみ出てきた。

 三十分ばかり待ったが、荘太が帰って来る気配はなかった。

 そこに出ていたソニアの自伝を眺めながら、野枝は考えをめぐらせていた。

 わかりにくい染井の奥の辻の家を荘太は探し当てることができただろうか。

 荘太は辻と会っただろうか、会って話をしているだろうか、どんな話をしているだろうか……。


 木村氏が私に会ひたいといふ用事は何だらう。

 私はもう考へあぐんでしまつて、ボンヤリしてしまひました。

 何の為めに、知らない人の室にぢつと座つてゐるのか分らなくなつてしまひました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p228/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p61)





 このとき、野枝は十八歳、荘太は二十四歳である。

 らいてうは二十七歳だった。

「塩原事件」で世間を騒がせ、浅草区松葉町の海禅寺の住職・中原秀岳との「大人の交際」も体験していたらいてうは、ヒートアップしている野枝と荘太について、こう分析している。


 ……野枝さんは……木村氏に対する「淡い恋」といふものを是認してゐるが……野枝さんの動した感情の中には自(おのづ)から二つに区別すべきものがあると思ふ。

 その一つはフレンドシツプで今一つはラヴだ。

 しかもそのラヴ決して「淡い恋」などゝいはるべき性質のものではない。

 寧ろパツシヨネートラヴとでもいふべきものだつたと思ふ。

 このラヴは主としてあの当時の野枝さんの生理状態に原因する閃光的な殆ど内臓や筋肉にばかり係るものとして瞬間に消滅して仕舞つたが、一方は主として魂にかゝはる比較的長き生命のあるものとして尚今後も自然にまかせておけば生長発達すべきものだつたと思ふ。

 併し男は多くの場合その相手たる女の友情を理解しない。

 男性に共通な自惚は女性との親友関係を直に恋愛だと早合点させる。

 そして恋人として取扱はうと只管(ひたすら)にあせる。

 ……かういふ時、女はその男の案外自分を知つてくれなかつたといふことに対して或る腹立たしさと、軽侮の念を有つやうになる。

 そして……今迄の厚い友情までも害して仕舞ふやうな不幸に終る場合は随分あり勝ちなことだと思ふ。

 木村氏も亦実にかゝる男の一人であつた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p96~97)



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:39| 本文

第87回 ピアノラ






文●ツルシカズヒコ


 一九一三(大正二)年六月二十八日、午後四時ごろ、野枝はじっと座っていることができないので家を出た。

 音楽会の切符は三枚あったので、保持を誘ってみようかと思った。

 一枚は辻の妹の恒に渡し、後で青鞜社の事務所に来るように言った。

 歩くのさえ嫌なので駒込から山手線で巣鴨まで行った。

 五時すぎに保持と恒と三人で出かけた。

 会場には野枝たちの方が早く着いたので、辻とは一緒の席ではなかった。

 音楽を聞いてる間も、例のことが絶えず野枝の頭に浮かんでいた。

 いい曲がたくさんあったが、野枝はピアノラでは呆気ないような気がしたし、ざわざわしていて得意気に歩き回っている女たちの、軽薄な見え透いた衒気たっぷりの様子にうんざりした。

 野枝は来るんじゃなかったと思い、保持をわざわざ引っぱって来たのが気の毒になった。

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 会場を遅れて出ると、辻と辻の友達のSさんが待っていた。

 野枝はなるべく不快な思いを消そうとして、冗談を言ったりしてみんなで駿河台下の停留所まで来た。

 電車を待っている間に、野枝はふと思いついて辻に言ってみた。

「あのね、あなたに木村さんからお手紙が来ててよ」

「僕にかい、本当に? お見せ」

「ここにあるものですか、うちにありますよ」

「そうかい」

 辻はそれっきり何も言わなかった。

 Sさんと別れて四人で電車に乗った。

 野枝は前の入口に立っていた。

 涼しい風が寒いほど野枝の顔に当たった。

 乗客が減るにつれて、後ろから乗った辻が前の方に来た。

 野枝は辻の顔を見ると不愉快な思いが湧き上がってきた。

 席がすいてきても、野枝は辻と並んで座ることができなかった。

 巣鴨で降りて真っ暗な中を、岩崎の塀にそったぼこぼこした道を歩いた。

 恒がいなかったら、野枝は泣き出したかもしれなかった。

 恒が急いで歩けないことを知っていながら、急いで歩かねば堪えられないほど野枝は苦しくなった。

 家に帰り着いても、野枝は自分が不愉快になっているから辻も不快なのだと充分承知しながらも、どうしても気をとり直すことができなかった。

 辻もおもしろくなさそうな顔をしていた。

 野枝は大急ぎで床の中に入ったが眠れなかった。

 辻は手紙を読み終えて、何かぐずぐず書くか読むかしているようだった。





  暫くしてTは、

「お前は私に見せない手紙を木村さんに出したね」と詰るやうに云ひました。

「えゝ」

「何故僕に見せない、どんな事を書いたんだ」

「だつてあのほらあなたに見せた手紙ねあれを出すときに、少し原稿紙に書き添えて出したの、だから、あなたに見せるひまがなかつたんです」

「何書いたんだい」

「別に何も書きませんわ、なんだか忘れてしまつたわ」

「自分の書いた手紙を忘れる奴があるもんか」

「だつて忘れたんですもの本当に」

「その他にはもう書かないかい」

「えゝ、書かないわ」

「本当かい」

「えゝ、本当」

「さう」

「書いてよ、もう一つ」

「嘘だろう」

「嘘じやないわ」

「本当かい」

「えゝ」

「何書いたの」

「何にも書かない」

「何にも書かないつてあるもんか」

「本当云へばね、嘘なの」

「何だ馬鹿な」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p221~223/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p57~59)





 野枝はとうとう誤魔化した。

 白状すればよかったと思ったが、原稿紙に書いた手紙はなんのために書いたのか、すっかり野枝は忘れていた。

 別にたいしたことは書かなかったと思い、眠ってしまった。

 らいてうは、このあたりの野枝を手厳しく批判している。


 私は無意識な、無責任な抑へ処のない在来の所謂「女」に対するやうなたよりなさを感じた。

 女の心理に元来自分の言行に対して責任を負ふことの出来ぬものなら、そしてそれを左程苦痛としないやうに出来てゐるものなら、しかもそれが女の弱味であり、武器であるといふならそれも仕方あるまいけれど。

 かうした動じ易い、或パツシヨンの中に包まれて前後を忘れて仕舞ふ女の心理についてあまり多くの経験を有たぬ男なら、あの手紙を見て、自分の方へ女が投じて来たものと早合点するに無理もない。

 さうでなくともかういふ場合は男に共通な自惚が可成り手伝ふものだから。

 誤解は誤解に違ひないが、咎めることは出来ない誤解だ。

 殊に木村氏の如き性急な、自己の外、落付いて他を見る余裕のない程心の張り詰めた男に於ては猶更さうだ。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p93)





 一九一三年(大正二年)六月二十九日は日曜日だった。

 野枝は体調がよくなかったので、朝から横になっていた。

 辻と野枝が交わした手紙を入れた袋を野枝が持ち出すと、辻は嫌がって片づけろ片づけろと言っていたが、木村荘太との一件が起きてから、辻はその袋を持ち出して拾い読みしたりしている。

