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2016年04月02日
第67回 ファウスト
文●ツルシカズヒコ
奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(p78~)によれば、奥村と声楽家の原田潤が出会ったのは一九一二(大正元)年十一月、文芸協会公演のバーナード・ショーの喜劇『二十世紀』を有楽座で観劇しているときだった。
幕間にふとしたことから言葉を交わしたふたりは、急速に親しくなり、十一月末に千葉県安房郡富浦に旅に出て、そこの漁村にしばらく滞在した。
年が明けて梅の花の散るころ、原田に電報が届いた。
近代劇協会公演の『ファウスト』への出演の誘いだった。
芝居に興味があった奥村はアルバイトの必要に迫られていたこともあり、原田の勧めで試験を受け、一座に加えてもらったのだった。
このあたりの経緯は、『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(P471~472)にも詳しい。
紅吉は戸惑うどころか、過去のことを容易に忘れ、奥村との再度の出会いを単純に喜び、こんなことまで言い出した。
「私と奥村さんは初めたいへん仲がよかったんですよ。らいてうさえいなければ、仲のよいお友達だったんです。ああなったのだって、平塚さんが奥村さんを誘惑したのですよ。明日見えたら、私がよろしく言いましたって、そう言って下さいな。あのことはなんとも思ってはおりませんってね。なにとぞお願いします」
野枝はよくもこんなこじつけができるもんだと呆れ、同時に自分の気持ちの矛盾に一切無頓着なのが紅吉の性格をよく現しているので、おかしくなってしまった。
「何かあるの?」
ニヤニヤ笑っている野枝に紅吉が言った。
「なんでもないのよ」
「そう、だって笑ってるじゃありませんか」
「いいえ、ちょっと思い出したことがあったから」
野枝は紅吉のように純粋な感情だけで生きている人は珍しいと思った。
努めてもあそこまで無責任にはなれるものではないし、紅吉の唯一の強みかもしれない。
どんな事をしても紅吉だから許された。
紅吉位うそを巧みに云ふ人は少かつた。
心にもない嘘をつくと見えて実はそれを口にするときにはどんな柄にない事でもきつと紅吉の心では真実性をもつてゐた。
けれどその気持が通りすごすや否やもうそんなことは一つも価値のないことになつて仕舞ふのであつた。
従つて、自身と他人の区別なく過去に対しての責任と云ふものは全然持ち得ない人であつた。
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年3月13日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p122~123/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p189~190)
紅吉は顔を輝かせながららいてうのもとに飛んで行き、手柄顔に奥村のことを伝えたという。
「早く会ってあげたらどうですか」などという紅吉の、まるで矛盾した言葉は相変わらずのことですから、怒る気にもなりません。
紅吉のもたらしてくれたこの「燕」の消息は、やはりわたくしの胸いっぱいに、大きな波紋となって広がるのでした。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p470)
『ファウスト』は一九一三(大正二)年三月二十七日から三月三十日まで帝国劇場で上演され、帝劇始まって以来の大入りの盛況だった。
近代劇協会から招待されていたらいてうは、三月二十七日の初日に帝国劇場にひとりで出かけた。
奥村は「アウエルバッハの窖(あなぐら)の学生・酒場」の学生に扮して、鼠の歌を歌っていた。
舞台の上で、無心に自分の演技にうちこむ彼の姿を、座席からひとり眺めることで、わたくしは満足しました。
ふたたび彼を見ることができたことに十分心足りて、ひとまず自分の来たことだけを告げるために、幕間に、真紅の小さなバラの花束を楽屋へ届けて、彼とは会わずに帰りました。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p471)
