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2020年04月01日

東尋坊の伝説

北陸の景勝地に伝わる伝説

前回のブログでも触れましたが、一昨日は志村けんさんが亡くなった訃報を聞いて一日中落ち込んでいました。

いくら芸能人とはいえ、自分が子供の頃から現在までテレビを通して慣れ親しんだ方が亡くなると、こんなにも辛い気持ちになるものなのかと痛感させられます。

志村さんはお酒が好きで、銀座の馴染みの店では「コロナで客が来なくなっても俺が来る」と話していたそうです。

ですが、せめて今の時期だけでも外で呑み歩かず、家呑みにして下さっていたら、こんなことにならなかったかもしれないと思うと残念でなりません。(※勿論、外呑みが感染の直接原因とは断定できませんが)

加藤茶さんが「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎いです」とコメントされていましたが、全く同感です。


さて、新型コロナウイルスの影響により、お子さんがいる家庭では春休みでも出掛けられない日々が続いていることと思います。

そこで今回はある有名な観光地にまつわる伝説について語りたいと思います。

皆さんは東尋坊(とうじんぼう)という場所をご存知ですか?
東尋坊.jpg

福井県の越前海岸にある有名な景勝地ですので、行かれたことがある方も多いのではないでしょうか。

日本海の荒波が打ち寄せ、雄大な景色を一望できる素晴らしい場所なのですが、地元の人には春先にとても海が荒れることで知られています。

そして、海が荒れる理由には、“ある言い伝え”があるのです・・・・。

怪力自慢の暴れん坊

昔、越前(福井県)に次郎市という若者がいた。

次郎市は子供の頃から体が大きく、かなりの怪力で暴れん坊として知られていた。

大人になって酒を覚えてからは、酔うと手が付けられないほど暴れ回るようになり、次第に皆が次郎市を遠ざけるようになった。

このままではろくな者にならないと自覚した次郎市は、自ら仏門に入ることにした。

次郎市は平泉寺の東尋坊という坊舎(僧侶が住む場所)に住んだことからその名を名乗るようになった。

その頃、平泉寺では若い僧たちと住職が対立していて、彼らは住職を追い出して平泉寺を自分たちのものにしてしまおうと企てた。

それを知った東尋坊は「仮にも仏に仕える身分の者が己の欲に駆られてそのような事を考えるべきではない」と彼らを強く戒めた。

彼らは東尋坊と激しく言い争ったが、東尋坊は決して彼らに妥協しなかった。

やがて彼らは邪魔な存在である東尋坊を殺してしまおうと考えるようになった。


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断崖から突き落とされた東尋坊

東尋坊の怪力と強さを知る彼らはまともに戦っては束になってもかなわないと思い、一計を案じる。

北陸にも春の気配が感じられるようになったある日、彼らは「この近くにとても見晴らしのいい岩場がある。そこで海を眺めながら酒でも呑まないか?」と東尋坊を誘った。

東尋坊は(ようやく彼らも改心して自分と仲直りする気になったのだろう)と喜び、何も疑うことなく誘われるままについていった。

絶景の岩場で開かれた僧たちの酒宴は大いに盛り上がった。

東尋坊も勧められるがままに酒を呑み、かなりの酔いが回っていた。

そのうち、彼らの一人が海を指さして「あの沖に見える船はどこの船だろう?」と東尋坊に聞いた。

東尋坊はふらふらと千鳥足で岩場の先端へ行って身を乗り出し船を確認しようとしたその時、

「今だ!」

という掛け声を合図に、彼ら全員で東尋坊を海へ突き落してしまった!

その直後、突然上空に暗雲がたちこめ、強風と共に滝のような大雨が降りだし、激しい雷鳴が轟いて岩場に雷が直撃した。

以来、旧暦の4月5日前後になると、東尋坊では必ず強風が吹き海が荒れるという。

この時期の強い季節風を地元の漁師たちは

「東尋坊の怨霊が暴れる」

と言って恐れ、決して船を出さなかった。


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他にもある東尋坊の由来

東尋坊には他にもこんな言い伝えがあります。

平泉寺の僧・東尋坊には「あや姫」という美しい娘を巡り真柄覚念(まがら かくねん)という恋敵の僧がいました。

平泉寺の僧たちがこの地を訪れ酒盛りをしていた時、真柄覚念は東尋坊に岩場の上で酒や肴をすすめて泥酔させ、隙を見て断崖から海へ突き落としてしまいました。

その後、東尋坊の無念のためか、49日間にわたって海は大荒れとなったといいます。


また、東尋坊の名前の由来には次のような話もあります。

「人は死ねば西方浄土へ導かれるが、悪僧はねる」

・・・とすると、次郎市は悪童だったから平泉寺の東尋坊に住まわせたんでしょうね。

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まとめ

  • 北陸の景勝地・東尋坊は昔この名の僧が断崖から海へ突き落とされた伝説から命名された

  • 東尋坊が突き落とされた旧暦の4月5日頃には東尋坊の怨霊により必ず海が荒れるという言い伝えがある

  • 東尋坊の名前の由来は「悪僧は死ぬと東を尋ねる」から


僕が子供の頃に見た『まんが日本昔ばなし』では、この話は「とうせん坊」というタイトルで、岩手県に伝わる伝承として描かれていました。
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カナケン
元高校教師。 以前に「日本史講座」のタイトルでツイッターをやってました。 ここでは(現代にも繫がる日本史)をテーマにエピソードを多数紹介し、肩肘張らず(ほー、なるほど)と思える話を語っていきたいと思います。
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