 野枝はそれをなんとなくうれしく、勝ち誇ったような気持ちで眺めていた。

 午前中に人が来た。

 義母はその人のところに出かけているらしい。

 辻と野枝が追い出したかのような口吻だった。

 ひと月ほど、辻の母・美津は家を出て行方がわからなくなっていた。

 その人は、老人の旧いコンベンショナルな頭で判断したことを並べ立てて帰って行った。

 野枝は腹立たしさよりも先に可笑しくなってしまった。

 恒とふたりで夜、美津を迎えに行くことにして、午後から野枝と辻はふたりが交わした手紙を日付順にそろえた。





 野枝は荘太から手紙が来るのが恐くもあり、待ち遠しくもあった。

 手紙は来なかった。

 荘太がもう会う必要がないと判断したなら、好都合だと野枝は思った。

 夕方、野枝が義母を迎えに行こうとしていると、保持と彼女の妹が訪れて康楽園のダリアを見に行こうと誘われた。

 義母を迎えに行くのは翌日にして、野枝と辻たちが出かけようとしていると、昨夜の音楽会で一緒になったSさんが来た。

 みんなで家を出た。

 時間が遅かったので康楽園には入れなかった。

 野枝たちは「ちまき」に入った。

 その店はいつか野枝がらいてうや田村俊子、岩野清子と来たことのある店だった。

 それから野枝たちは染井に帰って、保持たちを送りながら巣鴨まで行き、保持のところでしばらく遊んだ。

 保持の家を出て巣鴨から山手線に乗り、駒込でSさんと別れ、野枝と辻は暗い道を歩いて帰宅した。

 荘太はこの日の夕方、福士幸次郎のところから下宿に帰り、野枝が来るのを待ち続けた。

 不安に苦しみながら、荘太はさらにいっそう自分が野枝に牽かれていくのを感じ出した。





★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第86回 アルトルイズム






文●ツルシカズヒコ


 一九一三(大正二)年六月二十八日の朝、辻はその日の夕方に開かれる南盟倶楽部の音楽会に来るようにと、切符を置いて出かけた。

 野枝は落ちつかない気持ちで部屋の掃除をしたり、そこらの書物を引っ張り出したりしていると、思いがけなく木村荘太からの手紙が来た。

「一度お会ひしたい」と書いて昨日、投函した手紙の返事にしては早いなと思いながら野枝は開封した。

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 ……ある尊敬する、友達に宛ててかういふ葉がきを書きました。

「恋が終つた。ロストに終つた。この数日間僕は随分よく生きた。毎日手紙を書きつづけた。それで今日その返事が来た。その返事で以て僕の運命が定まつた。がしかし僕は大きなものを得た。僕は女の真実を得た。僕はちつとも今苦しくはない。といふのは嘘であるかも知れない。苦しい、苦しい。 けれども僕には、その苦しさを蔽ふ力と明るさがある。……」

 今これを書いてゐる時、窓の外には真黒な八ツ手の葉の上を風が渡つて、その風が私を蘇らすやうにして頬に触れます。

 さうです。

 私は蘇へる思ひです。

 あなたと、あなたの方とそれから私と、この三人の関係が今私にはハッキリと解るのです。

 今の私の気持は前便の手紙を書いた私とはかなり違つてゐます。

 私のあなたに懐いたラヴはもう消えました。

 この数日間あはたゞしい激越な短命な生き方をしたラヴはもう終りました。

 ……私はアルトルイズムとイゴイズムとが完全に一致する事を信じてゐる一人です。

 ……さういふ思想が世界の基督以来の最大な思想であるのを信じようとする一人です。

 この信念が今私には自身のラヴを終らしめよと命ずるのです。

 ラヴからかう云ふ友情へ私の心はこの数時間のうちに至極自然な推移をしました。

 ……それは不自然なセルフ、サクリファイスのためでもなんでもありません。

 少しもフオオスド(forced=強制/筆者註)されたものではありません。

 あなたの方に対する手紙を同封します。

 それには凡ての経過をあなたがその方に御話し下すつた事を予想した上で書きます。

 ではこれで失礼します。              

 二十六日夜半


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p212~216/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p53~55)





 荘太は辻宛てに同封した手紙に、こう書いた。


 拝啓 未知の私からして、あなたにこの度の一切の事をお詫びを申し上げます。

 ……さうしてあなたが最初から私を信じて居て下すつた事を此上なく感謝致します。

 今私には私(ひそ)かにあなたの信認に背かなかつたと云ふだけの自信があります。

 野枝さんと私とはこの数日間自由な信実な接触を致しました。

 さうしてよくお互いの境界をすつかり領解し合ひました。

 ……私はシンシアリティを自己の最大の宝にしたく思つて居ります。

 いつかあなたと自然にお会ひする時が来るかも知れません。

 私はその時少しも蔭を伴はずしてお会ひが出来る事を期します。

 ほんとうにあなたには私は非常な感謝を致します。

 六月廿六日夜


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p216~217/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p55)





 野枝は荘太が本当に尊敬すべき真率な人格者であり、事件の幕切れが非常に心地よいものに思えた。

 野枝の心は明るく晴れかかってきたが、黒い小さなかたまりが浮かんできた。

 「私はあなたにどうしてももう一度お会ひしたいと思ひます」と書いて出した昨日の手紙である。

 もう荘太に会う必要はないから、それを伝えようと野枝はペンを執った。

 しかし、あの手紙は荘太の平静な心を翻してしまったかもしれない、大急ぎでその取り消しを書かねばならない、手紙はもう着いているだろうか、もう手遅れかもしれない……。

 焦った野枝の頭は混乱し、ペンは動かなくなった。

 野枝は返事を待って弁明し、辻にもそのときに説明することにした。

 義母の美津や義妹の恒が昼寝している間も、野枝は机の前に立ったり座ったりして落ちつかなかった。

 辻のあのたまらない暗い顔が浮かんできて涙を流した。





 荘太の「牽引」によればこの日、六月二十八日、荘太は牛込の千家元麿の家で昼ごろ目を覚ました。

 前日の二十七日、荘太は千家の家に行き、岸田劉生岸田辰彌兄弟などがいたので徹夜で話し込んだ。

 荘太は自分がラブアフェアの渦中にいることをみんなに話した。

 荘太は、千家の家でも野枝に手紙を書いた。


 自分は前便の手紙で尚いひ洩らした事があるのを感じてゐる。

 そして自分はある責任を覚えつつあなたにその事を話したく思つてゐる。

 それはあなたの幸福に更に資さうとするためだ。

 就いては至急御都合で今一度御会ひしたい。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)


 という旨を書いた。


 夜、手紙を投函せずに下宿に帰ると、野枝からの手紙が来ていた。

 女中に聞くと昼ごろ届いたという。

 荘太は中味はともかく、野枝から手紙が来たことがうれしかった。

 一気に目を通すと、荘太の心は跳ね返るように弾んだ。

 これは野枝からのまぎれもない恋文だと思った。





 荘太は一昨日に受け取った二通の手紙を読み返してみた。

 原稿紙にペンで書かれた「二十五日夜九時」の手紙には「私は心からあなたを愛します。本当に、本当に心から」とあり、墨文字で書かれた「六月二十四日」の手紙には「親しいお友達として御交りして頂き度いと思ひます」とある。

 荘太はここで自分が勘違いしていたことに気づいた。

 荘太は「二十五日夜九時」の手紙を最初に読み、それから「六月二十四日」の手紙を読んだ。

 日付けが書いてあるから間違えようもないのだが、興奮していた荘太は野枝の最後の答えが「六月二十四日」のものと思い込んでいたのである。

 そして三通の手紙の内容を日付けの順番に添って読み返した荘太は、「あなたと離れて行く事が非常に哀しく思はれます」という野枝をこのままにしておいていいのかと思った瞬間、自分の恋も強烈に盛り返すのをひしひしと感じた。

 荘太にはひとの女を取ったり、ひとの女を自分に引き寄せようという興味はなかったが、荘太自身が心を寄せその心を寄せる男の価値を女も感じて向こうから身を寄せてくるならば迎えようと思った。
 