奥村は彼の楽屋の化粧鏡に置いてあるバラの花束に名刺が添えられていないので、誰から贈られたものかわからなかったが、伊庭孝かららいてうが観に来ていると教えら、からかわれたので、事情を察した。
上山草人夫妻は、奥村とらいてうのロマンスを奥村に会う前から知っていた。
紅吉が吹聴していたからである。
衣川孔雀は奥村を「燕さん」と呼んで、奥村をまごつかせた。
そして、奥村は飄々とこんな回想もしている。
西嶋は珍らしがって二度も浩の楽屋を訪ねた。
詩人の山村暮鳥を連れても来た。
山村はすぐその後に詩を書いたはがきを彼によこしたが、彼は自分にデディケエトされたその詩から暗い感じを受けたのを喜ばず、そのまま屑篭に投げ込んでしまった。
(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p90)
「西嶋」とは新妻莞のことである。
★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第66回 上山草人
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正三)年二月二十日、哥津の家で紅吉がらいてうについて散々語った日ーー。
しゃべった紅吉よりも、野枝はすっかりくたびれて荒木郁子の火事見舞いどころではなくなり、日も暮れたので家に帰ることにした。
野枝が立ち上がると、紅吉も一緒に行こうと言って野枝より先にさっさと出てしまった。
ふたりは牛込見附から赤坂見附行きの電車に乗った。
野枝は外濠線の電車の中で居眠りをするつもりだった。
しかし、紅吉のらいてうへの悪口は止まなかった。
しかも、哥津の部屋でしゃべったことの繰り返しだった。
野枝はフンフン頷きながら聞いてはいたが、紅吉のあの突発的な声が車内の視線をふたりに集中させるので、はらはらした。
野枝は土橋まで我慢した。
電車を降りて帰ろうとすると、紅吉は野枝を食事に誘った。
興奮している紅吉は独りにされることを恐れていた。
食事をすますと、今度は紅吉がしばしば出入りしている、近代劇協会を主宰している上山草人(かみやま・そうじん)のところに連れて行かれた。
野枝は草人にはパウリスタで人を通じて紹介され、青鞜社の講演会の慰労会の席でも会ったことがあった。
草人は坪内逍遙の起こした文芸協会演劇研究所第一期生で、松井須磨子は同期生だった。
しかし、文芸協会とは折り合いが悪く、退会して近代劇協会を立ち上げた。
草人の妻は女優の山川浦路だが、女優の衣川孔雀(きぬがわ・くじゃく)は妻公認の愛人だった。
化粧品開発に熱心だった草人は、新橋駅近くの自宅階下に「かかしや」という化粧品店を開店し、草人が考案した眉墨は人気を集めていた。
谷崎潤一郎によると、「かかしや」の商品は以下のような感じだったらしい。
化粧品と云つても外のものは一向売れもしなかつたが、彼が薬を調合して作ったという眉墨だけが割りに売れてゐた。
此れを草人は「碁石型浦路眉墨(ごいしがたうらぢのまゆずみ)」と名づけて、自分の発明品だと云つて威張つてゐたが、この眉墨のお陰でどうやら暮らしを立てゝゐた。
その外には紀州熊野の名産である「音無紙」と云ふ桜紙のやうな紙を扱つてゐたのが、ぽつ/\売れてゐたゞけであつた。
(「老俳優の思ひ出」/『別冊文藝春秋』1954年1月号/「上山草人のこと」に改題し『谷崎潤一郎全集 第十七巻』収録_p27~28)
帝劇に出ていた浦路は出かける時間だからと言って、すぐに出て行った。
孔雀はお店に座って眉墨か何かをしきりにいじっていた。
二階に通されると、紅吉は野枝がうんざりするほど聞かされた、らいてうの話を草人に立て続けにしゃべり始めた。
草人も紅吉の尾について、らいてうへの反感を語り出した。
まだらいてうを単純に尊敬していた野枝は、こうした人たちがらいてうに悪い感じを持つということが不思議な気がした。
そのころ、近代劇協会では森鴎外訳『ファウスト』の稽古が始まっていた。
野枝が疲れた頭でいろいろ勝手なことを考えているうちに、いつのまにか『ファウスト』の話になった。
「原田という方がお入りになったって本当ですか?」
