アフィリエイト広告を利用しています
<< 2021年03月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリーアーカイブ
検索

広告

posted by fanblog

2020年01月31日

本能寺の変のカギを握る !? 明智光秀の名言

光秀が遺した言葉からそのポリシーを探る

大河ドラマは昨年の「いだてん」から「麒麟がくる」になって視聴率が好転しているようですね。

思うに、大河ドラマの枠は基本的に戦国ものと幕末ものが求められている傾向があるので、そういう意味で「いだてん」の時代設定には違和感があって、あまり視聴者に受け入れられなかったんじゃないかと考えられます。

なので、僕は決して「いだてん」が駄作で視聴率が悪かったのではなく、もっと別の枠で放送していたら好評だったかもしれないと思うのです。

「いだてん」の脚本を担当した宮藤官九郎さんは、「木更津キャッツアイ」、「タイガー&ドラゴン」、「あまちゃん」など数々のヒット作を生み出した方なので、(大河の枠でさえなければ・・・)と、残念に思ってしまうのです。


さて、今年の大河ドラマの主役・明智光秀ですが、この人物の前半生は不明な点が多く、謎に包まれています。
明智光秀.jpg
享禄元年(1528年)?〜 天正十年(1582年)

ある程度信憑性のある史料に彼が登場するのは、越前(福井県)の朝倉氏に仕えた後からなので、それ以前の光秀を描くのはなかなか困難なことです。

ドラマの中では斎藤道三や帰蝶(濃姫)と親密な関係にありますが、実際にはどうだったかわかりませんねぇ〜。(笑)

それはともかく、話題性という点で光秀は今欠かせない存在になってますので、今年は光秀について何度かやっていきたいと考えています。

というわけで、今回は明智光秀が遺した名言について語りたいと思います。

「仏の嘘を方便といい、武士の嘘を武略という」

本来、武士にとって「嘘をつく」ことは恥と考えられていました。

実際、戦国時代の前半に活躍した北条早雲や朝倉宗滴などの名将はそう述べています。

しかし、戦国の世は謀略や相手との駆け引きに優れていなければ生き残ることができない時代です。

若い頃から諸国を放浪し、厳しい状況下で生き抜いてきた光秀だからこそ、敢えて嘘を肯定し、武士が生き残るためには必要な武略の一つとして考えるようになったのではないでしょうか?

現在でも「嘘も方便」という諺が使われています。

光秀は、仏教における説法の嘘が方便として認められるのなら、武士が生き残るために使う武略としての嘘も認められていいはずと考えていたのかもしれません。

そして、光秀はこの言葉の最後に「百姓はかわゆきことなり」とも言っています。

光秀は、坊さんや武士のしたたかさと比べたら、これらの「嘘」を素直に信じる農民はかわいいものだと考えていたのでしょう。

「おもちゃコンシェルジュ」が個別プランニング【キッズ・ラボラトリー】
「徳なき王は匹夫、これを討つのは天の意志である」

これは、光秀の言葉というよりも考え方といった方が正しいかもしれません。

元々これは中国の戦国時代の思想家・孟子の言葉です。

孟子の思想は「臣(部下)が君(上司)を討つ」ことを認めているので、昔から日本では忌み嫌われる傾向がありました。

それでも、光秀は孟子の思想に傾倒していたといわれています。

この言葉をもっとわかり易く説明すると、「徳を失った王はただの匹夫(愚かな人間)に過ぎない。これを討つということは、王を討つのではなく匹夫を討つことなので、至極当然の道理である」という意味です。

これは一見、戦国時代の主流であった「下剋上の原理」に類似しているとも思われます。

しかし、光秀は教養ある常識人だったので、むやみに家臣が主君を討つ下剋上の考え方を全面的に支持していたわけではありません。

光秀は孟子の思想に従い、(尊敬できる主君ではなく、匹夫に成り下がってしまった主君を討つのは“世の習い”だ)と考えていたのではないでしょうか?

光秀は、比叡山の焼き討ち、足利将軍の追放、一向宗徒の殺戮、ついには朝廷を蔑ろにして自らが神になろうとしていた主君・信長を許し難い(匹夫)だと思っていたのかもしれません。

洗濯代行はランドリーアウト
「ときは今 あめが下しる 五月かな」

これは、本能寺の変が起こる直前の天正十年(1582年)5月28日に光秀が詠んだとされる句です。

この日、光秀は京都の愛宕神社で連歌師の里村紹巴などを招いて連歌会を開催しました。

この句を分析すると「とき」=「土岐」で、明智氏の源流である土岐氏を指し、「あめが下しる」は「あめ」=「天」で「天下を治める」を意味すると考えられます。

つまり、この句は「今こそ土岐氏が天下を治める」という光秀の決意表明そのものだと解釈できるのです。

そもそも連歌には掛け言葉の意味合いも含まれてますから、この連歌会の参加者は光秀がこの句に込めた真意を汲み取り、一種異様な雰囲気になったのではないでしょうか。

また、光秀はこの前日にも愛宕神社を訪れ、神前で占いを行ない、その後おみくじを何度も引いています。

さらに光秀は連歌会の最中、「本能寺の堀は浅いのか深いのか?」と参加者に尋ねたともいわれています。

これら光秀の言動が“何を意味するか?”は想像に難くないでしょう。



まとめ

  • 「仏の嘘を方便といい、武士の嘘を武略という」
     →武士にとって嘘は恥ではなく武略の一つ


  • 「徳なき王は匹夫、これを討つのは天の意志である」
     →愚かな人間に成り下がった主君を討つのは世の習い


  • 「ときは今 あめが下しる 五月かな」
     →今こそ土岐(光秀)が天下を治める時期だ


今年の大河ドラマを見る上で、これらの言葉は光秀の生き方のヒントになるかもしれませんね。
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9599397
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
プロフィール
カナケンさんの画像
カナケン
元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
プロフィール
ファン
最新コメント
鎌倉幕府 vs. 朝廷 承久の乱 by 工藤電気屋 (05/28)
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。