 この結合を妨げるものは何もないはずだ、同棲している男にだってーー荘太はそう考えた。

 荘太はまだ投函していない手紙の余白にこう書き加えた。





 今御手紙を拝しました。

 御出で下さい。

 御待ちします。

 来なければいけません。

 あなたはほんとに生きられるのです。

 どうしても来なければいけません。

 必らず必らず。

 恐れてはいけません。

 僕はあなたを生かします、明二十九日夜分から三十日の夕方までは僕は必ず在宅します。

 是非来なければいけないのです。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)





 荘太は下宿の道筋の図を書き添え、家を出て投函した。

 そして築地行きの電車に乗った。

 電車の中で荘太は野枝からの手紙の消印を調べてみた。

 二十八日午前八時と十時の間に巣鴨を出て、麹町へは十時と十二時の間に着いている。

 荘太が野枝と辻宛てに書いた手紙を投函したのは二十七日の昼少し過ぎだった。

 自分の書いたすべての手紙を野枝は読んいるはずだと、荘太は思った。

 荘太が黒髪橋の先の福士幸次郎の家へ着いたのはもうだいぶ遅くなってからだった。

 荘太は福士にもまた一切のことを話した。





★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)






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2016年04月15日

第85回 木村様






文●ツルシカズヒコ


 一九一三(大正二)年六月二十七日の朝、野枝が目覚めて一番最初に頭に浮かんだのは、そろそろ来るだろう荘太からの手紙だった。

 締めつけられるような苦しい気持ちで、床の中から出た。

 辻が出かけて二十分とたたないうちに、その手紙が投げ込まれた。

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 御手紙只今拝見しました。

 元より予想してゐた事です。

 併し何にも悪い事はありません。

 あなたにも私にもちつとも悪い事はありません。

 あなたが過日の会合の日にあの事を話さなかつたのが悪かつたと言つて御自身を責められるなら、私も同じく先づ第一にその事を伺はなかつた自分をもまた責めなければなりません。

(前便小林さんのゐた事が悪かつたと書いたのはその事です)

 私は自らこの事を自分自身に責めません。

 あなたも御自身に、どうか御責めにならずに下さい。

 恐らくこの事のために私は打撃を受けるでせう。

 今もう既に受けてゐます。

 けれども私は育ちます。

 心に涙を一ぱいためて育ちます。

 私はあなたを激動させて済みませんでした。

 けれど云ひます。

 私は今自分の取る行動は凡て肯定しやうとします。

 大胆に肯定します。

 自分の為めによいのは勿論他人のためにもまた善い事になるのを大胆に信じます。

 あなたは参つてはいけません。

 ぐん/″\進まねばいけません。

 あなたが私の手紙をその方にお見せ下すつたのを私は非常に喜びます。

 どうかその後の一切の経過もすつかりお話しなすつて下さい。

 私のあなたに対する愛は更にこの後育つか途中で枯れるか、それとも他の愛に処をゆづつて退くか何とも自分には今解りません。

 御手紙には友達として云々とありましたけれど私は自分が今のこの心の激動をたゝえたままにあなたとその方に御会ひする事は少くとも御互ひの幸福に資する道ではないように思ひますから暫く離れて居やうと思ひます。

 若しも静かに幸福に鼎座してお会ひが出来るようになつたら無論喜んで進んでその事をお願ひしようと思ひます。

 若しも此の上あなたに御会ひして見て私のラヴが消し得ず助長するやうになつたら大変です。

 この事はどうぞ誤解をなさらずに下さい。

 私は今その方に非常にいゝ感じを持つてゐます。

 もう後はたゞ自分自身の事のみで何もあなたにお話しするべき事は無いやうに思ひます。

 若しも今あなたの心に少しでも傷がついたらその傷を癒す力はその方の手中にあります。

 あなたの幸福が其処にあります。

 あなたの幸福を祈ります。

−−廿六日午後お手紙を拝見してすぐ−−


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p205~207/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p49~50)





 読み終えた野枝は、まあよかったと思わずにはいられなかった。

 そして、やはり自分にも荘太に対する恋があったかもしれない、いやきっとあったのだと思うと、野枝は情けない気がした。

 このまま別れるのが最上の方法であると頭ではわかっているが、野枝はどうしてももう一度会って、自分自身の得心のいく解決をつけたいと思った。

 二十三日に荘太に会ってからの動揺を思うと、野枝は腹立たしいような馬鹿らしいような気がした。

 荘太という男はなんという独り合点なんだろうとも思えてきた。

 しかし、動揺しているということは、自分にも弱いところがあるからだと誰かに指摘されるような気もする。

 野枝は苦しくなって、いきなり筆を執って書き始めた。





 昨日文祥堂からあの手紙を出しましてから私は一寸の間も静かな落ち附いた気持でゐる事が出来ませんでした。

 いま拝見しました手紙をどんな恐ろしい不安に駆られて待ちましたでせう。

 木村様、私はもうあれ以上に申あぐる何物をも持ちません。

 この手紙を拝見しては何にも申あげられません、けれども私は何だかたゞだまつてゐられないやうな気が致します、けれども私は今何を申あげやうとしてゐるのでせう自分でも何だか分りません、御許し下さいまし。

 私はこのまゝあなたと離れて行く事が非常に哀しく思はれます。

 私はあなたにおあいしてからすつかり平静を破られてしまひました。

 私はいま一人でぢつとしてゐられません。

 私はあなたにどうしてももう一度お会ひしたいと思ひます。

 激した私の今の心は何にもお話なんか出来ないかもしれませんけれどもどうしてもお目に懸り度く思ひます。

 でもそれがあなたに更らに打撃を加へるもので御座いましたらあきらめて自然の機会をまちます。

 あゝ私は今あなたに何を申あげやうとするのでせう。

 私は自分が分らなくなりました。

 矢張り私が悪かつたのです。

 本当に何卒お許し下さいまし。

 昨日麹町までまゐりましたからお目に懸り度いと思ひましたけれどもあの辺は不案内でちつとも分りません−−それに丁度あの手紙がお手許に届いたと思はれる時でしたから私は直ぐにかへつてまゐりました。

 何だかちつとも落ちつけませんので何を書いてゐるのやら自分でも分りません。

 何卒よろしく御推読下さいまし、私はもう苦しくてたまりません、もしもう一度お目にかかる事が出来れば少しはしづめる事が出来るかと思ひます。

 乱筆御許し下さいまし。

 −−廿七日−−


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p208~210/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p51~52)





 書いてしまうと、野枝は急いで封筒の中に入れてすぐに投函した。

 お昼のご飯まで、野枝は自分の気持ちが何だかわからなかった。

 お昼をたべてから、横になって四時ごろまで眠った。

 目が覚めると、野枝は先刻書いた手紙を辻に見せるべきだったと思い、辻の気に障らないように話すにはどうしたらよいかを思案した。

 一昨日に書いた二通めの返事も見せていないから、そのことも話さなければならない……辻はきっと自分を責めるだろう……野枝はたいへんな罪を犯してしまったような気持ちになった。

 六時ごろ辻が帰ってきた。

 野枝は荘太からの手紙を辻に見せた。

 辻がそれを読み終えてから、返事を出した話をしようと思ったが、いざ口に出そうとすると胸がドキッと詰まってしまった。

 何を書いたと訊かれてもちょっと言えないし、ああ見せてからにすればよかった……野枝はいく度もそう思ううちに機会を失した。

 仕方がないから、あの手紙の返事が来てから話すことにして野枝は自分を納得させた。





★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)






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第84回 ドストエフスキイ






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年六月二十六日、その日の朝、野枝は疲れていたのでかなり遅く目を覚ました。