野枝はひとりだけあまり話に加わらないと変に思われそうだったので、新聞の消息欄で読んだことを聞いた。
「ええ、今、一生懸命に稽古をしてるんですよ。そういえば、紅吉、若い燕が入ったことを知っていますか?」
上山は半ば野枝に、半ば紅吉に向かって言った。
「えつ、若い燕つて、本当にさうですか、奥村さんですか」
「えゝさうですよ」
「いゝえ、ちつとも知りません、さうですかそして今あなた方と一緒に稽古をしてゐるのですか」
「えゝさうですよ、なか/\熱心です。」
「どうして這入つたんです? どうして?」
「原田君の紹介ですよ」
「今迄、何処にゐたのでせう」
「何でも千葉県に原田君と一緒に暮してゐたのださうですよ、彼の人はまるで女ですねどう見ても女だ」
「さうでせう、だけど不思議ですね、今夜は来ないんですか?」
「えゝ来ないでせう、愛宕下にゐますよ毎日通つて来ます」
「さうですかね、何だか変ですね」
紅吉は好奇的な眼をかゞやかしてすべてのことを忘れ果てたやうに上山さんを捉へては根ほり葉ほり奥村さんのことを聞かうとした。
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年3月13日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p119~120/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p187~188)
※上山草人2 ※衣川孔雀2 ※森鴎外訳『ファウスト』 ※『ファウスト』あらすじ
★『谷崎潤一郎全集 第十七巻』(中央公論社・1982年9月25日)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第65回 平塚式
文●ツルシカズヒコ
三人の話題はいつしか、らいてうのことになった。
「紅吉はね、とうとう平塚さんとは絶交よ」
「そう、どうして? 本当? 手紙でもよこして?」
「ええ、手紙が来たんです。私はなんとも思ってやしません。これから落ちついて勉強するんです。生田先生もたいへん私のために喜んで下さいました」
野枝は『青鞜』に関わるようになってから、なにかすっきりしないままのらいてうと紅吉と西村のことを考えていた。
野枝はらいてうと紅吉が、どのくらいまでにいった間柄なのかよくは知らない。
けれども、ふたりが親しみ合ったことは事実だろう。
言うことなすことがすべてその場の気分次第である紅吉に、野枝は怒らずにはいられないことがたびたびあった。
しかし、らいてうは紅吉のそういう気紛れと突飛な行為に、いつも理解を示し寛大だった。
この点に関して、紅吉はらいてうに一番感謝しなければならない。
そういうらいてうに紅吉は愛着を持っていたが、同時に不満と疑惑と不安も抱いていた。
その理由が野枝には最初のうちはよくわからなかったが、次第に見えてくるものがあった。
いつでも自分を紅吉より一段上に置くらいてうには、紅吉に対する愛はあっても、自分を忘れるようなことはなかった。
「愛してやる」位置から決して動かなかった。
だから紅吉に対する理解も寛大さも、野枝や哥津の目にはそっぽを向いて相手にしない調子に見えた。
らいてうの西村への接し方にも同様のことを感じた。
そういうらいてうのことを、哥津も当人の紅吉もわかってはいる。
哥津が言った。
「あんな遊戯的な恋愛が、いつまでも続くものじゃないわ」
紅吉が続いた。
「ずいぶんふざけたがるのが、あの人のいけないところなんです。あの人の恋愛は片手間なんです。それに気づかなかった私が馬鹿なんです」
「本当にあの方に悪ふざけする癖さえなければ、本当にいいのにね」
「森田さんとのことどう思う?」
紅吉が考え深い顔をして野枝の目を見つめた。
「そうね……」
野枝はちょっと躊躇したが、すぐに答えた。
「他人の恋愛に立ち入るのは間違っていやしないかと思うけれど、私はこう思うのよ。平塚さんに言わせればずいぶん嘘が書いてあるかもしれないけれど、あるところは非常に正直にありのままを書いていると思うの」
「あなたもそう思う? 平塚さんの方が確かにエライと思う。エライというのは、人が悪いという意味ですよ。平塚さんは初めから死ぬ意志なんか少しもなかったんですよ」
