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2020年01月08日

縁結びの神 出雲大社の謎

他の神社とは一線を画す社

皆さんは今年初詣に行かれましたか?

日本人は初詣が好きなようで、正月の三が日にはどこの神社も初詣客で賑わいを見せますね。

全国的に有名な神社仏閣などでは、初詣だけで毎年100万人以上が参拝に訪れるのですから凄いですね!

僕も「今年はどこで初詣しようかな?」と、毎年いろいろ考えているのですが、基本的には有名無名に関わらず、住んでいる地元の氏神様にまず手を合わせた方が良いそうです。


年明けということで、今日は有名な神社のお話です。

皆さん、出雲大社をご存知ですか?(ナイツの塙?)
出雲大社.jpg
 出雲大社 神楽殿


縁結びの神様として、特に女性に人気の神社ですね。

出雲大社を「いずもたいしゃ」と読むのは通称であり、正式には「いづもおおやしろ」といいます。

現在の出雲大社本殿は江戸時代の延享元年(1744年)に建てられたのですが、そもそも出雲大社がいつ創建されたのかははっきりしていません。

神話の世界では、大国主命(大黒様)が出雲の国を支配するために出雲大社を創ったことになっています。

また記録によると、出雲大社は平安時代から江戸時代(現在のもの)までの約1000年の間に何度も倒壊していて、合計25回も建て替えをしているのです。

その倒壊の原因として考えられるのは、以前は巨大な建築物であったためといわれています。

それでは、昔の出雲大社とはどのくらいの大きさだったのでしょうか?

ということで、今回は出雲大社の謎について語りたいと思います。

古代には地上96bにそびえる高さの社殿があった !?


現在の出雲大社の本殿の高さは24bあり、これは国内の神社としては一番の高さを誇っています。

ですが、昔の出雲大社はこれよりはるかに高い巨大な建築物であった可能性があるのです。

平安時代中期の文学者・源為憲の著書『口遊』(くちずさみ)の中に「雲太、和二、京三」という言葉が残されています。

これは、当時の大型建築物を高い順に並べたものを表わしており、雲太は出雲大社、和二は東大寺大仏殿、京三は平安京大極殿を指します。

二番目とされる平安時代の東大寺大仏殿は高さ45bだったので、出雲大社はこれより高かったということになるのです。

これを裏付けるものとして、出雲大社に伝わる社伝によると、本殿の高さは「古代32丈、中世16丈、今世8丈」と伝わっています。

1丈=約3bなので「今世8丈」=24bは現在の本殿の高さと一致しており、「中世16丈」=48bというのも東大寺大仏殿の45bを上回っていることに相違ありません。

高さ48bは現在の本殿の二倍もあり、これは15階建てのビルの高さに相当し、当時としては破格の高層建築物といえるものです。

しかし、「古代32丈」=96bというのはさすがにどうでしょう?

当時の建築技術では96bもの高さの建築物を建てることはまず不可能であったと思われます。

同様に48bの高さについても実際にはかなり難しいのではないかと考えられ、この説も長い間、疑問視されていました。

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実在した“空中神殿”

ところが、平成十二年(2000年)4月に出雲大社で行なわれた発掘調査で、平安時代頃の地層から三本の木材を組み合わせた合計が直径3bになる巨大な支柱が発見されました。

これは、中世の出雲大社の図面として伝わる『金輪御造営差図』(かなわのおんぞうえいさず)に描かれていた本殿を支える支柱の構造と一致していたのです。

この発見により、本殿は合計9本の巨大な柱で支えられていたことが明らかになったので、これなら48bの高さの建築も可能だったと考えられます。

また、『金輪御造営差図』には本殿に続く長い階段が設けられていたことも記されており、その階段の長さは109bもあったといわれます。

これらの内容を総合すると、中世の出雲大社は9本の柱で支えられた高さ48bの本殿に、地上から長さ109bもの階段が繋げられていたということになります。
出雲大社 階段.jpg

中世の出雲大社は天を貫くほど高く、まさしく“空中神殿”のような様相を呈していたのです。

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出雲大社を巡る様々な謎

神社での作法やしきたりは全国共通の場合が多いですが、出雲大社ではちょっと違います。

  • 神楽殿の注連縄
    出雲大社の象徴ともいえるのが重さ太さ共に日本一を誇る注連縄(しめなわ)ですが、実は他の神社の注連縄とは張り方が逆になっているのです。
    これは注連縄を奉納している方々にもその理由がわからないそうです。


  • 参拝の仕方
    通常、神社では「二礼 二拍手 一礼」が基本ですが、出雲大社では「二礼 四拍手 一礼」となっています。
    一説によると、「幸せ(=四合わせ)になれますように」との意味があるとか。


  • 10月は“神在月”
    旧暦の10月は神々がいなくなる月なので「神無月」というのに対し、出雲地方(島根県東部)では全国の神々が出雲大社に集まってくることから、10月を「神在月」(かみありづき)といいます。




まとめ

  • 出雲大社が江戸時代までに何度も倒壊し建て替えられた理由として、以前はかなり大きな建築物であったことが考えられる

  • 中世の出雲大社は現在の二倍の高さに相当する48bもあった

  • 出雲大社では注連縄の張り方や参拝の仕方などが他の神社とは異なる


島根県のカレンダーは10月にほぼ「神在月」と書いてあるらしいので、ちょっと欲しくなりますね。
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カナケン
元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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