 野枝はこの日もまた校正かと思うとウンザリした。

 しかし、今朝は手紙が来ていないのでのびのびとしたような気持ちになり、辻に昨日、岩野清子と築地や銀座を歩いたことなどを話した。

 野枝は昨日と一昨日に書いた手紙を入れた封筒を持って出て、それをポストに入れた。

 野枝は苦しい手紙を書いたことが遠い遠いことのように思われ、書いた内容ももうはっきり覚えてはいなかった。

 このあたりの野枝のことを、らいてうはこう批判している。

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 ……「動揺」の中の野枝さんは只無暗に激動して、騒ぎ立てゝゐる野枝さん丈で、そこにはさして深酷な苦悶も見えなければ、根本的な思索の跡もない。

 果たせるかな野枝さんはその手紙を書き終ると出来る丈考へまいとして眠て仕舞つた。

 そして翌日目覚めた時はもうそんなことは殆ど忘れて只木村氏から手紙の来てゐないのでのび/\としたやうな気持で、T氏と平気で話などしてゐた。

 のみならずそれを投函する時はもう何を書いたことか自分にも分らない程だつた。

 しかも他日その手紙について尋ねられた時は「何を書いたか覚えがない。」と当然のことのやうに答へた丈で、その無責任を自から咎めるやうな心は左程動かなかつた。

 忽ちかつと逆せ上るかい(ママ)思ふと、あとはケロリとして「私の知つたこぢやない」といつたやうな処や、「あゝもういやなこつた、疲れて仕舞つた」といつてポカンとしてゐるといつたやうな処が少しもなくない(ママ)。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p91~92)





 野枝が文祥堂に入ると、保持が一階で電話をかけていた。

 野枝はホッとして保持の電話が終わるのを待って、一緒に二階に上がった。

 野枝は少し残っていた前日の校正をすませると、自分が書いた手紙が先方に届いたときのことを考えた。

 あんなに激しいことを書いた自分は、いったいどうしたんだろうと思った。

 辻にとっても快い内容ではないような気がして、なんだか急に不安になってきた。

 その日の校正は早く片づいたので、野枝は哥津と一緒に文祥堂を出た。

 野枝は不安をかき消すため、いっそ荘太のところに行って直接解決しようかとも思ったがやめて、哥津の家に行った。

 哥津の家で哥津の父、小林清親の絵を見せてもらったり、清親の話を聞いている間、野枝の不安は消えていた。

 日が暮れたころ、野枝と哥津はふたりで神楽坂の縁日に行き、そこから野枝は電車で帰宅した。





 まさか今日は荘太からの手紙は来ていないだろうと思っていたが、先に帰宅していた辻から荘太の手紙を渡され、野枝はまあよく書く人だと思った。

 辻と離ればなれになっていた昨年の夏から秋にかけて、野枝は書かずにはいられなくて辻に毎日のように手紙を書いた。

 辻の返事が少ないと恨んだことを野枝は思い出し、荘太に対してすまないような気がした。


 今は十二時を過ぎました。

 私は対象を求めてゐました。

 自分の愛を語り得る異性の対象を求めてゐました。

 併し私は容易(たやす)く誰れにでも自分を語り自分の愛を濺(そそ)ぎ度くないと思つてゐました。

 私は自分の貴い孤独をも出来るだけ尊重したいと思つてゐました。

 その私です。

 今あなたに宛てゝこの手紙を書いてゐるものはその私です。

 若しもあなたと僕との関係がオオル、オア、ナツシングのものだとすれば私は非常に淋しく思ひます。

 今日私にはその離れる方の予感が多いのです。

 コワレフスキイの自伝の中にソニアの姉がドストエフスキイの愛を退ける処があります。

 私はふとその処をば今朝読みました。

 そのドストエフスキイの言葉にかういふ言葉 があります。

 “Anna Ivanovna, don’t you understand that I loved you from the first moment I saw you, nay, before I saw you, when I read your letters? 

 I love you not as a friend-no, passionately, with all my heartーー”

 私は今可なり先日お会ひした時の話がはぐれてゐた事を感じます。

 私の為めには小林さんの傍にゐた事が悪かつたのてす。

 あなたは随分よく私に解りました。

 けれども私はあなたに何を語つたでせう。

 私があなたに語り度いのは、直接あなたに御伝へしたいのは霊魂です。

 自分の霊魂の言葉です。

 六月廿五日夜半


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p202~204/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p48~49)





 読み終わると、野枝は何だか恐ろしくなった。

 これほどまでに鋭敏に、荘太の神経が自分の上に働いているかと思うと、ぞっとした。

 野枝は思わず辻の傍らにすり寄って息をつまらせた。

 野枝は最初に荘太に会ったときに、何も感じることができなかったことが不思議だった。

 自分が鈍なのか、荘太になんの期待もしていなかったからなのか……。

 野枝は床についてから、一番はじめからの自分の気持ちとその変化を考えてみた。

 荘太がドストエフスキーの言葉として書いた英文の部分を、ちなみに野上弥生子はこう和訳している。


 「アンナ・イヴァーノフナ、あなたは私があなたに逢った瞬間からあなたを愛したのが、否逢わない前から、あなたの手紙を見た時から愛したのがわからないのですか。

 私は友だちとしてではなく、夢中に、私の全心をもって愛するのです。」


(野上弥生子『ソーニャ・コヴァレフスカヤーー自伝と追想』・岩波文庫_p132/『野上彌生子全集 第二期第十八巻』・岩波書店_p178)





 この日の午後、荘太は野枝からの手紙を受け取った。

 分厚い封書だった。

 封を切ると、ペンで原稿紙に書いてあるのと厚く重なる数枚の半紙にいっぱい墨で書いてあるのと、手紙が二通入っていた。

 読み終えた荘太は自分のとるべき態度を考えた。

 野枝にはすでに愛する男がいるが、会ったときに彼女はそれを言わなかった。

 荘太はここに問題の核心があると思ったが、ふたりだけで会っていれば、そんなことも起きなかっただろうとも思った。

 しかし、野枝がそれを口にしなかったのは、自分にとってあながち不快なことばかりではないかもしれないとも、荘太は考えた。

 手紙で友達としてお付き合いしたいと言ってきているように、最初から突っぱねたくないという配慮とも考えられる。

 荘太は野枝の長い手紙の本気な書き方に好感を持ち、それは自分に信頼感を持っている証でもあると思った。

 男が荘太の書いたものを知っていて、その男が野枝に会うように勧めたことにも好感を覚えた。

 荘太は自分の愛は野枝に通じているし、野枝も荘太の愛に酬いてくれているが、三人にとっての最上策は自分が身を引くことだと結論づけた。




ソフィア・コワレフスカヤとフョードル・ドストエフスキー






★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★野上弥生子『ソーニャ・コヴァレフスカヤーー自伝と追想』(岩波文庫・1刷=1933年6月25日・14刷=1978年8月16日)

★『野上彌生子全集 第二期第十八巻』(岩波書店・1987年2月6日)




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第83回 動揺






文●ツルシカズヒコ


 野枝がようやくの思いで染井の家に帰り着き部屋に入ると、机の上にまた荘太からの手紙が乗っていた。

 息が詰まりそうなので、横になり目を瞑ったままじっとしていた。

 二十分もたってやっとの思いで手紙を開いた。


 今日私は少し苦しみ始めました。

 よく/\反省すれば僕の心の中には強くあなたを得たいといふ願ひが潜んでゐるのを知つたからなのです。

 僕はこの今の自分の若しみを甘受します。

 苦しくつても少しも暗くはありません。

 僕ははじめからしてあなたを愛しろと何かに命ぜられてゐるやうな気がします。

 若しかして先々に僕にあなたの愛が得られる日があれば、さればあなたの持つてゐられるいいもののチヤアムがたゞにあなたにのみでなく僕の為めにもいゝものになつて成長すると信じてゐるのです。