「そりゃ草平という人だって、その点はわからないわね」
「だけど、なんでも平塚さんは繃帯(ほうたい)なんか用意して行ったっていうじゃないの」
「まさか、そんはこともないでしょう」
「いいえ、それは本当なんですって、やはり狂言だわ」
「私はあのときのように嫌な気がしたことはなかったわ」
「なあに?」
「哥津ちゃんが西村さんにあげた手紙を、平塚さんが持っているって聞いたときよ」
「へえ、そんなことがあるんですか」
紅吉は目を丸くして野枝の顔を見つめた。
「え、紅吉、知らなかったの?」
「知らなかった。そのくらいのことはしかねない人よ、あの人は。だけど、ずいぶんひどいわね」
「ええ、けれどね、私が腹の立つのは西村さんよ。ごめんなさい、哥津ちゃん、西村さんの悪口なんか言って。だけど西村さんは本当に意気地がないわ。平塚さんが持って来いって言ったって、はねつけてやればいいじゃありませんか。それを麗々と持っていくなんて、実に気のきかない話だわ」
「だって断れなかったんでしょうよ」
哥津は仕方なしにそう言って、火鉢の中をかき回した。
「本当に平塚さんって人が悪いのね」
「ええ、だけど平塚さんはいったいそんなふうな人なのよ。そんなことを言うのは、またなんとも思っていないのだわね」
「そうね、平塚さんが私に言えば、それが哥津ちゃんに伝わるのが見え透いているじゃありませんか」
「そのところが平塚式なのよ」
「西村さんとだって、いつまで続くか疑問だわね」
「でも西村さんって人、承知でおもちゃになっているんなら、なおさら気がきかないわね」
「平塚さんだって、そんなに期待されているほど決して偉くはないんですよ。それは私が一番よく知っているんです。あの人に独創なんてものはないんです、ただ普通の人なんです。ただね、他の女友達よりも悧巧で大胆なんです。あの人はいつでも弱点を見透かされない用意ばかりしているんですよ」
紅吉は興奮して眼を光らせながらひと息に話し出した。
野枝もいつのまにか紅吉の興奮に引き込まれてしまった。
野枝たちは哥津の部屋で日が暮れるのも知らずに話しこんでいた。
けれども、野枝はらいてうの側になって考えてもみる。
らいてうは紅吉に絶交を宣告したが、それは冷静な判断だと思える。
らいてうは、紅吉をもっと真面目な立派な芸術家にしたいと願っているのだ。
紅吉が生田長江の家に寄宿するようになったころから、紅吉は彼女を取り巻く有象無象にらいてうの悪口をぶちまけ、そして有象無象はそれを安易に信じこみ喜んだ。
らいてうもここにきて、寛大であることを断念せざるを得なくなり絶交を宣告したが、それは至極、自然な道理である。
紅吉は無茶苦茶にらいてうの悪口を言っているが、彼女の本心はらいてうへの愛からどうしても逃れられない。
紅吉はそれを考へまい/\として無闇としやべつた。
その執着から逃れたいばかりに只すべての平塚さんに対するいゝ思ひ出を打ち消すさうと骨を折つた。
それは平塚さんの悪い所ばかり取り立てゝ並べやうとした。
私は幾度もおなじ事をならべてゐる紅吉の顔を痛ましく眺めやつた。
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年3月13日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p116/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p186)
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第64回 神田の大火
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年二月二十日、午前一時二十分ごろーー。
神田区三崎町二丁目五番地(現在の千代田区神田三崎町一丁目九番)の救世軍大学植民館寄宿舎付近より出火した火の手は、折りからの強風に煽られながら朝八時過ぎまで燃え続けた。
全焼家屋は二千三百以上、焼失坪数は四万二千坪以上の被害を出した「神田の大火」であった。
このころ、辻潤と野枝は染井の家を出て、芝区芝片門前町の二階家の二階に間借り住まいをしていた。