 その牽引は神秘です。

 僕は若しあなたと僕と互ひに愛し得る運命に作られてゐるものだとすれば、この僕の愛がまたあなたをも生かす力を有する事を疑ひません。

 若しさうでなく僕のみひとりあなたを愛して行かねばならない運命だとすれば僕にはそれでもやはりいゝのです。

 僕があなたに注いでゐる愛はたゞ 僕ひとりのみをよく生かします。

 昨日はからず大分前から心懸けてゐた絶版の『ソオニア、コワレフスキイ』の自伝が手に這入(はい)りました。

 若しもあなたがまだこの本をお読みになつてゐなかつたらば私は自分のこの喜びをあなたにもお分ちしたく思ひます。 

 二十五日朝


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p195~197/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p44~45)

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 左の手でおさえている額のあたり、指の下あたりから恐ろしい激しい影が動いて、疲れた頭がきしむように痛み出した。

 嵐のように狂った感情を強いて鎮めるでもなく、野枝は夢中にペンを執って原稿紙に書いた。


 昨日一日 私は午前に書いた御返事を持つたまま苦しみました。

 私はまた返事を持つて文祥堂に出掛けました。

 あの二階で何かもつと書いてからと思ひまして――でも何にも書けませんでした。

 私の頭はあなたの事で一ぱいになつて居りました。

 帰りますと机の上にあなたの御手紙が待つてゐました。

 私はもうどうしていいか分りません。

 私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます。

 こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます。

 けれども私は本当に、それと同時に心からおわびしなければなりません。

 私の一昨日の態度――あなたに対する――それの本当に鮮明でなかつた事をおわびします。

 私は昨朝の手紙を書きますとき、たゞあはてゝ居りました。

 あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう。

 私は心からあなたを愛します。

 本当に、本当に心から――然し私は自分を偽り度くは御座いません。

 また同時に他人をも欺き度くはないのです。

 苦しい心をおさへてあれだけ書きました。

 もう私には、何にも書けません。

 すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します。 

 二十五日夜九時


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p198~199/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p45~46)





 野枝は読み返す苦しさに堪えられないので、昨日書いた手紙と一緒にして封筒に入れ封を閉じた。

 平静を著しく逸した手紙だったが、野枝の気持ちがそのまま出ている文面だった。

 前にも後にも荘太に対して烈しい熱情を持ったのは、この瞬間だけだった。

 もし辻が自分の意識に現れたら、こんな手紙はとても書けなかっただろうと思った。

 野枝はすぐに臥せった。

 何も考えたくなかった。

 一時間ばかりはどうしても目を瞑れなかったが、それでも何時のまにか眠りに落ちた。





「私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます」

「こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます」

「あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう」

「私は心からあなたを愛します」

「本当に、本当に心から」

「すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します」

 といった文面に注目したらいてうは、野枝をこう批評している。


 此手紙に於て私は野枝さんの心の働き方のいかにも或意味で女性的なのに驚いた。

 そして或可愛らしさを感ずると同時に余りに無自覚だつた態度を咎めねばならない。

 まだ年齢が若いと云ふことも考へてやらねばなるまい、又妊娠中の女の生理状態や心理状態も考へてやらねばなるまい、が併し……苟しくも自覚した女なら、私はもうどうしていゝか分りませんだの、自分自身のことを判断してくれの、解決してくれのと頼んだり、訴へたりするやうなことは自分に対して恥かしくて出来ない筈だと思ふ。

 日頃の野枝さんにも似合はぬことだ。

 私はかういふ点に於てなほ野枝さんの中に男の愛の陰に、その力の下に蔽はれて生きやうとするコンヴエンシヨナルな女の面影の残つてゐるのを見る。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p90~91)





 性科学者の小倉清三郎は、野枝の動揺はこの六月二十五日の夜に極点に達したとして、ハヴロック・エリスなど学者の研究に照らして、検証を試みている。

 小倉によれば、女は物理的刺激に対しても心的刺激に対しても、反応が男よりも早い。

 こういう反応のことを感動というが、女は男よりも感動し易く、それは女が男より情的であることを示している。

 情は脳の現象ではなく、内臓血管及び筋肉に土台を有する現象である。

 女が男よりも涙を流し易いのも、笑い易いのも、女が男より感動し易いからである。

 野枝にもこの傾向が著しく表われている。

 腹立ち易いのも女に多い。

 別けても月経中には、この傾向が著しい。

 野枝子にもこの傾向が見られる。

 男はより多く熟考的であるが、女は熟考的であるよりは、知覚が早く行動も早い。





 野枝子は……男に対し、四つの返事を書いた。

 その中の第一は、最初男から手紙を貰つて、其の次の日に書いたものである。

 彼女がいくらか考へて書いたのは、此の返事だけである。

 その他の三通は、就(ママ/「孰=いず」の誤植?)れもよく考へて、書かれたものではない。

 殆ど反射的に書いて居る。

 感動性が大きいといふ事は、反応の早いこと……である。

 反応が早いといふ事は、疲労し易いことと関連してゐる。

 大きな感動性を表はした野枝子は、著しい疲労性を表はしてゐる。

 二十五日の晩にあれほどの烈しい手紙をかきながら、一晩寝つて次の日になつて見るともう何を昨晩かいたのか、昨晩の自分の気持が、どんなであるかを忘れてゐる。

 彼女の感動が如何に大きかつたのか、それに伴ふ疲労が如何に大きかつたが察せられる。

 彼女は当時、妊娠七八ケ月の状態に於てあつた。

 且つ時は六月の後半であつた。

 新しい暑さが強く感ぜられる頃であつた。

 此状態も、此の時節も、共に感動性を大きくするに、力を添ゆるものである。


(小倉清三郎「野枝子の動揺に現はれた女性的特徴(梗概)」/『青鞜』1914年1月号・4巻1号_p137~140)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第82回 校正






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年六月二十五日、その日は『青鞜』七月号の校正を文祥堂でやる日だった。

 野枝は荘太に宛てた第二の手紙を書き直そうと思ったが、朝出る前に書き直すのは無理だと判断し、第二の手紙を包みの中に包んで仕度をしていると、また荘太からの手紙が来た。

 荘太は二十三日夜に続けて書いた二通の手紙に番地を書き落としたから、野枝の手元へは届いていないだろうと思いますと、その手紙に書いているが、野枝は二通とも受け取っていた。

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 私はこれからあなたと交渉し得ずに自分が一番いゝ生き方をし得るといふ事をどうしても想像する事が出来ません。

 あなたの若しお気が向ひたらば御序での節に汚い処ですが御立ち寄りなすつて下さい。

 至極貧しい蔵書ですが何か御参考になるようなものもあるかも知れません。

 直接に言ひます。

 私は烈しくあなたを恋するようになるかも知れないと思ひます。

 私はいつか自分があなたの手を執るべき日の事を夢見ます。
 
 二十四日ひる


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p189~191/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p41~42)





 野枝の頭は何かに覆われてしまったかのように真っ暗になったが、ぐずぐずしているわけにもいかないので、この手紙を持ったまま出かけた。

 野枝は電車に乗ってもそのことばかり考えていた。

 なんのためにこんなに苦しんでいるのだろう。

 馬鹿馬鹿しくなったり、一生懸命な荘太を気の毒に思ったり、最初に会ったときに言うべきことを言わなかった自分を責めたりした。

 辻と同じくらいの荘太の熱情を理解することができなかったら、荘太は野枝のことを無智な女と思うだろう。

 辻との愛がどんなに熱烈であっても他の愛を受け容れないことで、侮蔑されたり憐れまれたりすることも野枝は嫌だった。





 文祥堂の二階に行くと、哥津はまだ来ていなかった。

 野枝は荘太から今朝届いた手紙を、もう一度読んでみた。

 野枝は荘太の愛に動かされている自分に改めて気づいた。

 荘太の愛を無視することはできないが、同時にふたりの人を愛することもできない。

 どちらかの愛を却(しりぞ)けるしか方法はない。

 今のところ辻を離れては生きていけない。

 荘太を却(しりぞ)けるしかない。

 わかりきったことだ。

 しかし、苦しい。

 なぜ心が動く?

 そうだ、天が辻と自分の愛に試練を与えているのだ。

 無智だと言われても侮蔑されてもいい。

 荘太の愛を明らかな態度で断ろう。

 あの返事じゃだめだと思った野枝は、じっとしていられなかったので、ペンを手にして書きかけたがどうしても書けなかった。





 そのうち校正がいっぱい出てきた。

 野枝は一生懸命やろうとしたが、なかなか集中できなかった。

 しばらくして哥津と岩野清子が一緒に校正室に入ってきた。

 ちなみに、野枝はこのときの校正のことをこう書いている。


□校正つて本当に嫌やな仕事です。厄介な仕事です。出ない間ボンヤリして機械の廻る音を聞いてゐますと気が遠くなつてしまひます。一昨日歌津ちやんは眠つてしまひました。こゝの校正室は風通しがよくていゝ気持ちに眠れるのです。

□今日は岩野さんがゐらしたのですけれども歌津ちやんとしんこ細工を見に行くつて出ていつてしまひました。


「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3第7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p41)


「一昨日」というのは六月二十三日、荘太が来た日のことだろう。

 この号の「編輯室より」には、野枝のこんな発言も載っている。


□先月号の表紙の裏に広告を出したのが大変に感じを悪くしました。青鞜ではあんな事をした事はないのです。あれは書店が禁を犯したのです。以後はきつとあんな感じの悪い事は致さないつもりです。

□街路がどれも勢いよく葉を出しました。あの御徒士町(おかちまち)の通りのツン/\したプラターヌスの葉も真青になりました。

□歌津ちやんはお芝居や寄席や新内や歌沢で日を暮してゐます。私は、うちにゴロ/\して、いつからいてうと岩野さんと歌津ちやんと私と四人で堀切に行つたときに買つて貰つた小さな独楽をまはして遊んでゐます。

□小母さんのうちにはいろ/\な花が咲きました。大変きれいです。いまに小母さんの家は花でかこまれるでせう。


「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40~41)





「先月号の表紙の裏」の広告というのは、『青鞜』六月号(三巻六号)の表二(表表紙の裏)の広告であろう。

 宝石を身に着けた貴婦人のイラストとともに、以下のコピーが記されている。

 
 正確(たしか)な貴金属品は

 永年専業の商店(みせ)として信用ある、

 大西白牡丹(おほにしはくぼたん)へ御申付下(おもをしつけくだ)され度(たく)候(さふらふ)。

 ◁よそほひ第七号発行無料贈呈▷

 東京南伝馬町 大西白牡丹


(『青鞜』1913年6月号・3巻6号)


 現在の雑誌にたとえるのはちょっと無理があるかもしれないが、『アエラ』にジュエリーマキの広告が入っているようなものだろうか。

 そういう違和感を『青鞜』編集部の面々は抱いていたようだが、広告収入を稼ぐため、東雲堂書店の社長・西村陽吉が捻じこんだのだろう。





 四時か五時ごろ、野枝たち三人は文祥堂を出て、一昨日も行った築地の居留地の方に歩き、銀座に出た。

 野枝はそこでふたりと別れ帰宅して返事を書き直そうと思ったが、この日は辻が不在なのでひとりで苦しむのが嫌だったので、ふたりと一緒に歩いた。

 銀座を真っ直ぐ歩いて京橋を渡り中通りから日本橋に出て、常磐橋から電車に乗った。

 水道橋で哥津と別れ、春日町で清子が降りた。

 野枝は巣鴨橋で降りて山手線に乗り換えるころから、頭も体も何かにはさまれたように固くなった。


京橋2 




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

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★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



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2016年04月14日

第81回 第二の手紙






文●ツルシカズヒコ


 一九一三(大正二)年六月二十四日の朝、辻が出かけるとすぐに「京橋釆女町(うねめちょう)にて」と裏書きされた、荘太からの手紙が届いた。

 それは荘太が前日の夕方に書いた手紙だった。

 野枝は前夜、荘太への手紙を書こうとしたが疲れていたので書かなかったので、書き遅れてしまったと思った。

 そして、何かしらその手紙を開けたくないような気もしたが、開封して読んでみた。

 野枝は昨日、話すべきことを話さなかったという自責の念に駆られた。

 そして、こういう手紙を書かせてしまった荘太にとても申し訳なく思い、ジッとしていられなくなった。

 野枝はすぐに机に座り、筆を執って半紙に墨文字を書き連らねていった。

 野枝はまず、昨日、話すべきことを話さなかった非礼を詫びた。


 私はあなたに何とお詫びしたらよろしいので御座いませう。

(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p173/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p33/「書簡 木村荘太宛」 一九一三年六月二四日

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 そして荘太に自分のことを理解してもらうために、まず辻と同棲するに至った経緯を順を追って書き始めた。

 女学校五年生の夏に結婚を強制されたこと。

 卒業式の翌日、学校の英語の先生と一緒に展覧会を見に行き、帰りに抱擁されたこと。

 婚家から出奔したこと。

 上京して英語の先生の家に厄介になったこと。

 そのころからその男と愛し合う仲になり、それが原因で男が失職したこと。

 今は離婚問題が解決し、男と同棲していること。

 きびしい状況下ではあるが、ふたりの結合は固く離れることができない関係であること。

 荘太からの最初の手紙を男に見せて相談し、男が返事を書くように勧めたことも書いた。





 今後の荘太との関係について、野枝はこう書いた。


 ……もしあなたがお許しになるならば私はこのまゝ意味もなくお別れするよりも親しいお友達として御交りして頂き度いと思ひます。

 そうしてその上にもなを御許し下されば私の半身である男にもお合ひ下さればどんなに幸でせう。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p180/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p36)

 
 エレン・ケイの翻訳については、こう答えた。


 それからエレン、ケイの翻訳のこと、勿論私の極くまづしい語学の力で完成する筈はありません。

 たしかに男の力によるのです。

 私も出来る丈け勉強して他人の力などに依らずに自分で出来るやうにしたいと心懸けて勉強してゐます。

 私は決してそれをかくしたり偽つたりはしません。

 ……六月二十四日


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p181~182/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p37)