芝には四月初旬まで住んだ(「雑音」/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』p190)。
大火の夜、辻と野枝は半鐘の音で目を覚ました。
すぐに窓の戸を開けた。
火事はかなり遠くのように思えた。
「どこいらにあたるでしょうね」
「そうさな神田へんかな、それともーー」
「荒木さんが焼け出されてるのかもしれないよ」
「まさか」
野枝たちは冗談を言い合いながら、そこに立って非常な勢いで燃える火で真っ赤になった空をいつまでも見ていた。
「だいぶひどいらしいな。ちょっと止みそうにないや、寒い寒い、もう閉めようじゃないか」
ふたりは遠くの火事を気にすることもなしに再び眠った。
翌朝、ふたりが起きたときに、いつもは早くから出かけてしまう階下の小母さんは、まだ火鉢の前に座っていた。
「おはようございます、火事がまあずいぶん大変でございますね。神田だそうですよ、なんでもまだ焼けているそうでございます」
「おや、まだでございますって、どこいらでしょう」
「なんだか三崎町の耶蘇の何かの家から出たのだそうですよ、今、鎌倉河岸(かまくらがし)まで焼けてきたそうです。それから九段の下から一ツ橋の方へもまわっているそうです。ずいぶん大変じゃありませんかねえ」
「それじゃ、きっと荒木さんの家も焼けましたでしょうね」
「うむ、むろん焼けたろうな」
「大変だわ、私行って来ようかしら」
「どなたかお友達でもいらっしゃるのですか」
「ええ、哥津ちゃんのところまで行けば様子がわかるでしょうね」
「そうだな、行ってみるといい」
朝のご飯をすますと、野枝は大急ぎで麹町区富士見町五・十六の哥津の家に出かけた。
哥津の部屋に通ると、紅吉がマントを着た広い背中をこちらに向けて座っていた。
「さっそくだけど、荒木さんのうち大丈夫?」
「ええ、荒木さんのお家は大丈夫なのよ、私の学校は丸焼けよ」
仏英和高等女学校に通っている哥津は、座るとすぐにそう言った。
「もう行つて来て、まだ焼けてゐるの」
「もう止んぢやつたわ、私もう今朝すつかり行つて来たの、それや大変よ、学校なんて、何一つ出てゐやしないのよ、ピアノから何から皆ーーずゐぶん惜しいことしちやつたわ」
「彼処(あすこ)の救世軍の寄宿舎から出たつて本当」
「えゝ、彼処からだわ、随分だけど広がつたものね、私の学校のマスールの云ふ事がいゝわ、何事も神様のお思召(ぼしめし)ですつて、他所から火事を貰つて焼け出されて、思召しもないもんだわね」
「其処が宗教家の立派さでせう」
黙つてゐた紅吉がいきなり口をはさんだ。
「それやさうかもしれないけど馬鹿気てるわ、でも可愛さうだつたわ、私たちが今朝はいつてゆくとね、若い見知らない仏蘭西人(ふらんすじん)の女の人がウロ/\してゐるんでせう、何だかちつとも様子が分らないつて風してゐるから私挨拶したら一昨日仏蘭西から着いたばかりなんですつてさ」
「まあ気の毒だわね、そしてどうしたの、来る早々から焼け出された訳なのね」
(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年2月21日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p104/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p179~180)
しばらく火事場の話が続いた。
中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(p78~79)によれば、神田区三崎町二丁目にあった救世軍大学植民館寄宿舎から出た火は、三崎町一、二丁目、猿楽町に延びたが、荒木郁子の玉名館があった三崎町三丁目はすんでのところで火の手を免れた。
荒木は『青鞜』三月号に近火事見舞御礼の広告を出した。
※仏英和高等女学校2 ※仏英和高等女学校3
★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
★中尾富枝『「青鞜」の火の娘ーー荒木郁子と九州ゆかりの女たち』(熊日出版・2003年6月24日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index