 野枝は書き終わってから読み返し、すぐに出そうか出すまいか迷った。

 しかし、まあ辻に一度見せようと思い封筒に入れて表を書いて、わざと封をせずに机の上に置いた。

 野枝はホッと息をついた。

 長文になったので封筒は分厚く膨れていた。

 少し落ちついてくると、荘太の手紙の終わりの方の「生田長江氏」という文字が目に入り、野枝は訳もなく腹立たしくなった。

 先生ほどの方がなにも私のような小娘を相手に、そういうことを公言するなんて馬鹿馬鹿しくなり、本当のことではないような気もした。

 けれどもまさか、荘太が出鱈目なことをわざわざ書くはずもないだろう。

 野枝はらいてうが『中央公論』新年号に書いた「新しい女」のことを思い出した。

「新しい女」は『ジャパン・タイムス』にも英訳して掲載された。

 紅吉によると、長江はこの「新しい女」について自分がらいてうに話したことだと言ったという。

 紅吉の言うことだから信用していなかったが、本当かもしれないと思った。

 野枝はそういうことを好んで吹聴する長江のことがおかしくなった。

 長江は誰にでも調子のいいところがあった。

「先生先生」と言って相当に尊敬の念を払っていたのが、なんだか馬鹿馬鹿しくもなってきた。





 そんなことを思っていると、荘太が昨日の夜に書いた手紙が届いた。

 それを読んだ野枝は、どうしていいのかわからなくなった。

 真面目なある力が、遠慮もなくぐんぐん自分の生活の中に押し寄せてくるような気がした。
 
 野枝は外に飛び出し、息をつかせぬものに追われるようにむちゃくちゃに歩いて、保持のところに行った。

 保持は出かけようとする間際だったが、かなり長い間話した。

 出かける保持と一緒に出て帰ろうとしたが、崖の道をそのまま帰ることができず、林の中に入ってしばらく歩いた。

 足どりがややゆっくりになるにつれて、昂(たかぶ)っていた心も落ちついてきた。

 野枝はふと不安になった。

 自分が書いた返事は自分の態度の明瞭さを欠いているのではないか……。

 またせかせか歩き出した。

 染井の墓地に出たころ、野枝はフラフラする自分の気持ちがおかしくなってきた。

 今ごろ辻が帰っているだろうと思うと、なんだか悲しくなってきた。

 静かな墓地を歩きながら、あれこれ考えをめぐらしていると、何がなんだかわからなくなってしまった。

 一度会っただけで深い印象を持ったわけでもない人が、嵐のように襲ってきて、自分の生活をかき乱していることに腹が立ってきもした。

 気狂いか何かに抱きすくめられて、あがきのとれない苦しさも感じた。

 苦しくなって大急ぎで歩いた。

 家の前まで来ると、いつものようにジョンが飛びついてきたが、邪険に突き飛ばし家の中に駆け込んだ。





 帰宅していた辻は机の前に座り、野枝が書いた返事の手紙を読んでいた。

 野枝の方にちょっと振り向いた辻の顔は、なんとも言えないほど険しかった。

 野枝は体中に漲っていたある感情がグッとこみ上げてきて、辻の手から手紙をひったくり、辻の体に抱きついた。

 悲しいのか恐ろしいのか得体の知れない涙が、止めどなく流れた。

 再び手紙を読み始めた辻の顔を見上げると、激した辻の顔は恐ろしいほど締まり、細い筋肉の微動さえわかるほどだった。

 野枝は辻の胸のあたりに顔を埋めて、じっとしていた。

 辻の心臓の鼓動が野枝の額に伝わり、野枝の体の中へ消えて行くのがはっきりわかった。

 辻が手紙を読み終えたが、ふたりはひと言も言葉を交わすことができなかった。

 しばらくして、野枝が紙に鉛筆で書いた。

「怒つてるんですか」

 辻も紙に書いて答えた。

「僕はなんにも別に怒ってはいない、木村氏の手紙は皆気持がいい、ただおまえの昨日の態度の明瞭でなかったのが遺憾だ」

 野枝は責められなくていいことを、責められたような気がしてちょっと嫌な気がした。

 しかし、やはりそれが一番いけなかったのだと気づくと、野枝は何も言えなかった。

 野枝は返事をもっと明瞭に落ちついて書き変えようと思った。

 辻はそれならもっと簡単に書いたらいいだろうと、野枝に注意した。

 辻と並んで座っているうちに、野枝は辻の力がグングン自分の体内に流れ込むのを感じて、やはりこの人なしには生きていくことはできないと思い、ホッとした。

 野枝はすっかり疲れて頭が重くなったので寝(やす)んだ。





 野枝が書いた第二の手紙について、らいてうはこう書いている。


 私は第二の手紙を読んだ時、すぐ昨年の初夏未見の野枝さんから受取つた最初の長い手紙のことを思ひ出した。

 今日の境涯を切開いた過去の野枝さんの苦しい経験を思つて涙が出たと同時に、すぐ一筋に思ひ詰めて無我夢中になれるこの種のパツシヨネートな人や又自己をよくもまだ知らぬ人の前にすぐ語ることの出来る人を羨ましくも思つた。

 そして野枝さんの何処か野生的の処のある血色のいゝ顔や、無邪気に話すあの大きな声や締つた筋肉や、よく発育した肉体が心に浮かんだ。

 と同時にその野枝さんが真白な水泳服を着て高い櫓から水の中に飛び込む時の様子を思つた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p89)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

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2016年04月13日

第80回 高村光太郎






文●ツルシカズヒコ





 野枝は辻との関係を早く話してしまいたいとあせっていたが、なかなかきっかけがつかめないでいた。

 そのうちに荘太は『中央新聞』の野枝の記事について話し出した。


「僕にはあなたがひとりの方ではないか(ママ)といふ不安があつたのでした。中央新聞 に出たとかいふ記事の事を聞いてからです。そしてさうだとすれば大変失礼な事をしたと思つたのです。けれども僕が手紙を書いた時には、ちッともさういふ事は知らなかつたのですから。」

 といふと、野枝氏は肯いて、

「ええ、あれはこのごろよく新聞の人や何かが会ひたいと言つて来て、前にはそのたび会つてよくお話したのですけど、それがいつでも誤つて書かれたりしますで(ママ)、今ではそれをなるたけお断りする事にしてゐるのです。それで中央新聞の人にも平塚さんだけ会つて(?) 私は会いませんでした。さうするとあんな事を書かれてしまひまして。」

 と僕には事実を打ち消すと取られるやうな口調で答へた。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)

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 野枝自身はこう記している。


 そのうちに、此の間の中央新聞の記事の話になりましたときには、私は、あれは、全部偽りだと云ふ事を、話したのです。

 そして、G氏と、私の間には何もない全く新聞の伝へたのは虚偽だけれども、私と、Tといふ男と同棲してゐるのは事実だと云ふ事を、別に話さうと、私がその話をし出す緒(いとぐち)を見つけてゐるうちに、木村氏の方では、私が、あの新聞の記事を否定した事によつて、私の周囲には、別に、男がゐないといふ風に思つてしまつたらしいのです。

 その時気はつきましたが私はすぐにとり消せなかつたのです。

 帰つて、手紙にでも委(くは)しく書かうと、思つてしまつたのです。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p164/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p28)


 Gとは巣鴨小学校教師・後藤清一郎である。

 荘太は『魔の宴』では、こう回想している。


 挨拶が済んで、向い合って話すうちに、私は聞いた新聞の記事のことについて糺(ただ)した。

 すると、

「あれはなんでもありません。みんな嘘ばかり書いてあるのです」との答えだったので、私はホッととした。

 ことがことだったから、初対面にそう立ち入ってもいえず、翻訳のことまではいわなかったが、対手(あいて)の否定が全面的な語気だったので、もうこれでよいとした。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p204/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p166)





 野枝と荘太の話は『青鞜』や青鞜社のこと、それに対する最近の誹謗中傷、婦人問題などになった。

 話題が広がってきたので、野枝も発言しやすくなった。

 『フュウザン』に載った、『青鞜』に関する記事が話題になった。

 「動揺」の「解題」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p399)によれば、「『フュウザン』第四号(一九一三年三月)に載ったS・K(木村荘八)と署名のある『消息』のこと」である。

 『魔の宴』(p204~205)、『日本人の自伝18』(p166~167)によれば、『フュウザン』の六号活字の「消息」の話の口火を切ったのは野枝だった。

 平塚らいてうが、『フュウザン』同人の高村光太郎に、青鞜社主催の公開研究会の講義を頼んだところ、講義はできないが、講義録なら書いてもよいとの返答を得た。

 しかし、『青鞜』は高村が講義をするような広告を出してしまった。

 この広告に対して、『フュウザン』が「消息」で、抗議をしたのだった。

 野枝は「S・K」を木村荘太だと思いこんでいたようで、『青鞜』の手落ちではあるが、わざわざ公に書かなくてもよいのではないかと、荘太に言ったのである。

 荘太は、高村が不愉快に思っていると聞いてはいが、個人として行動している自分にとっては、どうでもよいことだった。





 野枝はこう書いている。

 T氏は高村光太郎。


 ……私は、何だかT氏がしきりに、怒つてお出になつたと云ふ事を木村氏に聞いて、何故その位に、怒つてお出になるのなら、もつと男らしく正面から青鞜社に、抗議を申して下さるとか、又はフユーザンで書くにしても御自身で、ちやんと、書いて下さらないのだらうと思ふと、何となく忌々(いまいま)しくなつて来ました。

 そして、また、新しく、あの六号の活字をまざまざと目の前に浮べて見ました。

「……たのまれた訳ではないが青鞜社でもこの頃そんなやうな商売をはじめたさうだ。」といつたやうな事が書いてあつたそしてその下に、S、Kといふ頭文字が書いてあつた事を思ひ出したから私は臆面もなく、あんな事を書かれては本当につまりません、私共は二月からあの事で随分な迫害を、うけながらどれだけの時間や労力を、費したでせう、商売や道楽と一緒にされては耐(たま)りませんつて、云つたりしました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p165~166/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p29)





 荘太は長尾が生田長江から聞いたという翻訳のことも確かめたいと思ったが、部屋の隅にいる哥津を妙に感じて、とうとう直接にそれを聞くことができなかった。

 哥津も交えて三人はいろいろと雑談をした。

 野枝は仕事のことばかり多く語った。

 真面目にやっている自分たちの仕事が世間から誤解され中傷されていること、当分、自分たちはひっこんで勉強してゆくよりほかはないこと……。

 荘太は女の解放や新しい男女関係を、男も要求すべきだと言った。

 野枝はジッと聞き入った。

 荘太は自分の「心」の一端を、野枝にこう伝えたという。


 柴田柴庵(しばた・さいあん)が訳したストリントベリのユートピア物語、現代社会で一しょになれない医学生の男女が、社会主義の実現された理想社会で一しょになる、という小説の訳文が、生だという評もあるが、あの調子はむしろ好きだ、という点などではかの女と私の意見は一致した。

 で、その日は私はあんまり立ち入ったことは結局話せなかったが、そのなかで私の心が洩らせたような話としては、その近くにエマースンの「スウェデンボルグ論」で読んだスウェデンボルグの説に、天国での結婚は夫婦がおなじ真理を見ることで結ばれる、とあるというのに私が打たれていたのを伝えたようなことぐらいが、話せたにとどまった。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p166~167/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎_p204~205)





 午後五時ごろ、三人は文祥堂を出た。

 三人は明石町など築地近辺を散歩してから、銀座に出ることにした。

 おしゃべりをしながらずいぶん歩いて、そろそろ店に燈りが点き始めるころ、三人は銀座へ出て街角で別れた。

 荘太は別れ際に「野枝氏が一瞬間僕を見上げて、さうして僕はその好意のハッキリと読み得た短かい凝視を深く心の底に仕舞つ」(「牽引」)たが、野枝は「銀座の角でお別れするまでの間にもさして、深い印象をその人から受ける事は出来ませんでした」(「動揺」)。

 野枝が帰宅すると、まもなく辻も帰ってきた。

 野枝は軽い調子で笑いながら言った。

「今日、木村さんに会いましたよ」

「そうかい、どんなだったい?」

 辻はくすぐったいような真面目なような表情をして訊いた。

「どんなって……」

 野枝はそう言いかけて困ってしまった。

 ただ髪をきれいに分けて、眼鏡をかけた色白な明るい顔の輪郭と敏(さと)しげな眼、その他のことは浮かんで来なかったからだ。

 あまりにも不用意に荘太に会ってしまったことが、辻にも自分にも恥ずかしくなり、そして荘太にもすまないような気がしてきた。

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 荘太はその日、銀座に近い京橋区采女町(うねめちょう)の牛鍋店「いろは」の母のもとに立ち寄り、そこに泊まることにした。

 荘太はすぐに野枝に宛てた手紙を書き始めた。


 ……あなたがひよつとすると御一人の方ではないかも知れないといふ掛念に非常に悩まされてゐたのでした。

 ……さう云う掛念は去りました。

 ……あなたに対する愛の種子がこれから日毎に成長する事を感じます。

 ……若しもあなたに私を尚ほ知らうとなさるお心がありましたらばこの後もまたお会ひする事をお許し下さるようにお願ひしたいのです。

 ……実は私は已(すで)にあなたを愛してゐました。

 ですから私は今日若しあなたがその私の愛を激しく裏切る方であつたら、(私は随分人の外観に対する選択なぞもあるものですから)実にこの上のない不幸だと思つてゐたのでした。

 で私はその運命の前に盲目に震えてゐたのでした。

 私はもつと自分の運命を信じていいといふ勇気を得ました。

 ……今日特に第一にあなたにお訪ねしたく思つてゐて小林さんがゐたもんですから言はずにゐました事があります、ある友達が生田長江氏の許であなたのお訳しなすつたエレンケイは他の方(あなたに交渉のある方と云う意味で)の手になつたと聞いたと数日前私に伝へた事なのでした。

 六月廿三日


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p168~172/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p31~32)





 荘太はこの手紙を書き終えると、すぐに投函し銀座を散歩した。

 散歩から戻ると、荘太はまた野枝に手紙を書いた。


  私は今いろいろあなたの事を思ひ浮べつゝ歩きました。

 でやはりこの事を申し上げやうといふ決心をして帰りました。

 実は私は何れあなたの手を執りたいとしてゐるのです。

 私には近くにあなたにお目に懸り度いといふ気が頻(しき)りにします。

 私は自分を露骨に直接にあなたに接触させ過ぎるかも知れません、大変失礼な事を申してゐるのかも知れません。

 併し私にかう云う凡てを云はせるものはあなたです。

 私の心の中のあなたが何でも構はずに話していゝといはれるやうに私には思はれるのです。

 二十三日夜


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p183~185/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p38~39)


 荘太はこの手紙もすぐに投函した。





 荘太と野枝のラブアフェアの始まり、野枝の荘太に対する心情について、らいてうはこんな分析をしている。

 
 それは木村氏に対する純なる恋愛からではない。

 ……自分の上に注がれる思ひ上つた男の真実さうな恋に対して何かは知らず、すまないやうな気の毒のやうな気がしたのだ。

「動揺」に現はれた処丈で見るとあの事件の間、只の一度も自分が妊娠の身であるといふことは意識的には野枝さんの頭に上つて来なかつたらしい。

 だが私は之が不思儀でならない。

 女自身は自分の妊娠といふことに対して元来これ程無意識なものであらうか。

 お腹の中にゐる子供とそれほど無関係でゐられるものなのだらうか。

 之れでまたいゝものなのであらうか、自分に経験のないことを口にするのは僭越かも知れないが、一寸不思儀でならない。

 いま一つ野枝さんを動かした他の理由がある。

 それはふたりの中の或る類似点である。

 都会人でないだけに遊戯的もしくは技巧的な分子を全く見出さない、野枝さんのあの真面目な全力的な人格が木村氏の随分故意な、不自然な若い男の常として思ひきり独合点な内容の貧しい興奮ではあるが……いつも調子の高い緊張し切つた気分と直に共鳴し、そこに野枝さんが常に憧憬していた或力を感じたのだ。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p88~89)





鈴木貞太郎『天国と地獄』

築地2




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)





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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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